Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

高校時代のイチロー

2009-04-24 17:33:50 | 他スポーツ
今日、病気で時間だけはあるので、イチローの高校時代の監督が思い出を書いた本を読みました。イチローは中学時代、身長170cm、体重55kgという細身の体だったそうですが、名電に入り、ウエイトトレーニングをした結果、180cm、72kgとアスリートの体になったそうです。

中学時代から、バットコントロールのうまさでどんな球でも打ってきたイチローですが、意外にも甲子園では2度出場して、9打数1安打と結果を残していません。そのため、イチローは甲子園の思い出については、悔しさからか語ろうとしないとのことです。

また、名電の野球部は全寮制で、身の回りのことは全部自分でという教育をしてきているので、大学や社会人で寮に入っても、不安は感じずむしろ部屋が広くなったと喜ぶそうです。イチローもオリックスの寮は、個室で電話も風呂もついていて、こんなに環境がいいとはと喜んだと言っていました。

ただ、印象的だったのは、有名になってからのイチローが、以前と全然変わらず、監督のもとを訪ねてくることです。以前は年俸3000万円を超えると監督のもとに来なくなるということですが、イチローは200本安打を打って日本中の注目を浴びた1994年以降も、当たり前のように監督のもとを訪ねた律儀さがあります。

また、プロ入りを目標に名電に入ったと公言していたこともあってか、最後の年の夏に敗退した後も、毎日練習に参加して体を鍛え続け、オリックスのキャンプで初日から動ける体を作っておいたことも、彼の非凡さを感じます。仰木監督が登録名をイチローに変えたプロ3年目以降の活躍は有名ですが、実は一年目から既に一軍でプレーしていました。

その年はジュニアオールスターでMVPを取ったり、50試合以上に出場したりと、ドラフト4位の無名選手にしては驚異的な活躍で、当時野球好きの知人に、「オリックスに鈴木一朗という有望株がいて、将来必ず外野のポジションを取る」と教えていました。

まさか、ここまでの選手になるとは思っていませんでしたが、当時、選手名鑑などの記録は端から端まで読む習慣がありました。そのため、イチローの一年目の成績を見て、「これは前田(広島)以来の有望株だ」と確信したからこういうことを言ったのです。一見ボーっとしているように思われる、選手名鑑の熟読ですが、たまには役に立つこともあるものだと思いました。
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テッセンの花

2009-04-24 10:12:36 | 雑記
庭のテッセンの花です。テッセンといえば、いつもGW前後に花を咲かせる花で、この写真にも緑色の若葉が目につきます。この頃はお出かけにちょうど良い季節で、秩父の郊外を歩いた母との旅を思い出します。

今、病気療養中で自宅にこもる私ですが、少しずつですが快方に向かっていて、今度のGWはどこに行こうかと少しは前向きに考えられるようになってきました。
コメント (2)
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