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日本シリーズ雑感2

2012-11-01 19:54:02 | 他スポーツ
日本シリーズが夜の開催になって普通の社会人にも見られるようになってからだいぶ経ちます。昨日の第4戦は延長戦になったので最後までは見られませんでしたが、日本ハム中村、巨人宮国の投手戦は見ごたえがありました。日本シリーズの場合、先発投手を中4日で回すことを前提とすると、第4戦が谷間になります。

その谷間で出てきた宮国と中村だけに、終盤まで0-0が続く展開には驚きましたが、宮国がつけていた巨人の背番号30はオールドファンの私には未だに江川のイメージが残っています。江川はどうしても巨人に入りたくて、3度の他球団の1位指名を断り、コミッショナー裁定で小林繁投手とのトレードで巨人入りした「江川事件」で知られます。

最近では松坂大輔が横浜高校時代に怪物と呼ばれましたが、それ以前は怪物と言えば江川のことでした。ただ、当時の作新学院は打線が弱く、江川を優勝させるほどの援護をすることができませんでした。

江川はどうしても巨人に行きたくて法大→アメリカ留学と回り道をしていたので、通算勝ち星は130勝前後とちょっと物足りませんが、巨人のエースとして時代を作った一人ではあります。

江川引退後、30番を背負ったのはPL学園からドラフト1位指名を受けた橋本清投手でした。橋本は巨人では中継ぎで江川のようには活躍できませんでしたが、PL学園時代の甲子園での活躍は覚えています。

当時のPL学園は中日ドラゴンズに入った立浪和義や日本ハムの片岡篤史ら打線も強力なチームでしたが、社会人野球並みと言われた継投が売り物のチームでした。先発に横浜ベイスターズ入りした野村を起用して、橋本、岩崎と3人の計算できる投手のリレーで、連戦が続く甲子園でも消耗を最小限に抑えて勝ち上がった強いチームでした。

今はプロ野球の巨人戦が毎日ゴールデンタイムの地上波を占めていた私の少年時代のようにはいかないので、橋本の後の巨人の30番は記憶にありませんが、宮国の活躍で30番の記憶を塗り替えるくらいになれば、この日本シリーズも印象に残るかもしれません。
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