Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

会心のカウンター(サウサンプトン対ニューカッスル)

2012-11-27 17:31:51 | ワールドサッカー
今日は大腸内視鏡検査による腹痛で会社を休んでいるので、こんな時間に更新しています。今年は2度も入院しているので、有給が足りなくなるピンチなのですが、あと今年度は4ヶ月あるので危ないです。

そのため、何もしないよりはましと、イングランドプレミアリーグのサウサンプトン対ニューカッスルという試合を英語で一部聞いていました。英語だとスポーツ中継のような早口の実況はどうしても100%は理解できませんから、次第に聞いていると疲れてきて、全部は聞けませんでした。

それでも、サッカーの専門用語は基本的にイングランドから「輸入」しているらしいというのがこの中継でわかりました。サイドから上げるボールをクロスと呼んだり、ペナルティエリアをボックスと言ったり、1対1で向かい合うのをマッチアップというのは全て日本でも用いられている言葉です。

ただ、英語に夢中になると試合展開を追えなくなってしまうので、途中から実況を日本語に戻して試合に集中しました。この試合はサウサンプトンにとっては会心の試合だったようです。前節のクインーズパーク戦で辛うじて最下位を脱出したもののまだ降格圏の19位にいるサウサンプトンにとっては、12位ニューカッスルは格上のチームです。

ニューカッスルは攻撃の際、左サイドの戻りが遅れる課題があったので、そこを速いカウンターで何度もえぐり、しっかり先制点も取れた前半はしてやったりだっとと思います。さすがにニューカッスルベンチも気が付いて、左MFのファーガソンを交代させて3ボランチ気味にして左サイドをカバーさせますが、後半も今度は違った形でのカウンターを機能させたのがサウサンプトンでした。

サウサンプトンのMFの走り方を見て、思い出したのはトルシエジャパン時代に流行りの言葉だった「ウェーブの動き」というものです。まっすぐ走れば相手DFに付いてこられるが、少し弧を描くように曲がって走れば相手DFの意表を突くことができるというのが当時のトルシエの教えでした。

この走りでニューカッスルDFを翻弄したサウサンプトンは、最後は左サイドを深くえぐって、速いクロスをGKがファンブルしたところをラミレスが押し込んで2-0とし、会心の勝利を挙げることができました。代表選手は吉田くらいのサウサンプトンも、戦い方次第ではこれだけの動きができるんだと、監督は誇りに思っているでしょう。

逆にニューカッスルはFWに個人技があるので、その個人技に頼りすぎてしまいました。2トップはセネガル代表のデンバ・バとシセという、高さもスピードもある二人でしたが、ロングボールを放り込むプレーが目立ち、後ろのフォローもなく孤立してしまいました。デンバ・バはリーグ2位の8得点を挙げているFWですから、たぶんこれが実力ではないのでしょうが、欧州リーグ圏も狙えるニューカッスルにしては痛恨の黒星だったことと思います。
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戸田(へだ)マラソンの思い出

2012-11-27 15:06:20 | 雑記
晩秋の恒例行事の河口湖マラソンは、今年から富士山マラソンと名前を変え、なでしこジャパンの佐々木監督や元マラソン選手の有森裕子さんなど豪華ゲストを呼んでいました。弟がこのマラソンを4時間半で完走して、私も昔ですがマラソン完走の経験があるので、これからは兄弟でマラソンの話もできると思います。

私の初マラソンは1994年の伊豆戸田(へだ)マラソンです。このマラソンは標高差200mという激しいアップダウンのあるコースで、ある有名マラソン選手が「このコースは走りたくない」と言ったという逸話があります。

私は登り坂を走らないとタイムが出ないオリエンテーリングをやっていたので、逆に山岳レースの方が力が出るとレース前は強気でいました。1kmを5分で走れば3時間半くらいで完走できるのだから、これくらいのペースなら練習通りなのでいつでも走れると計算していました。

この戸田マラソンは、前半登り、後半下りというコースでした。比較的余力のある前半に登りが集中しているのは私にとっては好材料で、登りを我慢しきればあとは勢いで下ってくればいいというレースプランでした。

それでも、土の上を走るオリエンテーリングは舗装道路を走ることは少ないので、当時は硬い舗装道路だけで40km以上を走るのは初めての経験でした。どこかで下半身にダメージが来るかもしれないと思って、可能な範囲で意図的に道の脇の土の上を選んで走っていました。

その作戦は成功したと思っていました。30km過ぎてもペースは落ちず、雨の降る悪コンディションでも予想以上に走れていました。これならいけると好感触を持って、35kmの距離表示を過ぎました。

しかし、そこから先が試練でした。戸田マラソンの最後は平坦な湾沿いのコースでした。箱根駅伝で山下りの6区を走る選手が、平坦になる箱根湯本の先でよくブレーキを起こすという話を思い出しました。下りが終わって平坦になると登りのように感じるという苦しさと、35km過ぎの内臓機能の低下で最後の数kmはペースも落ちて苦しみました。

それでも、当時は人生で一番体力のあった時期だったので粘りが効いて、3時間57分というタイムで完走できました。フルマラソンを3時間台で走れたのは人生の財産になると思って、何でもやってやるんだとギラギラしていた若い頃の思い出です。
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