埼玉ネタが少ないなと思ったので、小学校のときの道徳の授業を思い出したので記事にします。クイズ番組で埼玉の偉人を当てる問題があり、これに出ていたのが盲目の歴史家、塙保己一(はなわ・ほきいち)でした。当時は小学生だったので、盲目というハンデを抱えながら学問をしていたことをすごいと思うだけでしたが、今振り返ると江戸の昔の時点で盲目の障害者に社会的役割があったことに驚きを感じます。
塙保己一が有名なのは、「群書類従」という書物の編纂を行ったことですが、目が見えないということは一度聞いたことを記憶しておける頭脳がないとできず、相当の頭脳の持ち主だったと推測できます。当時、書物の編纂は水戸藩が「大日本史」をやっていましたが、あまりにも時間がかかったので、提案者の徳川光圀が生きている間には間に合わなかったほど手間のかかることでした。
そんなことを、盲目の保己一ができたのですから、人間頑張ればいろいろなことができるもので、健常者も見習わないといけないなと思います。江戸の昔の時点で、障害者でも社会が必要とする役割があったからこその偉業で、できないことを考慮して、できる部分を伸ばす教育があったものと思います。
文明が進歩した今、障害を持ちながらできることは増えてきました。宇宙論のホーキング博士のような学者も出ています。今はPCにも音読機能があって、たぶんブログあたりも障害を持っていても読めると思います。同じ人間に生まれたのですから、障害を持つ方の活躍を願いつつ、健常者もサポートできることがあればやっていきたいと思います。
塙保己一が有名なのは、「群書類従」という書物の編纂を行ったことですが、目が見えないということは一度聞いたことを記憶しておける頭脳がないとできず、相当の頭脳の持ち主だったと推測できます。当時、書物の編纂は水戸藩が「大日本史」をやっていましたが、あまりにも時間がかかったので、提案者の徳川光圀が生きている間には間に合わなかったほど手間のかかることでした。
そんなことを、盲目の保己一ができたのですから、人間頑張ればいろいろなことができるもので、健常者も見習わないといけないなと思います。江戸の昔の時点で、障害者でも社会が必要とする役割があったからこその偉業で、できないことを考慮して、できる部分を伸ばす教育があったものと思います。
文明が進歩した今、障害を持ちながらできることは増えてきました。宇宙論のホーキング博士のような学者も出ています。今はPCにも音読機能があって、たぶんブログあたりも障害を持っていても読めると思います。同じ人間に生まれたのですから、障害を持つ方の活躍を願いつつ、健常者もサポートできることがあればやっていきたいと思います。