
先週の横浜FC戦では、席がバックスタンド前から5列目と、写真を狙うには絶好の場所だったのでいろいろ写真を撮りました。写真のように、CKを蹴りに来る選手は目の前で、最近こそ出番は減少気味ですが2010年加入と浦和で2番目の古株になっている「レジェンド」柏木陽介選手を取り上げます。
柏木は兵庫県の出身ですが、全国規模で選手をスカウトしてプロ予備軍を育てる、サンフレッチェ広島のユースチームでプレーしていました。このときのチームメイトに槙野がいて、今でも続く長いコンビです。当時は、ゲームメーカーにしては走れるのが売り物で、「走るファンタジスタ」と異名を取っていました。もっとも、海外遠征帰りの試合でコンディションを落とすなど、スタミナには課題もありました。
浦和移籍は2010年、当時のフィンケ監督時代です。フィンケ監督の戦術は4-4-2でサイドハーフを置くもので、左MF向きの柏木にとっては合っている戦術のようにも見えましたが、チームは10位と低迷しそれほど輝きを見せた印象はありません。翌2011年は、チームが残留争いに巻き込まれ、代表でトップ下に抜擢された朝鮮民主主義人民共和国戦で結果を出すことができず、苦しんだ一年でした。
柏木が輝きを取り戻したのは2012年、広島時代の恩師ミシャの監督就任からです。広島時代に慣れ親しんだ3-6-1の左シャドーという位置に戻してもらったことで、点も取れるようになり、チームも3位となりACL出場権を得るまでに伸びてきました。それから、森脇、李忠成、西川など広島時代に一緒にプレーした選手が浦和に加入してチームメイトになります。
本人はゴールに絡むポジションが好きだったようで、ミシャがボランチにコンバートした当時は「点を取ることは他の選手に託す」と多少未練がありそうなコメントも残しています。それでも、ミシャサッカーでは攻撃時に4-1-5と極端に前に人数をかけるサッカーをしていたので、その「1」の位置にいた柏木の役割は重要で、パスの出せるボランチとしてミシャの信頼を得ていました。
今の大槻監督のサッカーは、まずは守ることというサッカーなので、動けるタイプを重用します。柏木の出番は昔に比べると減りましたが、セットプレーのキッカーなど、彼の位置は重要です。ボランチが良いか、右MFが良いかは微妙ですが、パスを出して橋岡や関根を走らせる形を、これからも見ていきたいものです。