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清武弘嗣の記憶

2020-10-30 23:03:49 | 他チーム
セレッソ大阪が相手ということで、何とか写真を狙いたかったのは、写真のMF清武弘嗣選手です。今はC大阪に在籍する普通のMFという印象ですが、海外でも活躍し一時はスペインリーグの名門、セビージャにも在籍したことがあります。セビージャといえば前園が行くつもりでいたものの移籍が流れたというチームなので、日本人初のセビージャ在籍で前園越えを果たした印象です。

清武弘嗣といえば、大分で頭角を現した選手の一人です。当時の大分は若手育成で成果を出しており、ユースから昇格した清武弘嗣にも出番が与えられ、入団2年目の2009年には23試合出場3得点と主力選手になります。もっとも、当時の大分が財政難で主力選手を放出せざるを得なかったこともあって、C大阪に移籍加入してきます。

その後はC大阪で、当時ドイツのドルトムントに移籍した香川真司の穴を埋める活躍を見せ、背番号も13からチームのレジェンドである森島がつけていた8番に変わります。もっとも、C大阪では8番をつけると移籍するという「ジンクス?」があり、五輪代表での活躍で価値が高騰したこともあって、ドイツのニュルンベルクに移籍します。

海外ではニュルンベルク、ハノーファー、セビージャに在籍しました。この頃が清武弘嗣の全盛期で、私が清武弘嗣のプレーで最も覚えているのは2016年11月のロシアW杯最終予選のサウジアラビア戦です。当時、4-3-3のシステムを引くハリル監督時代の日本でトップ下で先発した清武弘嗣ですが、彼のミドルシュートが相手のハンドとなりPKを得て、これを清武弘嗣自身が決めて、このW杯の大一番を勝利に導く原動力となりました。

ポジションはトップ下かサイドハーフです。代表でのプレーを見た記憶ではトップ下の方がいい印象で、シュートレンジが長いので点に絡めるMFとしての強みがありました。代表では43試合5得点と、主力選手としてプレーしましたが、ロシアW杯への出場は叶いませんでした。今はC大阪で左のサイドハーフに入っています。

C大阪に呼び戻したときに、セビージャに払った移籍金が6億円だったことが異例でした。それだけC大阪が、自チームから海外に出て行った選手は戻ってきて欲しいと、誠意を見せた移籍でした。まだ30歳で、これからのサッカー人生が良いものであるよう願っています。
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