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ミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)の記憶

2020-12-21 21:19:03 | 浦和レッズ
湘南戦、札幌戦といろんな選手や監督の写真が撮れたので、ネタになる写真になりました。その1回目は、現札幌監督のミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)です。ミシャはオーストリアのシュトゥルム・グラーツでオシム監督のアシスタントをしており、オシム監督の千葉入りで後任監督になったという、オシムとの縁があります。

最初に来日したのはサンフレッチェ広島です。当時、ミシャの3-6-1を導入するに当たって、小柄なスピード型FWの佐藤寿人を1トップに据えたのが最初のインパクトでした。それまで、3-6-1の1トップは屈強なポストプレーヤーがやるものとの思い込みがありましたが、佐藤寿人の持っているオフサイドラインとの駆け引きを信頼して、最後に点を取ってくれればいいという起用でした。

浦和の監督に就任した2012年も、レッズを変えてくれました。当時、ミシャの3-6-1は攻撃時に4-1-5のように前に人数をかけ、手詰まりになったら両ストッパーをSBのごとく前に上げて勝負する攻撃サッカーでした。時間がないからキャンプ序盤から戦術練習をするという宣言通り、右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いて、その形で1年通しました。

この年の1トップは、本来ウイングタイプの原口元気でした。小学生時代に天才と呼ばれた原口元気にとっても、1トップはきついポジションだったようで、フィジカル勝負に潰されてFWにしては少ない6ゴールに終わりました。それでも、この経験を生かし、シャドーに回ったときにFWがどんなパスが欲しいか学んで、日本代表のMFにまで成長することになります。

ミシャのサッカーは体力的にはきついサッカーでしたが、それでも浦和の監督を4年半務め、関根、遠藤航などの若手も育てました。最後は残念な途中解任という形で浦和を去ることになりましたが、その翌年に札幌からオファーが来て、今でも札幌の監督として若手選手を育てるサッカーをしています。コーチ兼通訳の杉浦氏も、ミシャが日本にいる限り仕事があり、今は札幌のコーチです。

一昨日の試合はチームとしての完成度の差で負けましたが、ミシャ札幌とはこれからも戦っていくでしょう。外国人監督としては初のJ1での200勝も達成し、日本では成功した指導者の一人です。また、こうして写真を撮ることで、「ミシャはまだ頑張っているんだ」と思わせて欲しいものです。
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