Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

名古屋戦プレビュー

2009-07-23 18:46:24 | 浦和レッズ
今週末、浦和はホーム埼スタで名古屋と対戦します。浦和は前節の大分戦で負傷交代した闘莉王が、腹筋の負傷でしばらく出られないという診断結果です。浦和にとっては、相手の新外国人FWのケネディに唯一空中戦で対抗できる闘莉王の欠場は、ヘディング勝負では勝てないことを前提として守ることになります。

ただ、名古屋のチーム状態もそれほど良くはありません。ケネディがゴールを決めた京都戦も引き分けです。前回の対戦は1-0で浦和の勝利でしたが、今回は浦和のDFラインが急造になりそうで、もっと点が入る勝負になるかもしれません。

名古屋はストイコビッチ監督が戦術を4-4-2に固定していて、あっと驚くようなサプライズはないでしょう。サイドハーフに小川とマギヌンを置く形は強力で、この二人が短い距離で互いを生かすと、若手が起用されそうな浦和のSBは戸惑うでしょう。

浦和に有利な材料を探すと、ポンテの存在でしょう。本来ならば山田直輝と組むともっと強力なのですが、山田直輝は原因不明の背筋痛でいつ復帰できるか分かりません。ただ、ポンテは運動量の多い選手ではないので、ボランチの細貝、左サイドハーフの原口あたりがうまくDFラインからボールを引き出して、ポンテの高いキープ力をうまく使ってやる必要があります。

ポンテ一人に任せてしまうと、パスコースがなくなって相手にボールを取られカウンターの餌食です。また、個人的には名古屋がケネディをどう使うかにも興味があります。縦パスを入れてポストに使うか、豪州代表で見せたようにヘディングでの折り返しを味方に狙わせるなど、いろんなバリエーションが考えられます。

もっとシンプルに、アーリークロスをケネディの頭めがけて蹴る可能性もあります。最終ラインの高さに不安のある浦和にとってはこの手が一番嫌ですが、モダンサッカーを目指すストイコビッチ監督が、こういう「美しくないサッカー」に出る可能性は低いと思っています。
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ジョホールバルの歓喜(1997年フランスW 杯予選)

2009-07-22 19:11:49 | ワールドサッカー
1997年11月、W杯最終予選でグループBで2位になった日本代表は、グループAの2位イランと、予選突破を賭けて「第三代表決定戦」に臨みました。しかし、今振り返るとこの試合は異例ずくめの試合でした。

まず、ホームアンドアウェイで試合をする日程的な余裕がないという理由で、中立地のマレーシアでの一発勝負でした。しかも、今はない延長Vゴール方式で、決着がつかなければPK戦というルールでした。

もし、W杯を賭ける試合がPK戦にでもなろうものなら、選手に掛かるプレッシャーはサッカー人生最大級のものになるはずで、外したりすると様々なところから非難されたりするのかなと、心配していました。

よく、勝負が掛かる大一番は、負けないサッカーをしようと両チーム慎重なサッカーになり、試合内容は面白くないものになることが多いと聞きます。しかし、この試合は最初から熱く燃えた好ゲームになりました。

だいぶ記憶は薄くなってきましたが、開始直後のイランのオウンゴールが何かの理由で取り消され、日本はため息に包まれますが、イランの最終ラインを突破した中山が先制ゴールを決めて、日本の流れになります。

この試合の前、日本のグループBは土曜に試合が行われていましたが、イランのグループAは水曜の試合で、日本の2位が決まったときは相手がサウジアラビアとイランの両方の可能性がありました。そのため、岡田監督はメンバーを多めに呼び、両方の可能性に備えました。

ただ、当時のイランはダエイ、アジジ、マハダビキアの強力な攻撃陣を持つ、前回のアジア杯で「優勝したサウジアラビアよりいいサッカーをしていた」と言われたほどの強豪でした。その破壊力は後半の開始直後にイランの連続ゴールでまざまざと見せつけられました。

しかし、今でも鮮明に覚えているのが、途中出場のFW城の同点ゴールです。左からの中田英寿のクロスを打点の高いヘディングで合わせたものですが、そのプレーの直前に山口が相手の決定的なパスをカットして、このゴールにつなげたのは後で知りました。

試合は延長戦に入り、疲労の色濃いイランを攻めようと、日本は岡野を投入します。しかし、その岡野はチャンスで外し続けて、岡田監督から「殴ろうと思った」というジョークを言われていました。しかし、中田英寿のミドルが相手GKが弾いたボールが岡野の前に転がりVゴールになり、日本はW杯出場を決めます。

本当に苦しい試合で、このW杯予選の記憶があるから、あまり日常生活を代表につぎこんでは精神的にもたないと、代表との付き合い方を変えるきっかけになるW杯でした。
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10年ぶりのJ1ゴール(宮沢克行)

2009-07-21 18:54:44 | 他チーム
今や山形のキャプテンで、あの「ミスターモンテディオ」の高橋健二の7番を受け継いですっかり山形の中心選手に定着した、宮沢克行選手の思い出です。宮沢の磐田戦でのゴールは、J1では10年ぶりで、本人は「名誉な記録ではないがサポーターに捧げたい」とコメントしています。

宮沢がプロとしてのキャリアをスタートしたのは、1999年、浦和でした。当時左利きの中盤は貴重だったので、原監督が4-4-2を続けるなら、ベテランになっていた当時の左MFベギリスタインの後継者の有力候補でした。

しかし、この年の浦和は開幕から不振でした。なかなか勝てない状況で、新人に出番を与える余裕はありませんでした。さらに悪いことに、4バック信奉者の原監督が解任され、後任が守備的な戦術を好むデモス監督となり、宮沢の出番は更に遠くなります。

ただ、それでも宮沢はデモス監督にFWで起用され、J1初ゴールを決めます。ただ、どんどん泥沼に入って行った当時の浦和では、継続的な起用はされませんでした。結局、チームはJ2に降格して、不完全燃焼の一年目が終わります。

後任の斉藤監督は4-4-2の監督でした。しかし一年でどうしてもJ1に戻りたい浦和は、鹿島から左MFの阿部敏之を補強します。宮沢の出番は、負けていて攻めに出るときの左SBしかありませんでした。

パサーの阿部敏之とは違って、宮沢はタッチライン際からクロスを上げるのが売り物の選手でしたが、結局その持ち味は発揮できずに、当時J2の新潟に移籍しました。新潟での彼の印象はあまりありませんが、2004年にビッグスワンで浦和と対戦したときに左SBで出ていた記憶はあります。

しかし、そのシーズンの後半戦に山形へレンタル移籍したことが、宮沢にとって転機になります。4-4-2のボックス型中盤の左MFに定着した宮沢は、初めて主力選手として試合に出続ける経験をします。

その後一旦新潟に戻りましたが、このときの活躍を覚えていた山形が再度宮沢を獲得します。ただ、当時の山形は昇格争いには遠い年もあるチームでした。悲願の初昇格は今シーズンでした。

今回の10年ぶりのゴールは、よくここまで現役を続けていたという評価をしています。今や32歳となり、残されたサッカー人生が充実したものになるよう、願っています。
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大相撲の力士の扱い

2009-07-20 21:05:28 | 他スポーツ
大相撲は、テレビに映るのはせいぜい幕下以上のレベルですが、幕下は60枚×東西二人、その下の三段目は100枚×東西二人と大勢の力士がいます。ただ、相撲界の厳しいところは、観客動員や相撲人気に貢献しているのは十両以上の関取と、明確に線が引かれているところです。

それ以下の幕下以下の力士は、「養成員」と呼ばれ、相撲協会の所属メンバーではあるものの、あくまで裏方の扱いです。幕下の筆頭と十両のどん尻は、わずか一枚しか番付の差はなく、1場所の勝ち越し、負け越しで入れ替わる不安定な立場ながら、十両は年収1500万円、幕下は金額的には食べていくのがやっとの場所手当て(月収6,7万)と大きな差があります。

ただ、食べていくのに困るということはなく、養成費という、力士育成費用が協会を通じて部屋に支払われます。この養成費で、ちゃんこを作ったり部屋単位の共同生活で、食べるところと寝るところだけは確保されます。

そのため、石川遼のようなスター力士が幕下以下に出ても、番付が十両以上に上がらない限り特別扱いはされません。そのあたりは相撲界の厳しさですが、そういう話題になる力士は大抵自らこの壁を破り、関取になって注目されるようになります。

今の琴欧洲、稀勢の里あたりも、幕下時代にライバルと呼ばれ、第二の曙貴時代を作るのではと言われたほど競って出世した過去がありますが、幕下の頃はやはり薄給でした。それが今や大関と関脇ですから、やはり話題になるにはなるだけの理由があるものです。

また、幕下以下は大部屋が通り相場です。あまりにも実績がありすぎるベテランが幕下に落ちたときは他の幕下力士が気を使うため特別扱いもありうると聞きますが、大抵他の幕下力士と同じ部屋に置かれます。

これが十両になると、部屋で個室を与えられ、身の回りの世話をする付け人も何人かつくのですから、それは誰もが十両になりたいわけです。横綱にまで出世した力士でも、力士人生で一番嬉しかったことは?と聞かれると、多くの人が「新十両」と答えます。ただ、付け人をつけるということは、関取に付け人の「育成義務」を課すものでもあります。

実際に元力士に聞いた話では、付け人は揃って、付いている関取の勝利に喜ぶという話です。普天王もブログで「運命共同体」と言っています。そんな付け人を、いつか関取に育ててやると夢を持たせるのも、関取の責任でもあるわけです。
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サッカーの「業務外負傷」

2009-07-20 09:12:44 | 他チーム
今日の朝ドラの「つばさ」で、Jリーガーの大谷翔太君が試合とは関係ないところで負傷して、監督から「今季はあてにしていない」というようなことを言われているシーンがありました。

確かに、私がそのチームのフロントだったら、来季の大谷君の契約をどうするか迷うのは確かで、今季デビュー戦で負傷してほとんど戦力になっていない上、しかも試合と関係ない長期離脱の負傷をしては信頼して使えるかということになるでしょう。

そんな脚本ですが、まったくゼロから作ったストーリーではありません。実例はあります。かつてFC東京に在籍していた、K選手(あまり名誉な話ではないので名前は伏せます)のことです。K選手は、2002年シーズンの開幕戦、秋田を擁した鹿島と対戦し、優勝候補筆頭のチームを倒す金星に大いに貢献し、「W杯前に新星現る」とマスコミに騒がれました。

しかし、しばらくスタメンで出ていたK選手に、悪夢が襲います。それは、なんと「バイク事故」でした。K選手はバイクに乗るのが趣味だったらしいのですが、その運転中に事故を起こして足を骨折して長期離脱してしまいます。ちょうど、この年から社員契約をプロ契約に変えて意気込んでいた矢先の出来事でしたが、こういう業務外の負傷にはプロチームは厳しいです。

結局、K選手はその後FC東京ではほとんど出番をもらえず、サガン鳥栖、栃木SCと移籍しましたが、結局かつての輝きは取り戻せませんでした。おそらく、ドラマで大谷君が言われたようなことを、K選手も言われたのではと思いますが、やはり勢いに乗っているときは、その流れを放してはいけないものなのですね。

今では、新潟の千代反田選手もバイクは好きらしいのですが、この事故の記憶があるので、「現役の間は乗れないですね」とインタビューで答えています。そういう意味では、プロスポーツも歴史を重ねて、いろいろな実例から学ぶものなのですね。
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負けに不思議の負けなし(7/18大分対浦和)

2009-07-19 10:18:55 | 浦和レッズ
タイトルの言葉は、現楽天監督の野村克也氏の言葉です。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉で、負けたからには何か理由があり、それを突き詰めて修正することが大事という意味の言葉と記憶しています。事実、昨日の大分戦には負けるべく理由がありました。

まず、大分の戦い方にも理由があります。3バックにファイタータイプの深谷が復帰したことで、最終ラインを下げて局面で戦うことを徹底しました。バイタルエリアもエジミウソン[大分]がしっかり消し、カウンターにもエジミウソンや宮沢がしっかり応対しました。

浦和はこれを崩すには、個人技で思い切って突破を仕掛けるか、遠目からどんどん打っていって相手の最終ラインを引き出す必要があったのですが、昨日の浦和は両方とも出来ていませんでした。せいぜい、原口が個人技で突破した場面くらいです。いつもの浦和のパターンのエジミウソン[浦和]を裏へ走らせるのは、大分の最終ラインが低かったと同時に九州石油ドームのグラウンドの悪さで踏ん張りが効かず、難しかったです。

しかし、最大の敗因はフィンケ監督の選手起用だったと思います。闘莉王が負傷交代したときに、浦和は大分を攻め切ろうとして、左SBの三都主を入れてCBに山田暢久を回す采配をします。本職のCBが誰もいなくなる勝負手ですが、たぶんこの采配の意図は三都主のところでボールを落ち着かせて、サイドからアーリークロスでもいいからしっかりクロスで終わろうとするものだったと思います。

しかし、この三都主のプレーは、とても代表80試合のベテランとは思えない、弱気なものでした。ボールを持ってもすぐにバックパスで返してしまい、しかも裏のスペースをカバーする意欲も足りませんでした。三都主の投入で、守備力が落ちることは覚悟してフィンケ監督は投入したはずですから、せめてクロスを上げてくれないと自分のいる意味がないとは思わなかったのでしょうか。

この結果、大分のカウンターにスペースが空き始め、何度も空いたスペースを狙われるようになりました。鈴木慎吾のシュートがクロスバーを叩いたあたりで、一緒に見ていた母も「この試合負けそうだ」という言葉が出てきました。一見、一瞬のマークが外れたセットプレーの失点ですが、事故扱いで片付けてはいけないと思います。
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女子マラソン草創期

2009-07-18 16:26:24 | 他スポーツ
先日、日本の女子マラソン草創期にトップレベルの選手として活躍した、旧姓佐々木七恵さんの訃報を耳にしました。佐々木さんが活躍していた時代は私は少年で、記憶は薄いですがたどってみます。

佐々木さんは、女子マラソンが珍しかった時代、当時は女性の長距離は長年危険とされ、高校駅伝にも女子の部はなかった頃の選手でした。そんな佐々木さんは男子の実業団の有名な監督のもとで鍛える道を選びます。

同じ時代のライバルに、現在女子マラソンの解説者として活躍している増田明美さんがいて、日本の女子マラソンは佐々木さんか増田さんかと言われていた時代がありました。ただ、増田さんは少女時代から天才と呼ばれてトップスピードに乗ったときの切れは誰も真似できませんでしたが、負傷による途中棄権が多く悲運のイメージがありました。

対する佐々木さんは、草創期の東京国際女子マラソンで優勝するなど比較的安定した選手で、増田さんと二人でロサンゼルス五輪(1984年)に出場していました。ただ、増田さんは途中棄権、佐々木さんもメダル争いには絡めませんでした。

しかし、その後の女子マラソンは隆盛の流れになり、高橋尚子、野口みずきと二人の金メダルを生み出すに至りました。女子の実業団にも名門が次々生まれ、小出監督のような女子陸上専門の優秀な指導者も出します。

今や女子マラソンは、確実に視聴率が取れる番組として、東京国際以外にも、大阪、名古屋の3大マラソンができ、五輪や世界選手権の選考でも盛り上がります。そんな流れを作ったのが、佐々木さんたち草創期の選手だったと思います。

最後になりますが、佐々木七恵さんのご冥福を祈ります。
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1998年フランスW杯の思い出

2009-07-17 22:35:20 | ワールドサッカー
この時期は、欧州サッカーがオフで、しかもJリーグは全試合ナイトゲームですから一日に1試合しか見られず、意外とサッカーネタは少ない時期です。そのため、ベテランサポの昔話ということで、11年前のフランスW杯の思い出を書きます。

今の若いサポはご存知ない方もいらっしゃるでしょうが、当時「チケット問題」という、社会面に取り上げられるほどの事件が起こっていました。それは、日本の旅行代理店が欧州の代理店にチケットを依頼していて、過去には欧州CL決勝のチケットも手配したほどの代理店だったそうですが、彼らが一斉にだまされて日本人サポーターにチケットが回らなくなった事件のことです。

これで、私もフランス行きが直前でキャンセルになってしまったのですが、現地に行ってもオーロラビジョンでしか試合を見られなかった人もいますし、それだけ日本人が初出場のW杯に騒ぎすぎたのかなとも思います。ただ、結果は皆さんご存知の通り、日本は3戦全敗に終わりました。

当時、岡田監督の采配は、アルゼンチンかクロアチアから勝ち点を取らない限り決勝トーナメントはないわけで、どちらかで最低でも引き分けに持ち込んでおこうという慎重な采配でした。ただ、予選でうまく行っていた4-4-2から、一人攻撃的MFを減らしてDFを入れた采配には、消極的と批判も出ました。

また、日本という国は、W杯のテレビ視聴率が稼げる国ですから、キックオフの時間を日本のゴールデンタイムに合わせて試合を行いました。その結果、日本の試合は昼の2時キックオフになり、クロアチア戦では暑さの中で苦労することになりました。

今、思えばオシム監督が率いていた、欧州のブラジルと呼ばれた旧ユーゴ代表のメンバーが、当時のクロアチア代表には何人か残っていました。つまり、試合巧者だったわけです。そういう報道はされず、当時の10番のボバンが負傷したから日本有利とか、そういう報道しかされませんでした。

結局、最初の2試合で連敗した日本は、早々と1次リーグ敗退が決まり、夢はあっという間に過ぎ去りました。しかし、まだ当時は日本国民にとってはW杯がどういうものかわかっていなかった点はあります。全ての国が、ここに合わせて調整してくる舞台がW杯というもので、直前の変更でどうにかできるものではないのです。今回はそういう怖さも知ったでしょうから、日本らしいサッカーを世界で発揮することを期待したいと思います。
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連続テレビ小説「つばさ」2

2009-07-17 20:51:29 | 埼玉
BSの再放送でほぼ毎日見てきた朝ドラの「つばさ」も、後半戦に入りました。川越が舞台ということで、どこか知っている場所は出ないかと期待していましたが、やはり人口の多い街なので長時間のロケは難しいらしく、映るのは大抵一瞬です。

しかし、それでも川越ならここは出して欲しいという場所は結構出ていて、しょっちゅう登場する時の鐘以外にも、喜多院の五百羅漢、三芳野神社、菓子屋横丁などがこれまでに出ていました。川越城本丸御殿が修復工事中で使えないのは残念ですが、そういうものを見つけるのは楽しみです。

ストーリーに触れると、皆さんの楽しみを奪ってしまうかもしれないので、ちょっとだけ書きますが、基本的には一週完結に近いストーリーの立て方をしていて、途中から見てもある程度楽しめるようになっています。土曜日の朝にBSで一週間分まとめて放送していますから、それを一回見るだけでも十分でしょう。

また、さすがNHKと思うのは、売れない芸人や毎回商売に失敗する人が出てくるのですが、なぜ売れないか短い時間の演技で十分わかることです。見ている視聴者も、演じている役者も、「このやり方では売れないな」と皆納得できます。

ただ、ドラマの不自然さは多少あって、複雑な家庭事情を抱える登場人物が、主人公のつばさだけにはなぜか本当のことを話すことです。一週完結のストーリーにしている以上、それが解決しないとドラマにならないのですが、それを毎回つばさが何とかしていくのは、水戸黄門慣れしている方なら何ともないでしょうが。
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大分戦プレビュー

2009-07-16 18:54:35 | 浦和レッズ
あさっての土曜、浦和はアウェイの九州石油ドームで大分と対戦します。2005年にシャムスカ前監督の就任初戦で対戦して1-2と敗戦した苦い過去を持つ浦和にとっては、そのシャムスカ前監督が解任された直後の試合で対戦することに、ちょっとした因縁を感じます。

しかし、後任のランコ・ポポビッチ監督のビザ発給が間に合わず、浦和戦だけは強化部長の松山氏が指揮を執るようです。監督が変わった初戦というのはどんな相手チームにとっても難しく、相手の出方がわからない不気味さはあります。

ただ、ポポビッチ監督なら思い切って自分の色を出そうとするでしょうが、今回は暫定監督なので、シャムスカ前監督のやり方を引き継いでこの試合を乗り切ろうとする可能性もあります。試合の立ち上がり数分は浦和ベンチにとって気の抜けない時間になるでしょう。

それでも、大分はエジミウソン、金崎、高松、ウェズレイなど選手の名前は揃っています。ただ、本拠地の九州石油ドームの芝生が悪く、故障者が続出したことが現在最下位にいる理由だと思います。うまく連係が噛み合えば、浦和を倒す可能性はあるチームだと思います。

浦和の方は、前節の広島戦は勝利したものの、内容は相手に何度も裏を取られ、決していいとは言えません。ただ、強気一辺倒に思えたフィンケ監督がたった一回のカウンターを機能させて勝つあたり、現実主義も少しはチームに導入していると思います。

特に九州石油ドームのグラウンドの悪さを考えると、前でキープしてパスを回す強気のスタイルは難しそうです。坪井が間に合わないと、CBに阿部勇樹が下がり、細貝ボランチ、左SB高橋峻希という布陣になりそうです。

この布陣だと鍵になりそうなのは細貝になります。神戸戦で鋭く何度も前に出て、フィンケ監督が絶賛したプレーをもう一度と期待しています。カウンターでもセットプレーでも構いません。負傷者を出せずに勝てれば。
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