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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

駒井善成の記憶

2020-12-27 22:26:16 | 他チーム
先日撮り貯めた写真の中では、写真の札幌MF駒井善成選手の記憶です。駒井はジュニアユースから地元京都で育った選手で、プロ入りは昇格した京都でした。もっとも、駒井が加入した年に京都はJ2に降格しています。本人はドライに「降格すると選手が流出するから、自分の出番が増えるかもしれない。」と割り切っていました。

駒井のプレーを最初に見たのは、京都時代の2013年、昇格プレーオフの徳島戦です。当時は4-1-4-1の右MFで起用されていました。ちょうど、相手左SBが本職のDFでなかったので、最初は駒井のところからの仕掛けでゲームの流れをつかんでいました。もっとも、この昇格プレーオフは徳島に敗れ、J1昇格はなりませんでした。

浦和入りは2016年です。京都との契約が1年残っており、浦和は移籍金を払っての獲得でした。当時の浦和はACLを意識して選手層を厚くする補強を行っており、GKとCB以外ならどこでもこなせるという駒井のユーティリティプレーヤーとしての能力にも期待しての獲得でした。浦和では3-6-1の右アウトサイドでの期待が主体でした。

もっとも、右アウトサイド以外にもボランチで起用された試合もありました。小柄な駒井は、相手MFに高さで競り勝つ必要のあるボランチは不向きなようにも見えましたが、ボールが落ち着きさばけるという意味ではボランチもこなしてくれました。ミシャ政権が続いた2017年までは主力選手でしたが、ミシャの解任後後を継いだ堀監督が戦術の4-1-4-1に変更しました。

駒井が入るとすれば両ウイングでしたが、堀監督は右に武藤、左にラファエル・シルバを固定し駒井の出番は少なくなります。そのため、ミシャが監督になった札幌に、ミシャ戦術の理解者としてレンタル移籍し、浦和を去ることになりました。札幌ではシャドーや1トップで起用されるなど、便利な選手なのは浦和時代と変わっていません。

先日の試合ではゴールを決められ、「恩返し」されました。以前からプレーしていた印象ですが、年齢はまだ28歳とこれからの選手です。ミシャの信頼を得ていることを武器にして、これからも頑張って欲しいものです。
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ロドリゲス監督のサッカー(12/27G大阪対徳島)

2020-12-27 20:20:45 | 他チーム
今日の天皇杯準決勝のG大阪対徳島を映像で見ていました。浦和サポとしては、最大の注目ポイントは来季浦和の監督に就任する、徳島のリカルド・ロドリゲス氏のサッカーの内容です。そのため、徳島を中心に見ていました。徳島の戦術はこの日は垣田を1トップに置く4-2-3-1ですが、実況によると3バックを採用する試合もあります。

徳島はパスサッカーと言われますが、そのパスの回し方は理に適ったものでした。DFラインからつなぐプレーが主体ですが、無理にロングボールを狙うことは少なく、まずは確実にボランチの岩尾、小西のところにつなぎます。相手がボランチのところに詰めてくれば、岩尾あたりはDFラインに降りてボールを受けます。

そこから、ボランチが縦パスで味方の走り込みを見て、グラウンダーで展開する攻撃が主体です。そのスペースを狙った走りからフリーになるチャンスも何度かあり、浦和でもボランチにそういう役割が求められるのではと予想しています。現有戦力では柏木が適任ですが、動けるチームを作っているので思い切った若手の抜擢もあるかもしれません。

また、スペースが空いていればDFラインからドリブルで上がる攻撃も認めています。その空いたスペースにはボランチが下がることで対応しており、動きの量の多さを生かして、戸苅SD代行が言うところの「ポゼッションとカウンターのハイブリッド」を目指すことになるのでしょう。これと似たサッカーを浦和で完成させることができれば楽しみです。

しかし、J1でこのサッカーを目指すには課題もあります。この日の対戦相手、G大阪の戦い方が理由です。G大阪はかつての西野朗氏の攻撃サッカーのイメージからは様変わりしており、4-4-2で自陣に2ラインを引いて守る時間も作っています。その手堅さで今季J1で2位と躍進しており、徳島がボールを持っているように見えても「持たされている」時間もあります。

結果的に、後半頭にあった垣田がフリーのチャンスを外したことが致命傷になってしまいました。そういう、相手守備の組織をどうやって崩していくかはこれから練られることになります。それでも、結果は0-2で敗れたとはいえ今日の徳島のイメージは良かったです。徳島ではここまで4年かけてチームを作ってきましたが、浦和ではもっと短い時間での完成を求められるでしょうが。
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梅崎司の記憶

2020-12-26 20:02:41 | 他チーム
先日の湘南戦、札幌戦で撮れた写真はネタにしようと思っていましたが、その中では湘南MF梅崎司選手の写真が撮れたのでネタにします。梅崎はユースから育った大分でトップチームに昇格してプロになりますが、一時フランスリーグ2部のグルノーブルに移籍していました。当時、日本では当たり前にあった独身寮がなく慣れない一人暮らしを強いられ、体重のコントロールミスで3kgほど体重が増えるミスもしています。

そのため、フランスは1年で引き払って大分に戻りましたが、2008年に当時トップ下のポンテが重傷を負って代役が必要だった浦和がオファーを出して移籍してきました。もっとも、パサーのポンテとは違って、梅崎はトップ下の位置からサイドに流れて仕掛けるアタッカータイプのMFでした。そのカラーは当時のエンゲルス監督はあまり好きではなかったようで、この年に活躍した印象はありません。

もっとも、左右どちらのサイドも仕掛けられて、左右どちらの足でもクロスを上げられるという強みもはっきりしていたMFです。2009年から2年間続いたフィンケ監督時代は4-4-2でサイドハーフを置く、梅崎向きのシステムでしたが、この2年間は負傷で苦しみました。ようやく、2011年の堀監督の4-1-4-1が彼向きの戦術で、そこで右のMFで起用され浦和を残留争いから救う活躍を見せます。

翌2012年に就任したミシャも梅崎を評価していました。ミシャの戦術は独特で、長い時間をかけて機能させたいと思ったミシャはキャンプ序盤から戦術練習を始めますが、その最初の時点で左アウトサイドで起用されたのが梅崎でした。この年の梅崎は左アウトサイド以外にも得意なシャドーでも起用され、ほぼフル稼働して6得点を挙げ、浦和の3位躍進に大きく貢献しました。

もちろん右のアウトサイドも可能だった梅崎は、ミシャ政権が続いた4年半の間主力選手として期待されていました。結果的に、浦和で10年間プレーできた梅崎は、2018年から出場機会を求めて湘南に去りました。湘南では3トップのサイドでプレーすることが多く、ベンチに置いても準備ができていることで若手の見本にもなっていました。

昨年の残留争いの中、PKを蹴りに行った梅崎はGK西川と「このPKを楽しもう」と話していたと聞きます。湘南ではチームの戦力的にどうしても残留争いの中ですが、まだまだ頑張って欲しいベテランです。
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小野伸二、J2琉球退団

2020-12-26 15:53:46 | 浦和レッズ
オフネタの予定だった今日ですが、埼玉新聞からJ2琉球のMF小野伸二選手の退団が発表されていたので予定変更します。今季は14試合出場無得点だったものの、クラブ側は契約延長のオファーを出しており本人の意向で退団ということになりました。今後の去就は未定ですが、41歳という年齢もあり琉球が最後のチームになる可能性もあります。

小野伸二は1998年、清水商業から浦和に入団してきました。当時は誰もが「天才」と呼ぶものの、小野伸二は清水商業時代に一度も選手権に出場していなかったので、映像が手に入るサポーターはほとんどいなかったことから、どこがどうすごいかは誰も知らないという状態で浦和入りしました。それでも、その技術の高さは即戦力の扱いで、開幕戦の市原戦で当たり前のように右MFでスタメン出場しました。

小野伸二は当時、天才と呼ばれていたディエゴ・マラドーナ氏とはまったくカラーの違う選手でした。派手な個人技を見せるタイプではなく、自分がボールを持つ時間を可能な限り短くしてダイレクトでさばくのが売り物のゲームメーカーでした。本人は「当たり前のプレーなのにスタンドが騒ぐ」と違和感を持っていたようですが、そのダイレクトプレーの正確さで浦和サポの心をつかみました。

また、小野伸二で思い出すのは、そのキックの種類の豊富さです。左足のアウトサイドでも蹴ることができ、キーパーの蹴り方であるハーフボレーも当たり前のように蹴れました。本人曰く「小学校の5分休みでもサッカーをしていた」ほどの練習量で、自分に可能なら何でもやってみようとしたことがこの技術につながりました。

2001年の駒場スタジアムで、小野伸二をオランダのフェイエノールトに送り出した市原戦は今でも覚えています。自分の後ろにある「世界で輝け伸二」の横断幕を見て(海外でも)大丈夫だと思ったと、サポの前で宣言していました。次のアウェイ広島戦で、小野伸二と最も感覚の合っていた田中達也が2得点の活躍で、小野伸二を送り出しています。

その後はフェイエノールトでUEFAカップ優勝、3度のW杯出場など、十分にサッカー選手として活躍できました。本人曰く「一つのクラブで長くプレーできない性格」というので浦和在籍は長くなかったですが、浦和サポとしては忘れられない選手です。次の人生も、輝けるものであって欲しいと願わずにはいられません。
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岩武克弥、横浜FC完全移籍

2020-12-25 23:15:06 | 浦和レッズ
今日、浦和レッズDF岩武克弥選手の、J1横浜FCへの完全移籍が発表になっていました。岩武は明治大学から昨年浦和入りして今年が2年目ですが、大卒選手は2年で結果が欲しいというプロの要求水準から行くと少し伸び悩みの印象も持っていました。SBの選手ですが、あまり個人で仕掛けるタイプではなく、いいボールをもらって生きるタイプです。

そのため、先日の湘南戦を見る限りでは、右SBの岩武のところにボールが行くとバックパスで攻撃につながらない場面も多かった印象です。かと言って守備が圧倒的に強いのではなく、プロとして勝負していくには何か売り物になるプレーを持って欲しい印象です。もっとも、一つですが岩武の良さが見えた場面もありました。

それはサイドから上げるクロスの精度でした。マルティノスを追い越して上がった岩武のクロスは、中央で待っていた杉本の頭に完璧に合いました。たまたま、杉本がこのシュートを外してしまったので話題にならなかったですが、あのクロスを上げられるのだったらもっとクロスの回数を増やせばの期待はあります。

横浜FCは3バックと4バックを併用するチームで、岩武にもチャンスはあります。3バックのアウトサイドで使うには攻撃面で課題もありますが、4バックの右SBなら可能でしょう。チームには大ベテランのカズや中村俊輔もいますし、いろいろ学ぶ面も多いと思います。チームの環境面では浦和ほど良くはなく、苦しい思いもするかもしれませんが、J1に行けたことをこれからのサッカー人生につなげていって欲しいと思います。

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冬将軍到来

2020-12-24 23:38:01 | 埼玉
地元さいたま市、いよいよ冬将軍がやってきました。秋の名残だった、キバナコスモス、ツタ、皇帝ダリアなどはすべて枯れていました。これから、寒さが身に染みる季節ですが、kobby恒例冬の鳥の写真などはまた狙います。サッカーの記憶ネタは明日以降で。

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平川忠亮の記憶

2020-12-22 20:59:22 | 浦和レッズ
レッズの公式発表で、リカルド・ロドリゲス氏の新監督就任が発表になっていましたが、今の時点では情報を持っていないので、現浦和コーチの平川忠亮さんの現役時代の記憶を書きます。平川は、小野伸二と清水商業でチームメイトでしたが、高卒で完成していた小野伸二とは違って遅咲きの選手で、筑波大学を卒業して浦和入りします。

当時、平川は右アウトサイドに定着していた山田暢久のバックアップとしての期待でした。右利きの平川ですが、当時のオフト監督は平川に左アウトサイドへのコンバートを命じます。平川は彼なりに左アウトサイドへの適応を考えて、右足のアウトサイドですらすようにクロスを上げるなど工夫を見せて、それまでの左アウトサイドだった路木からポジションを奪ってトップチームに定着します。

当時のチームメイトの岡野雅行氏が「チームで一番の身体能力を持っている」と評したスピードが彼の武器で、カウンターを食らうと真っ先に戻って来られる危機管理要員としての期待でした。また、この左アウトサイド挑戦が効いて、複数のポジションをこなせるのも彼の強みになります。左右のアウトサイド、右ストッパーなどが可能なユーティリティプレーヤーでした。

平川自身は、思い出に残るプレーとして、2007年のACL準決勝の城南一和戦のPK戦を挙げています。当時、リーグ戦とACLの掛け持ちで苦しんだ浦和は限界状態でしたが、この試合では「勝つとすればPK戦に持ち込むしかない」とチームはまとまっていました。平川は最もプレッシャーがかかると言われる5人目のキッカーを務めて成功し、浦和が決勝に進んだ、サポーターとしても思い出深い試合です。

私自身が平川の記憶で大きいのは、2011年の残留争いの裏天王山のアウェイ福岡戦です。この試合は浦和が勝てばほぼ100%残留が決まる試合でしたが、引き分け以下だと翌日に試合を控える甲府が俄然やる気が出る状況でした。そんな試合で、ベテランの坪井と平川が落ち着いてボールをさばいて落ち着かせ、この残留決戦を2-1で勝ち切った記憶があります。

また、平川は4バックのSBに置いても大丈夫で、歴代監督に4バックの監督がいても対応できる能力がありました。さすがに現役の最後の方はスピードは落ちていましたが、それでも35歳近くまでスピードを持っていました。長持ちでいい選手だったと、今でも試合前の練習でピッチに立っている姿を見て思い出します。
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ミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)の記憶

2020-12-21 21:19:03 | 浦和レッズ
湘南戦、札幌戦といろんな選手や監督の写真が撮れたので、ネタになる写真になりました。その1回目は、現札幌監督のミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)です。ミシャはオーストリアのシュトゥルム・グラーツでオシム監督のアシスタントをしており、オシム監督の千葉入りで後任監督になったという、オシムとの縁があります。

最初に来日したのはサンフレッチェ広島です。当時、ミシャの3-6-1を導入するに当たって、小柄なスピード型FWの佐藤寿人を1トップに据えたのが最初のインパクトでした。それまで、3-6-1の1トップは屈強なポストプレーヤーがやるものとの思い込みがありましたが、佐藤寿人の持っているオフサイドラインとの駆け引きを信頼して、最後に点を取ってくれればいいという起用でした。

浦和の監督に就任した2012年も、レッズを変えてくれました。当時、ミシャの3-6-1は攻撃時に4-1-5のように前に人数をかけ、手詰まりになったら両ストッパーをSBのごとく前に上げて勝負する攻撃サッカーでした。時間がないからキャンプ序盤から戦術練習をするという宣言通り、右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いて、その形で1年通しました。

この年の1トップは、本来ウイングタイプの原口元気でした。小学生時代に天才と呼ばれた原口元気にとっても、1トップはきついポジションだったようで、フィジカル勝負に潰されてFWにしては少ない6ゴールに終わりました。それでも、この経験を生かし、シャドーに回ったときにFWがどんなパスが欲しいか学んで、日本代表のMFにまで成長することになります。

ミシャのサッカーは体力的にはきついサッカーでしたが、それでも浦和の監督を4年半務め、関根、遠藤航などの若手も育てました。最後は残念な途中解任という形で浦和を去ることになりましたが、その翌年に札幌からオファーが来て、今でも札幌の監督として若手選手を育てるサッカーをしています。コーチ兼通訳の杉浦氏も、ミシャが日本にいる限り仕事があり、今は札幌のコーチです。

一昨日の試合はチームとしての完成度の差で負けましたが、ミシャ札幌とはこれからも戦っていくでしょう。外国人監督としては初のJ1での200勝も達成し、日本では成功した指導者の一人です。また、こうして写真を撮ることで、「ミシャはまだ頑張っているんだ」と思わせて欲しいものです。
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誕生日

2020-12-20 21:15:39 | 雑記
昨日がkobbyの?回目の誕生日でした。毎年20試合はサッカーを見ている、マニアックな私ですが、今年はコロナ禍の影響で代表戦が海外開催、Jリーグも強行日程で平日開催が多かったこともあって、サッカー9試合、野球3試合、相撲1日間という観戦数に終わりました。それでも、緊急事態宣言当時は1試合も見られないことも覚悟していたので、よくこれだけ見ることができたと関係各位の努力に感謝します。

今年を振り返ると、緊急事態宣言下のGWと、東京五輪の延期で空いた夏が寂しい季節になってしまいました。GWは写真ネタの宝庫である昭和記念公園や森林公園に行けず、夏も写真ネタを探しに出かけていた花火大会が中止になり、野球2試合サッカー1試合を入れて何とか気持ちを盛り上げるのがやっとでした。アクティブにいろいろやるのが売りの私にとっては堪える季節でした。

それでも、何とか精神をやられずに済んでいたのは、やはり写真の趣味でした。自宅周辺の散歩なら可能だったので、今年はいつになく地元の花を中心にいろいろ写真を撮りました。去年サッカー用に買った大きいカメラを持って、いろいろ散歩に出ると、道端などに写真に撮りたくなる小さな花がいることが多かったです。

もっとも、趣味の一つであるトレーニングは、コロナ禍の影響で地元桜環境センターが休館したことで途絶えています。桜環境センターのトレーニングルームはようやく最近再開しましたが、まだ休日になるとぐったりしていて、なかなか運動させることが厳しいです。年末年始に地元を走ることで元気を取り戻せたらと思います。

また、今季が消化不良な印象を受けたのは、やはりレッズと西武の成績が良くなかったのもあるでしょう。やはり、応援するチームが勝つところを見に行きたいのはプロスポーツのファンとして当然なので、今季は西武3位、レッズ10位と残念な結果に終わりました。それでも、11月に小諸懐古園に行けるなど、思い切ってやりたいことをやるという姿勢は出せたので、またどこかに出かけて写真ネタを探していきたいですね。
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カワセミ3

2020-12-20 20:10:49 | 埼玉
毎週恒例になりかけているカワセミの写真ですが、今日の散歩でも狙うことができました。写真の趣味、少しずつですが向上しており、そうやって「過去最高」を更新していくことで日々を楽しめたらと思います。カワセミが餌となる魚を食べている瞬間も撮れました。

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