近くにある山でも、その山体がくっきりと見えるときは意外に少ない。赤城山は自分達にとって身近な山である。それだけに、この山がくっきりと視界に入ってくると、私は少なからず感動を覚える。
昨日は午後後半に、天候が急速に回復した。そして、抜けるような青空と多様のかたちの雲と相俟って、これがあの山であろうかと思いたくなるほど、半ばシルエットになった赤城山の姿とその色合いが美しかった。
ここでの各々の山頂は左から、荒山、長七郎山、地蔵岳、駒ヶ岳、黒檜山である。河川敷きでは多くの人々がそれぞれの時を楽しんでいた。しかし、望遠レンズを付けたデジイチで赤城山を撮っている人は自分以外にいなかった。日頃、河川敷きをフィールドとしている人々にとって、赤城山が見える景色は余りにも日常的なのであろう。自分は河川敷きからは離れた場所に住んでいるので、ここで見る赤城山に魅せられるのであった。
撮影ポイントを探しているうちに、太陽の高度がかなり下がってきた。斜めからの日差しで、山腹での起伏が少しは見えようになった。黒檜山、駒ヶ岳、そして地蔵岳に雲がかかっている眺めに駆り立てられて、写人はシャッターボタンを何度か押した。
地蔵岳の左には荒山と鍋割山がある。この河川敷きでは、深田久弥が著書「日本百名山、赤城山」において「台座」と表現した、のびやかな裾野(底面の径、約25 km(気象庁HP))をあまり意識できないが、地蔵岳、荒山、鍋割山がかつて溶岩ドームであったとの地形を見て取ることはできる。画像は焦点距離70 mmにして鍋割山から黒檜山までを枠内に収めたものである。
広角で、雲の有様と赤城山と市街地内の山並み(300- 500 m)を枠内に収めてみる。右の建物は公立病院(500床)である。
雲の様子はあたかもオーロラの如しであった。と言っても、写人はアラスカでオーロラを眺めたことがない。
日の入りのときが近づいてきた。
撮影 10月9日午後4−5時、桐生市にて。
5時半頃になると、雲が夕陽に染まるだろう。しかし、ある約束の時刻が迫ってきた。惜別の感をもって、写人は河川敷きを離れた。
移動する途中で。午後5時40分頃。