わたくしは、近くの川で夕景を眺めることが好きだ。真冬の色彩感に乏しい川沿いの風景が、そのときの天候に応じて、色彩感に富む印象的な光景に変わるからである。日が沈むにしたがい、そこにある自然物や人工物が美しいシルエットとして、夕焼けの舞台に登場する。
日が沈んだ直後にて(絶対に撮り損ないたくない場面であった)。
キャンパスは間もなく大学入学共通テストの会場になる。
望遠レンズを向けているとき、突然、通りがかりの人から尋ねられた。あの稜線はどこの山々のものですかと。
「100 km以上の離れた奥秩父連山のものであり、稜線の向こう側は山梨県などになる」との答えに、その人は唖然した表情でうなずいた。広い関東平野を囲む山並みの一端が、これほどまでにはっきりと見えることに、何か不思議な感じを抱いたのかも知れない。
1月4日夕刻、桐生川にて。
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朝日新聞「折々のことば」(鷲田 清一)(2021年(令和3年)1月5日、1面)の引用。
歴史は「誰かが何かをなすべきである」と提案する人よりも、むしろ「何かをしている人を必要とするのです。 カレル・チャベック
時代の課題を指摘する時は雄弁なのに、いざ誰がその実行にあたるかとなると想像力もとたんに貧弱になると、チェコの作家は言う。「問題はそんなに単純ではない」とまた指摘を重ねるのだが、必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題を一つ一つ具体的に解決してゆく覚悟だろう。 「カレル・チャベックの闘争」(田才益夫訳編)から。
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