臼杵城=丹生島にゅうじま
陸側から 島の崖を 見てみましょう
(島津軍目線で)
古橋から 左手の方に行ってみます
島津軍は 泳いで渡ろうとたらしいですが
この崖ですからね~
崖の上から 種子島で狙われ
その上からは 佛狼機砲 ぶっ放され
夜になると
島から渡ってきた大友軍に夜襲され
落ちなかった城でありますからね
その 崖にも あります アレだろうか
海とは つながっていないので
海水面は どこまでだったのかは不明
現在は 淡水の 模擬濠 です
でも 濠として残してもらってるので
海だった 島だった
と イメージできます
鴨 いるということは 淡水
よくわからない
干潮時は 渡れたのかも
ここから 左手に 石垣が積まれてます
比較的 大きさの揃った 加工石を
布積みにしてます
これは 江戸も後期の頃かと
島津との戦の時は 無かった石垣ですね
崖が崩れるのを防ぐための 補修工事だったのか
ずーっと 左へ行くと
海鹿櫓跡に続き 今橋の方に
なのですが
ここで おなか空いてきた
すぐ近くに 有名な和菓子屋さんがあるので
そっち行くことに
腹ごしらえです
城下町へ 行ってみます
道路は 砂州 だったのでしょうか
もう少し 遠ざかって
丹生島
駐車場越しに見ると 島には 見えませんが
と言っても 周囲は 埋め立ててますから
島ではありませんが
稲葉時代になると
この辺は 埋め立てられ 三の丸になりました
島津軍が攻めてきたころは
まだまだ だったと思います
ここまで 攻められたということは
臼杵の町は 焼かれたのでしょうね
そして
臼杵の民は 連れ去られた人も 多かったとか
連れ去ると 食べさせなければいけないので
肥後藩に 売ったり
伴天連に 売ったり
したそうなんです
それを 秀吉は 禁止令を出したり
買戻ししたりしたという
島津 悪!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます