天守南側 輝く別府湾 まっ正面に高崎山
天守台に行くには小学校の校庭の隅を通らなければならず
平日は なるべく上がらないように なるべく 学校が休みの日に…
という事で
完全規制ではないのですが 跨げるロープが張られています
小学生は行っちゃダメよ と解釈して 上がりました
正面より 左の方
府内城 この辺り 高崎山城
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昔は 海岸沿いの街道はなく 高崎山の裏を越えてました
こう見ると まっすぐ 行きたくなります
暘谷城の西(右手)すぐの所に ザビエル出航の地
というのが あります
宇佐から山越えしてきて 舟で府内の方に渡ったようです
正面から 右手の方
この先 湯布院
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⇩ 辺りが 石垣原
黒田軍と大友軍が戦った古戦場
1600年 関ケ原の一か月後 九州の関ケ原ですね
ここから見えた?
イエ
まだ暘谷城は ありませんでした
まだ日出藩も ありませんでした
関ケ原で東軍でがんばったので
ここ日出に立藩 日出藩3万石として入封
それが なんと
豊臣つながりの 木下家
ちょっと 家系図
びっくりでしょ?
日出初代藩主は 延俊
父 家定は 秀吉の叔父
さらに五男は…
小早川家に養子に行ったあの秀秋ですよ
おねの母 朝日の墓は 日出松屋寺にありますから
孫の延俊と いっしょに来たのでしょう
父 家定は 関ケ原の時は 姫路城に居たかと?
その後 備中足守に所領替え
豊臣氏を名乗ることを許されたのは
足守藩木下家 日出藩木下家 だけです
ということで 日出暘谷城は 戦にあってません
なので
直感は皆無 安心です
天守台 南端から 望海楼横の イチョウ
黄葉はこれからです
真下を見下ろすと 除草されてます
天守台もされてて 夏過ぎてした感じです
天守 東側 天石
内側に崩れかけてます
落石はしないでしょうが…
天守台は 足元がボコボコした感じがするところもあります
ここで 小学校のチャイムが鳴りました
昼休みに子供たちが出て来ると帰れなくなるので
急いで降りることにします
案の定
「何してんですか?」
と 絡まれました
こんにちは バイバイ
と言って 望海楼へと降りました
現小学校
本丸入口の門跡
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びっしりの銀杏
独特の香りが 漂ってきます
避けて歩くは むずかしい
銀杏 食べる習慣はないのですが
これ 拾って 食べるの?
天守台 桜
石蕗
つわぶき
花はこれから
本丸 東面石垣
移築された 鐘楼
現在も 小学生が 突いているらしい
が 音は聞いたことがない
真下で 上を見上げ
あーでもない こーでもない
カメラを回し 首をかたむけ
撮った
のだが
縦と横 であって
同じになってると 今 気づいたわ
海の向こうは大分なんですねえ。
一度だけ大分府内城と別府温泉と臼杵城、岡城を巡ったことがあります。
続100名城が追加されたこともあり、いつかまた大分に行かねばなりません。
別名である日出城もひじ城と呼ぶのですね、読めません。初見殺しです~余力があれば攻略しに登りたいですね。
おねの一族木下家がお殿様だったんですね、知りませんでした。
ん、おお、麻丘めぐみさんがその辺りのご出身ですね。これも知りませんでした(笑)
「さんふらわあ」で、関西との行き来は新幹線よりお安いですから私もそちら方面に遠征しようと思っています。
日出城はこじんまりしててそんなに時間は要しないです。
いつも記事読んでくださりありがとうございます。