写真:《稲取駅前の“畳石”》
Yおじ(93歳)の葬儀で稲取に帰った。
特に血縁というわけではないが、母方の親戚で親しくお付きあいをさせていただいてきた。
Yおじは、青年師範学校を卒業後、伊豆で青年教師とし教壇に立たれた。
当時、稲取あたりでは、師範学校に行くような若者はほとんどいなかった。
成績が優秀で、実家が豊かで教育熱心だったのだろう。
しかし、日本は大東亜戦争に突入。
Yおじのところにも招集令状が届いた。
戦場はビルマ。大東亜戦争最大の悲劇のインパール作戦であった。
当時のビルマは、イギリスの植民地。
特務機関の大尉。ビルマ語が話せたYおじは、ビルマ独立に燃えるビルマの青年達の教育にあたられた。
その教え子の中に、あのスーチー女史の父親で「ビルマ建国の父アウンサン将軍」もいた。
復員後は、稲取町のリーダー的存在で、ビルマとの友好や戦死された部下の慰霊にも取り組まれた。
教え子であるビルマの青年達は、その後、ビルマの政治・軍事のトップリーダとして成長した。
Yおじは、国賓待遇でビルマに出かけられたものだ。
伊豆急稲取駅の近くにある臨済宗建長寺派済広寺(通称榧寺)にある宝物館のビルマの美術品は、ビルマ同志から贈られた友情と感謝の証である。
稲取にお出かけの時は、済広寺にお立ち寄りあれ。 http://www.escorts.co.jp/izunavi/higashiizu/inatori/saikoji.html
◎写真は、稲取駅前に置かれている『畳石』である。
江戸城築城の時、伊豆の山から切り出されて江戸城に運んだそうだ。
稲取の海を潜ると、このような『畳石』が残されています。
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