昨年から、鶴見和子・鶴見俊輔 姉弟の著作にはまっている。
今回読んだのは、
『対論 異色昭和史』鶴見俊輔 上坂冬子 PHP新書 760円+税
鶴見俊輔1922年生まれ 上坂冬子1930年生まれ、165歳の激論。
お二人の体験を裏付けとした昭和史、大変面白く一気に読みたくなる一冊であります。
次の箇所を引用する。
鶴見:校長について別の面白い話があるんだ。島根県の小学校によくできる児童が いて、六年間勉強して島根県としては学校は終わりということになった。そこで 卒業したらすぐに校長先生にさせられた。それで、学校が終わるとすることがないから、いつも川で魚獲りをしていた。それを見た村の人たちが、彼はあんなにできるのに魚獲りなんかしている、かわいそうだと金を集めて東京に送り出した。東京に行くと一つだけ東京帝国大学という大学があるわけだ。彼は事務局に行って試験はいつありますか、試験にはどういう問題が出るんですかと聞く。すると事務局が答えてくれるわけ。問題は『資治通鑑』から出るだろう。『資治通鑑』って読むのは大変なのよ。私が京大の人文研に入る時、貝原茂樹が『資治通鑑』の輪読会をやっていたくらいで、貝原茂樹が読み方を教えてくれるほど大変なものだ。彼はそれで図書館に行って借り出して、『資治通鑑』を読む。やがて試験の日がくると、言われた通り『資治通鑑』が出た。読み解いてちゃんと答えることができて、彼は法学部に入る。その後、四年が経って首席で出るんだ。
上坂:誰なんですか、その人は。
鶴見:私はこの首席、当時の首席は認めるよ。
上坂:だから誰ですか(笑い)
さて、首席で卒業したのはだれでしょうか?
私も、誰だか知りませんでした。
答えは明日ということにしましょう。