午前中、中央図書館に出かけて二冊借りてきた。
『感覚の幽(クライ)風景』鷲田清一著 紀伊国屋書店
『まなざしの記憶』鷲田清一 植田正治
鷲田清一さんのプロフィルをネット拾う。
哲学をベースに身体、他者、所有、規範、制度などの問題を論じてきたが、近年は<顔>論、モード論の独自の研究領域を開くとともに、現在は哲学の発想を社会が抱え込んだ諸問題へとつないでいく臨床哲学のプロジェクトと取り組んでいる。
鷲田清一さんのことは、臨床心理士のS先生に教えていただいた。
昨年から、読み始めはまっている。
『まなざしの記憶』の中で次の言葉を拾った。
聴くというのは、相手の言葉をきちんと受とめることである。理解できるかできないかは、ふつう思われているほど重要ではない。それより話すほうが「わかってもらえた」「言葉を受けとめてもらえた」と感じることが重要である。
「傾聴できた」といくことよりも、「傾聴しよう」とする聞き手の熱意が、話し手の心情に響くのである。