昨日に引き続いて、『臨床瑣談』からの【落穂拾い】をお届けします。
医療行為は幾何学よりもさらに「王道」がない。予期できない偶然、些細な特殊事情、正しそうな解釈の誤り―そういうものに左右される。勝つと限らないのは戦争と同じである。「予防医学」ということばに、医師が自分を訴訟から守るという意味があるのも道理である。告知もその含みがある。医師の精神的負担を軽くするところは「裁判員」制度に似ている。(本書p82~)
私は、「医療行為」を「教育実践」とか「カウンセリング臨床」に置き換え、教師・カウンセラーも同じと考えて読んでいる。
「教育に王道がない」
「カウンセリングに王道がない」
と読み替え、そこから、教師・カウンセラーの真摯な学びが始まることを期待したい。
闘病という考え方もあるが、「闘う」といって気負い立つと、交感神経系の活動性が高まりすぎる嫌いがある。「ガンも身のうち」という見方もどこかにあってよいように思う。実際、多くのガン細胞が日々生まれては消えているからだ。
(本書p86~)