『臨床瑣談』中井久夫著 みすず書房
精神科医の著作は、教育臨床・心理臨床に従事する者にとっても大変ヒントになるものが多い。
中でも、私は、中井久夫の著作に惹かれる。
『臨床瑣談』は、これまでも何回も読んできたいるがたいへん面白い。
私の診断学は臨床と議論と勉強との歳月をかけ「醸造」されたものであった。どれか一つの学派に拠ろうとしても、その内輪での議論をかいまみると、どの学派にも安住できなかった。そのために、私は、ある見方によるとこうであろうが、別の見方によればこうであるまいか、というふうに考えてきた。
これは折衷主義ではない。それならばそれなりに整合性を求めるだろう。私は矛盾や疑問や空白をそのまま持ちこたえることを以てよしとした。原則は、一つの所見からだけではなく、多くの所見、少なくとも三つの所見が一点を指していたら採用しようというものであったが、なかなか、それだけの手掛かりは揃わなかった。暗がりを一歩一歩手さぐり足さぐりで歩いてきたよなものである。一見決定的なものを見つけて鬼の首でもとった気になった時がかえって危ないことを経験が教えてくれた。私は慎重というよりも臆病な医師であったと自分では思う。(患者の)大胆な提案に対して、私はよく「できるかもしれないけれども医者は冒険をしないからね」といってきた)。
本書p11~
今日もスクールカウンセラーの仕事で出かけた。
若い先生の授業を見させてもらって、そのあと児童のことについていろいろ情報を聞かせてもらった。
大変熱心な先生で、子ども達も熱心に授業に取り組んでいたのだが、先生の口から「◆◆君は、広汎性発達障害で…」「□□さんは、アスペルガーで…」「◇◇君は自閉的傾向が強くて…」といった診断名がポンポンでてくるのには違和感を覚えた。
前にも書いたことだが、特別支援教育がおこなわれ出して、教育現場で学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)、高機能自閉症等の言葉も日常化している。
子どもの実態を大きく括って理解するためにこのような言葉も必要かもしれないが、教育臨床の場で一人一人の子ども達と向き合うときには、先入観を持たずに子どもと触れあってもらいたいものだと切に思う。
この頃は、保護者の中でも、このような言葉をつかって「うちの子は◇◇の傾向があります」など言葉にする。
教師も保護者も、レッテル貼りをやめて、目の前の子どもと一緒にいる時間・場所をどのように共有しているのか、素直な眼で感じとってもらいたいものだ。