先日、東京駅前の大型書店に立ち寄ったところ、
齋藤孝著
『声に出して読みたい親鸞』
草思社
が平積みされていました。
著者の齋藤さんはTV出演も多く、
たくさんの書籍を出版されているのでご存知の方も多いでしょう。
私の印象を正直に書きますと、
当初の『声に出して読みたい日本語』等の出版に触れたときは、
お若い学者の方が、(日本語の音読)等に着眼してくれたことに拍手を送ったものでした。
しかし、その後の膨大な(音読シリーズ)の出版に接しますと、
少々、不快感を私の身に覚えるようになりました。
このお方は、
(音読の大切さは頭では分かっておられる。それを啓蒙はしておられる)
しかし、
(本当に音読の楽しさを分かっているのだろうか?)
との疑問をもつようになりました。
21年目になるカウンセリング研究会《くりのみ》でも、音読を大事にしてきています。
しかし、齋藤さんと違うところは、
音読のテキストを、絞り込んでいます。
具体的に申しますと、《くりのみ会》では、
道元さんの『正法眼蔵』、懐奘さんの『正法眼蔵随聞記』
親鸞さんの『教行信証』、唯円さんの『歎異抄』
が音読のテキストです。
あれもこれも音読するのではなく、
テキストを絞り込んでの音読、繰り返しての音読が大事だと思うものです。
マア、いろいろの音読があってよろしいでしょう。
テキストを絞り込んでの音読になりますと、出版をできませんから・・・
《くりのみ会》では、愚直に上記のテキストを繰り返し音読していきます。
先師五十嵐正美先生の教えである、
「薫染の読書」「薫染の音読」一筋に歩んでいきます。