里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No52をお届けします。
智慧という言葉は、まず間違えられることのない言葉です。
が、神通となると、ほとんど絶望的です。
けれども、この神通を正しく理解しないと仏教が分からなくなってしまいます。
智慧第一の舎利弗と、神通第一の目連。
実在の仏弟子が、二つの徳目において第一とされています。
小乗の覚りですからね、と軽くあしらうものなのでしょうか。
神通という言葉は、決して奇妙な特殊な超常現象ではありません。
目連尊者が、そんな人だったという記述は何処にもありません。
当時のサンガには、目連尊者がどういう人であり、
どういう生き様を持つ人であるかは、善く知られていたはずです。
漢字では神通は特殊な意味を持ちますが、パーリ語ではアビンニャといいます。
それは智慧の「ンニャ」に「アビ」がつけられた言葉なのです。
阿鼻地獄という言葉がありますが、その阿鼻です。
さらに重い地獄が阿鼻地獄なのです。
ですから神通は、更に深い智慧を意味しています。
目連尊者は、舎利弗と並ぶ智慧の人なのですが、もっと深い人だったと考えられます。
更に、サンガの人々は、おしなべて六つの神通を獲得したと言われています。
舎利弗も摩訶迦葉も最後のアーナンダも、実は同じ智慧の深まりをもっていたのです。
48の本願の中にも、六神通がきちんと載せてあります。
その六つの神通の中から、特に三つを選んで三明と言います。
「宿明智通」と「天眼智通」と「漏尽智通」の三つが、彼らの新しい精神だったのです。
学校で習っても、教える側でも、神通は追及されることはありません。
ということは、仏教の中枢を放棄してしまうのです。
智慧が開けて、神通が展開する。
ここに、自在に生きるサンガの姿があるのですが…。
自らに覚り、自らに覚りの人生を生き抜く。
それが神通(アビンニャ)という言葉が物語る、大切な事実だと思われます。
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