里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No53をお届けします。
真実の宗教というものは、秘密がなくすべてが公開されています。
仏教の覚りでも、すべてが明らかに記述されているものなのです。
覚り・信心・実践行としての念仏などは、すべて智慧と呼ばれるものです。
ブッダの時代には、智慧は「重荷を下ろして生きる」状態をもたらすものでした。
そして更に神通が、人々に実現したと言われています。
神通は、文字にだまされないで下さい。
更なる智慧とか、智慧のまた智慧という意味ですから。
智慧によって人は覚めますが、神通によって極めて個性的に自在に生きます。
そして、覚りには四つの段階が語られています。
1.預流果・2.一來果・3.不還果・4.阿羅漢果というステップでした。
しかしながら、最初の預流果でほとんど覚りは完成しています。
人はもう迷わないのです。
後に大乗の聖者である龍樹も、
菩薩の第一歩である初歓喜地と預流(初)果が通じ合うと言いました。
というよりは、基本的にこの二つに違いがあるはずがないのです。
龍樹の悟り・菩薩としての自覚と、預流果は質的に同じはずなのです。
違っていたら、それはもうどちらかが仏教でなくなります。
その最初の預流果に、三つの明かりと呼ばれる神通が確認されます。
a.「宿明智通」とb.「天眼智通」と、そしてc.「漏尽智通」の三つです。
その宿明智通こそ、覚りの遥かな世界背景です。
言い直すなら、生命の本源を見いだして、本来の人間の尊厳が確認されているのです。
龍樹にも、そして遥かに飛んで親鸞にも、生命の深いは把握がありました。
「たまたま行信をえば、遠く宿縁を慶こべ」という言葉は、生命の尊厳を確認したものです。
それは、真実の流れに預かった・預流果の実体験と言ってよいものなのです。
ブッダも仏弟子も、そして遥かに龍樹や天親たちにも、同じ感動が確認されていたものでした。
預流果の智慧を開くと、古くは三明と呼ばれた「神通」が自然に開かれるのです。
1.生命の本質が見えて、人間の尊厳が確保されます。(宿明智通)
2.そして、まわりを正しく大きく見直します。それが天眼智通なのです。
3.そして煩悩主体で生きてきた人生が一変します。
それが漏尽智通なのですが、煩悩はなくなるのではありません。
煩悩にだまされない、そして本来の人間の確かな大地が明確に見つめられているのです。
聞者・くりのみは、(寄り合い)(語り合い)を大事にした学習会を大事にしています。
主宰・同人として参加している(寄り合い)を紹介します。
◇カウンセリング研究会【くりのみ】 *主宰しています。
◇「歎異抄」うたと語り合い *同人として参加しています。
◇(願海庵)やさしい仏教塾 *同人として参加しています。
(寄り合い)の日程はコチラから。
↓
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm