曽我量深師のことば。
往生の“往”は、“超える” “前向き”ということだ。
往生の“生”は、“生れる”ということのほかに
“生きる”という意味があることを知らなくてはならぬ。
往生は実践だ。生活だ。
往生はたすけられた我々の、こころの生活・精神生活である。
午前中、昨年旅立たれた先輩Mさんのお宅へ。
ご仏前にお線香を手向けさせていただく。
奥様と80歳になる奥様の姉に、「高僧和讃」を教授。
午後、依頼されている本の校正。
夜は、毎週一回の声明学園。
「高僧和讃」六首と八淘の念仏・和讃を教えていただく。
☆写真は、浅草・坂東報恩寺の桜です。
プロフィール
カレンダー
最新記事
最新コメント
- 真聴(鈴木)新太郎/「親鸞和讃」学習会
- yo-サン/「親鸞和讃」学習会
- 真聴/行為的直観
- marco8080/行為的直観
- 真聴/シュトウットガルトからのお客さま
- oli/シュトウットガルトからのお客さま
- yo-サン/「南無阿弥陀仏」と「帰命無量寿覚」
- yo-サン/【落穂拾い】No461 462を更新
- baba/Zoomで「安穏なる時空」の実現!
- 真聴/「念ずれば花ひらく」
バックナンバー
ブックマーク
- goo
- 最初はgoo