デルタ株の感染拡大。パラリンピックの報道の「喧噪」を避けて帰省しています。
冗談ですよ。(笑)
ただ、何事であれ、「喧噪」は好きになれません。
帰省の目的は、生家の見回り。
掃除、裏の野草園と畑の草とり。その他野暮用です。
特に、この夏の季節は、帰省を省きますと大変なことになります。
正直、生家の(裏)ですから誰の目にもとまりません。
野草園に面したアパートの住人が3名ほどが眺めるぐらいかな。
草山になってもなんの問題はありません。迷惑にもなりません。
マア、ボク自身も、
この酷暑の中、何の役にも・誰の役にもならないような草とり作業。
(アホか!)と思うことも度々です。
今日の夕方の作業の時。
若い頃に勤務していた教育研究所教育相談室で
来談する子ども達に【箱庭療法】をやってもらったことを思い出しました。
来談する子は、身心にハンディキャップもったり、
不適応だったり、友達関係にトラブルで困っている子ども達。
小さな砂箱を二つ用意。
一方は、濡れた砂が敷いてあります。
もう一方は、乾燥した砂。
そして、その砂の上に、ミニチュアの遊具を置いて遊びます。
制限時間の中で、セラピストは子どもの変容や成長を援助する心理療法。
さて戻って、ボクの草とり&草払い。
実は、20年程前は平屋の小さな家が建っていました。
居住者が老齢でお亡くなりになり、
八王子に在住していた息子さんが、亡父の遺言で家の解体・整地を業者に依頼。
土地は我が家に所有権がありました。
最初、解体の後の土地の一部分を耕して夏野菜を育てた年もありました。
なんせ大正期の建築。
礎石の石が各所から出てきます。
畑にするのも大変でした。
それに東京在住のボクには、野菜作りは物理的に無理です。
それで、特に計画的ではなかったのですが、成り行きに任せての庭作り。、
数年かけ、大きな石を移動して花壇を作り樹木も植えました。
何とか「野草園」らしくなりました。
マア、なんせ素人。行き当たりばったりの「自己満足」の世界。(笑)
今日夕暮れ時、
野草園になる前の住宅に住んでいたおじさん・おばさんのことを思い出しました。
お二人には子どもがいませんでした。
後に、養子さんを迎えて教育し、八王子のお方です。
ボクが幼少の頃は、養子さんを迎えていませんでしたので、
このおじさん・おあばさんに我が子のように可愛がってもらいました。
草とり&石の移動、そしてお念仏。
古層になっていた出来事を反芻&洞察することができました。
月一回の帰省。
「功利」の物差しで考えたら、零点でしょう。マイナスかな?
でも、こぼれる念仏と(すっからかん)の自分との出会い。
これぞ、老爺の「箱庭療法」かも!
「身心柔軟」。
「安寧」なる時空をいただいています。
南無阿弥陀仏
実物サイズの箱庭は初めてみました。
あっけるほどでっかサイズですね。
まあ、目立つほどのシンボル的な置物は見当たらない?ですね。
人工的な自然さを狙っているようには見えますけど。
ところで私の箱庭作品は、先生とクラスメートから
怖い!と言われました。
私は怖いと言われて、かなり自己満足した覚えがあります。
こんなに蒸し暑いのに、庭作り実際なさったのでしたね。
ひえーと感嘆しました。
うちの庭は広くて、夫が定期的に芝生の管理をしていて、
本当に雑草が茂てきたら
やむを得ず、私が出ます。
この前は虫よけを噴射したのにかかわらず
野生の蚊に刺されて
2週間も痒い思いをしました。
汗でシャワーする感じです。
先生の手創り庭、強いていないほんわかさがありますね。
お久でした。夏も過ぎゆこうとしていますが、思い出すのは北上河原じゃなくて
伊豆稲取でのワークのことです。
箱庭も一時流行りましたね。私も家族療法などシステム理論に関心の頃によくやり
ました。主として不登校等の小中生対象だったかなと。友人の鑑別所の心理専門官
はずいぶん効果的な方法と言ってやっていました。何だか一つの時代が過ぎたような
気がするこの頃です。
私のところの畑など、もうどうしようもないくらいに雑草が繁茂してしまいました。
そのうちにと思いながら、パワーがなくて冬ざれを待つしかないのかもしれません。
それでは季節の変わり目、お身体一入お健やかにと念じます。これにて。
箱庭療法、大学時代に経験している。
機会があったら、直近の作品を作るのも面白かも?
桂蓮さんのところの庭は、グーグルアースで見ましたが広いですよね。
ご主人の芝の管理も大変でしょう。
桂蓮さんのお手伝いも大事ですが、虻はご注意ご注意。
今度来日の時は、伊豆の稲取に招待します。
箱庭療法、大学時代に経験している。
機会があったら、直近の作品を作るのも面白かも?
桂蓮さんのところの庭は、グーグルアースで見ましたが広いですよね。
ご主人の芝の管理も大変でしょう。
桂蓮さんのお手伝いも大事ですが、虻はご注意ご注意。
今度来日の時は、伊豆の稲取に招待します。
ようやく、東京オリパラが終わりましたね。
このコロナ禍。災害レベルなら、中心が良かったと思うのですが・・・老人の発想でしょうか?
昔、ずいぶん箱庭療法が流行しました。
なかなか面白いですが、セラピスト側の力量・感性が問われますね。(マア、何でもそうでしょうが・・・)
セラピストやカウンセラーのグループ研修に取り入れて各各の内面を見つめるのには面白かった記憶があります。
最近は、臨床現場では利用しているのでしょうかねー?
だんだん年を重ねますと、技術的なことよりももっと根源的なことを尋ねたくなります。
緊急事態発令で行動の制約がありますが、ありがたいことに、昨年5月はじめたzoomで教行信証の音読や和讃の学びとカウンセリングを重ねてグループ交流しています。
メンバーは、井戸端が楽しみのようです。
来春になりましたら、少しは動けるようになるのでしょうかねー?
先生と時間関係なく話したいですね。
そういえば、あの時(日本に行った時)
私はまだまだ心理学の分析気持ちが抜けずにいました。
南師との面談も必要に追われていたし、
何事にも、軽薄でした。
今思うと、目標とか、生きる意味とかに
追われていたかと思います。
自分が生きる、生きていい正当化に追われていたのかなー
でも、あの時は
大学での恩師も生きておられたし、
私自身の生き様の模様もまだ鮮明に写っていたのもあって、
追われて、背中押されていたのが
一体全体、何なのか、考える心の余裕が無かったです。
今、そのような勢いはもうとくに消えて
踊って、舞い上がった気分も去ってしまって
なんだ、何だったのかと
ため息ばかりでるみたいな感じです。
バブルのような気持ちに出任せ、された感じです。
いつか、安心して旅行できる日がきたら
先生と気が向くままに話したいですね。