マレーシアの女性映画監督故ヤスミン・アフマドの特集上映が東京渋谷のユーロスペースで16日から一週間にわたって行われるので、その紹介をする。
ヤスミン・アフマド 1958~2009.7.25
6歳で見た「座頭市」に衝撃を受け、イギリス留学を経て、CMで活躍。自分の家族を題材に長編劇映画を撮り始め、6本の作品を残した。ヤスミン・アフマドというマレーシアの女性監督が映画祭で評判になっているということは、数年前から聞いていた。しかし、一本も一般公開されないまま、2年前に急逝してしまった。僕は昨年東京のアテネフランセ文化センターで長編6本を見る機会があった。とても鮮烈な印象を受けたので、多くの人に知って欲しいと思っている。
世界文化の辺境とも言えるマレーシアの地で、民族や宗教や性別にとらわれない人間の豊かな生き方を示したヤスミン・アフマドの映画。敬虔なムスリム(イスラム教徒)だった女性が東南アジアでそういう映画を撮り続けていたのである。僕たちは、9・11以後のもっとも大切な映画作家を失ってしまったのではないかと思うのである。
具体的な映画の紹介は次に回し、今日はまずマレーシアという国の紹介から。世界地理は今の生徒の苦手とするところだけど、中でも東南アジア諸国は皆が苦労するところ。日本との関係も深いし、是非知っておくべきだと思うが、マレーシアと言われても場所もよく判らない人も多いだろう。特にマレー半島南部とカリマンタン島北部の両方にまたがる国家と言うことが理解を難しくさせている。その上、社会的、歴史的に複雑な東南アジア社会の中でも、もっとも複雑な民族構成の社会と言ってもよいのが、マレーシアである。
「マレーシア」という国家自体が、1963年にマラヤ連邦とシンガポール、カリマンタン島北部のサバ、サラワクというイギリスが支配していた領域が合邦して成立した「人工国家」である。オランダ領だったところは「インドネシア」としてすでに独立していたわけだが、当時のスカルノ大統領はマレーシア独立をイギリスの新植民地主義として非難し対決政策を取り、一時インドネシアは国連を脱退したぐらいである。その後、1965年にシンガポールがマレーシアから離脱して独立。1969年5月には、マレーシア史上最大の事件と言えるマレー系と華人の民族衝突が起こり、大きな衝撃を与えた。その後、プミプトラ政策(マレー人優先政策)が取られている。
人口2750万ほどのうち、マレー系が65%、華人系が25%、インド系が7%と言われる。マレー系はマレー語だが、かつての支配言語の英語を話せる人が多い。華人系は広東語と福建語が多いが、北京語(官話)を話せる人も多い。もちろん、英語を話せる人も多いし、華人の英語国家シンガポールとは仕事や結婚でつながりが多い。インド系はゴムのプランテーション労働者だったタミル系が多いので、タミル語が中心。宗教的には、マレー系がイスラム教、華人系が仏教、インド系がヒンドゥー教だが、各民族ともキリスト教徒がいるし、インド系のイスラム教徒もいる。こういう民族、言語、宗教の「ごった煮」状態なのがマレーシアという国なのである。
複雑な社会を反映して、映画の中では「マレー語社会」が描かれてきたと言う。華人系は香港映画をみるし、インド系はタミル語のインド映画を見る。従って、多数派のマレー系のためのマレー語映画が「マレーシア映画」という市場を形成し、当然マレーシアの複雑な民族問題は描かれない。そういうようなマレーシア社会に関する知識がある程度はないと、ヤスミン・アフマドの映画はよく理解できない部分があるだろう。
そんな中で作られたヤスミン・アフマドの出世作「細い目」こそは、マレーシア映画で初めてマレー系少女と華人系少年の恋を題材にした映画なのである。映画の中で広東語がいっぱい出てきて、字幕もつく。映画自体が切ない青春映画の傑作だけど、設定自体がマレーシアではそれまでありえないような映画だったのである。では、具体的な映画作品の紹介は次に。
ヤスミン・アフマド 1958~2009.7.25
6歳で見た「座頭市」に衝撃を受け、イギリス留学を経て、CMで活躍。自分の家族を題材に長編劇映画を撮り始め、6本の作品を残した。ヤスミン・アフマドというマレーシアの女性監督が映画祭で評判になっているということは、数年前から聞いていた。しかし、一本も一般公開されないまま、2年前に急逝してしまった。僕は昨年東京のアテネフランセ文化センターで長編6本を見る機会があった。とても鮮烈な印象を受けたので、多くの人に知って欲しいと思っている。
世界文化の辺境とも言えるマレーシアの地で、民族や宗教や性別にとらわれない人間の豊かな生き方を示したヤスミン・アフマドの映画。敬虔なムスリム(イスラム教徒)だった女性が東南アジアでそういう映画を撮り続けていたのである。僕たちは、9・11以後のもっとも大切な映画作家を失ってしまったのではないかと思うのである。
具体的な映画の紹介は次に回し、今日はまずマレーシアという国の紹介から。世界地理は今の生徒の苦手とするところだけど、中でも東南アジア諸国は皆が苦労するところ。日本との関係も深いし、是非知っておくべきだと思うが、マレーシアと言われても場所もよく判らない人も多いだろう。特にマレー半島南部とカリマンタン島北部の両方にまたがる国家と言うことが理解を難しくさせている。その上、社会的、歴史的に複雑な東南アジア社会の中でも、もっとも複雑な民族構成の社会と言ってもよいのが、マレーシアである。
「マレーシア」という国家自体が、1963年にマラヤ連邦とシンガポール、カリマンタン島北部のサバ、サラワクというイギリスが支配していた領域が合邦して成立した「人工国家」である。オランダ領だったところは「インドネシア」としてすでに独立していたわけだが、当時のスカルノ大統領はマレーシア独立をイギリスの新植民地主義として非難し対決政策を取り、一時インドネシアは国連を脱退したぐらいである。その後、1965年にシンガポールがマレーシアから離脱して独立。1969年5月には、マレーシア史上最大の事件と言えるマレー系と華人の民族衝突が起こり、大きな衝撃を与えた。その後、プミプトラ政策(マレー人優先政策)が取られている。
人口2750万ほどのうち、マレー系が65%、華人系が25%、インド系が7%と言われる。マレー系はマレー語だが、かつての支配言語の英語を話せる人が多い。華人系は広東語と福建語が多いが、北京語(官話)を話せる人も多い。もちろん、英語を話せる人も多いし、華人の英語国家シンガポールとは仕事や結婚でつながりが多い。インド系はゴムのプランテーション労働者だったタミル系が多いので、タミル語が中心。宗教的には、マレー系がイスラム教、華人系が仏教、インド系がヒンドゥー教だが、各民族ともキリスト教徒がいるし、インド系のイスラム教徒もいる。こういう民族、言語、宗教の「ごった煮」状態なのがマレーシアという国なのである。
複雑な社会を反映して、映画の中では「マレー語社会」が描かれてきたと言う。華人系は香港映画をみるし、インド系はタミル語のインド映画を見る。従って、多数派のマレー系のためのマレー語映画が「マレーシア映画」という市場を形成し、当然マレーシアの複雑な民族問題は描かれない。そういうようなマレーシア社会に関する知識がある程度はないと、ヤスミン・アフマドの映画はよく理解できない部分があるだろう。
そんな中で作られたヤスミン・アフマドの出世作「細い目」こそは、マレーシア映画で初めてマレー系少女と華人系少年の恋を題材にした映画なのである。映画の中で広東語がいっぱい出てきて、字幕もつく。映画自体が切ない青春映画の傑作だけど、設定自体がマレーシアではそれまでありえないような映画だったのである。では、具体的な映画作品の紹介は次に。