関東も梅雨明けし、脳ミソの融点を超えるような猛暑が続いている。もうあんまりマジメなことを考えたくない気分だけど、昨日の続きだから書いてしまおう。昨日も書いていて、自分であまり面白くない感じがした。それは何故かと考えてみて、こういうブログの意味は何かと思った。それは反対論を書いたり、こういう問題もあるという別視点を出すことにあるのだろうと思う。今までは大体そういうことを書いた方が多い。自分の意見を書けば自然にそうなるのである。しかし、この原発事故の補償問題で言えば、結局政府の考えている枠組みに基本的に賛成なのである。原案賛成では書く意味が乏しい。でも、両端の意見を考慮しておく必要はあるし、実はその先の議論をしたいのである。
昨日書いたように、東電倒産処理はかえって事故被災者に不利な面が多い。一方、東電を免責するのはどうか。これは最終解決が法的処理に持ち込まれる可能性が高く、時間がかかって誰にも無理が多いということで、皆が避けようとしている。「東電を免責する」と言っても100%の免責にはならないが、有名になった「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)では、第3条に「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」とある。(下線部、引用者)
東日本大震災が「巨大な天災地変」に当たらないなら、どうなれば該当するのか?東電を倒産させるなら、この条項の適用を求める裁判が起こるだろう。株主の利益を考えれば、東電経営陣はこの条項の適用を政府に求めるべきではないのか。実はそういう質問は株主総会で何回も出されたが、結局は経営陣としてはそれは適当ではないという答えだった。認識としてはという問いでは、認識としては第3条の「巨大な天災地変」にあたると考えるという答弁だった。しかし、その適用をめぐって訴訟となった場合、被害者補償が遅くなり過ぎ、それは被害を与えた企業として望ましくない。政府が現在国会に提出している「原子力損害賠償支援機構法案」(経産省HP)の枠組みで補償に取り組むという答えだった。この問題に関しては、それ以外の考えは僕にも持てない。
国民負担はおかしい(税金を補償に使うな)という議論もあるが、原発は国策として進めてきた経緯からしてそれは通らないだろう。(国は国策としてこんにゃくゼリーやユッケを食べろと言ったわけではない。国は薬害エイズや注射針の使い回しによる肝炎などの感染を防ぐ義務はあっただろう。そういう例を考えると、原発ほど国策として進められ、国が安全を保障していた事例はないのではないか。)佐藤栄佐久前福島県知事の本を読むと「国こそが真のムジナ」だと書いてある。原子力関係にはムジナやタヌキがたくさん住んでいて、その総本山は電力会社ではなく国そのものだという認識である。国といっても、民主国家なんだから結局は国民の責任ということになり、税金で処理するということになる。しかし、原発をどうするかは国政でも地方選挙でも、一番の争点ではない時が多いかもしれないけど、一応は争点になってきた。選挙に行かなかった人も含めて、国民の目に見える形で負担するのはやむを得ないと考えている。つまり所得税、法人税ではなく、消費税で賄うべき。それが国民の責任だと思う。福島県と沖縄県は据え置きでいい。(沖縄は原発がない一方、もう一つの「迷惑施設」の米軍基地があるので。)また、選挙権を認められていない在日外国人には、その分の税金還付をすべきである。
ところで、この原賠法と言う法律はなんなのだろうか?成立したのは1961年で国内で原発が営業開始するずっと前である。いつも法律というのは、問題が起こってからあたふたと後追い的に作られることが多いが、この用意のよさはなんなのだろう?そして、せっかくあるのに、この大震災で適用しないなら、もう二度と第3条が適用されることはないだろう。じゃあ、なんだったのだ?民間企業を危険な原発業務に引きずり込むための巧妙な手段。要するにそういうことだろう。
では、何故そこまでして、原子力発電所を作るのか? ここで、日本の戦後史全体を考える必要が出てくるのではないかと思う。
昨日書いたように、東電倒産処理はかえって事故被災者に不利な面が多い。一方、東電を免責するのはどうか。これは最終解決が法的処理に持ち込まれる可能性が高く、時間がかかって誰にも無理が多いということで、皆が避けようとしている。「東電を免責する」と言っても100%の免責にはならないが、有名になった「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)では、第3条に「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」とある。(下線部、引用者)
東日本大震災が「巨大な天災地変」に当たらないなら、どうなれば該当するのか?東電を倒産させるなら、この条項の適用を求める裁判が起こるだろう。株主の利益を考えれば、東電経営陣はこの条項の適用を政府に求めるべきではないのか。実はそういう質問は株主総会で何回も出されたが、結局は経営陣としてはそれは適当ではないという答えだった。認識としてはという問いでは、認識としては第3条の「巨大な天災地変」にあたると考えるという答弁だった。しかし、その適用をめぐって訴訟となった場合、被害者補償が遅くなり過ぎ、それは被害を与えた企業として望ましくない。政府が現在国会に提出している「原子力損害賠償支援機構法案」(経産省HP)の枠組みで補償に取り組むという答えだった。この問題に関しては、それ以外の考えは僕にも持てない。
国民負担はおかしい(税金を補償に使うな)という議論もあるが、原発は国策として進めてきた経緯からしてそれは通らないだろう。(国は国策としてこんにゃくゼリーやユッケを食べろと言ったわけではない。国は薬害エイズや注射針の使い回しによる肝炎などの感染を防ぐ義務はあっただろう。そういう例を考えると、原発ほど国策として進められ、国が安全を保障していた事例はないのではないか。)佐藤栄佐久前福島県知事の本を読むと「国こそが真のムジナ」だと書いてある。原子力関係にはムジナやタヌキがたくさん住んでいて、その総本山は電力会社ではなく国そのものだという認識である。国といっても、民主国家なんだから結局は国民の責任ということになり、税金で処理するということになる。しかし、原発をどうするかは国政でも地方選挙でも、一番の争点ではない時が多いかもしれないけど、一応は争点になってきた。選挙に行かなかった人も含めて、国民の目に見える形で負担するのはやむを得ないと考えている。つまり所得税、法人税ではなく、消費税で賄うべき。それが国民の責任だと思う。福島県と沖縄県は据え置きでいい。(沖縄は原発がない一方、もう一つの「迷惑施設」の米軍基地があるので。)また、選挙権を認められていない在日外国人には、その分の税金還付をすべきである。
ところで、この原賠法と言う法律はなんなのだろうか?成立したのは1961年で国内で原発が営業開始するずっと前である。いつも法律というのは、問題が起こってからあたふたと後追い的に作られることが多いが、この用意のよさはなんなのだろう?そして、せっかくあるのに、この大震災で適用しないなら、もう二度と第3条が適用されることはないだろう。じゃあ、なんだったのだ?民間企業を危険な原発業務に引きずり込むための巧妙な手段。要するにそういうことだろう。
では、何故そこまでして、原子力発電所を作るのか? ここで、日本の戦後史全体を考える必要が出てくるのではないかと思う。