尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

カズオ・イシグロを読む

2011年07月03日 22時49分53秒 | 〃 (外国文学)
 カズオ・イシグロの小説をまとめ読み。長編6作、短編集1冊がすべて翻訳され、ハヤカワ文庫epiに入っている。「わたしを離さないで」の映画化に合わせて大型書店では平積みしてる。「日の名残り」が映画化されたのは1993年のことだが(日本公開1994年)、その頃買った文庫本をずっと読んでなかった。今回まとめて読んでみて、とても読みやすくて面白いことに驚いた。こんな読みやすい作家とは思わなかった。現代文学の作品は読みにくいものが多いけれど。

 作品評価を★マークで示す。満点は★5つで、イシグロ作品にそれはない。4つで読むべき傑作。3つで読んで損はない。2つで普通は読まなくても。☆はおまけ。自分の感覚で勝手につけただけ。

遠い山なみの光(女たちの遠い夏) ★★★
浮世の画家            ★★
日の名残り            ★★★★
充たされざる者          ★★
私たちが孤児だったころ    ★★★☆
わたしを離さないで       ★★★★
夜想曲               ★★★☆

 今までのところ、やはり世評通り「日の名残り」「わたしを離さないで」がとても傑作で、短編集「夜想曲」も面白さでは抜群である。(初めての人にとっつきやすいのはこれ。コメディの才能がこんなにあるとは思わなかった。これから読むといいかもしれない。)一方「浮世の画家」は僕には案外つまらなかった。悪夢のような世界の「充たされざる者」は決して読みにくい小説ではないのだが、何しろ950ページもあるし筋があるような無いような夢語りだから、小説が好きな人以外は敬遠した方がいいと思う。最後まで読み通すのに苦労してしまった。

 第1作の「遠い山なみの光」は、「女たちの遠い夏」の名前で出ていた「ちくま文庫」で読んだ。原爆投下を受けた戦後直後の長崎が舞台になっているが、イシグロは長崎に4歳まで住んでいて英国に移住した。幼いころの日本のイメージを自分なりに小説に昇華したのだろうけど、どうも日本らしくない感じがする。林京子の小説や佐多稲子「樹影」などを思い浮かべると、ずいぶん違う。小野寺健氏の翻訳が素晴らしく、そこが読みどころ。小説としては、「戦後の女たち」の物語として、物語性は少ないが一定の評価はできると思う。少なくとも次作の「浮世の画家」より面白い。

 「わたしたちが孤児だったころ」は戦前の英国で探偵として成功した主人公が、昔上海で失踪したまま行方不明の両親を探しに戻るという話。ミステリーの枠組みが使われているが、日中戦争の描写などがよくわからない「不思議空間」になっている。一応筋に決着はつくが、純文学であり探偵小説ではない。中国の上海租界という場所の描き方が僕にはよくわからないので、評価が難しい。

 イシグロの小説は(ほぼ)一人称の語りで進むので、外国文学としては大変読みやすい。ただし気をつけなくてはいけないが、普通一人称小説だと作家=主人公のことが多く、主人公に感情移入して読むことが前提となっている。それに対し、イシグロ作品では主人公に感情移入しにくいのである。あえてそういう人物を選んで、語りの主体としている。それでは面白くなさそうな感じだが、これが面白いのである。尋常ならざる語りの才能だと思う。が、それでどうしたという読後感も残る。

 「日の名残り」は、戦前に英国のお屋敷に執事として仕えた男の一代記。そんな話の何が面白いのかと思うけれど、これがうそみたいに面白くてどんどん読み進む。が、結局「執事道」の話は今やどうでもいいので、なんかダマされたみたいな気もする。確かに随所で、人生の深淵、人生の岐路に直面する。歴史の一場面に立ち会うといってもいい。その語りは実にうまく計算されていて、政治性を隠ぺいするという「執事の政治性」をあぶりだす。すごくうまくて、これでブッカー賞を取ったのも納得。映画では、アンソニー・ホプキンスが執事を演じ、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターに並ぶ名演だった。作品、監督など様々な部門でも米国アカデミー賞にノミネートされた。

 「わたしを離さないで」は、独特の設定(パラレルワールドものSFによくあるような)がすべてなので、未読、未見の方のためにネタばらしは書かない。しかし、映画は青春期以後が中心にならざるを得ないが、小説は児童期が長く、ドイツのギムナジウムで展開する少年小説のような趣があった。原題は歌の題から取っているが、それは映画を見ると聞くことができる。映画も悪くないけど、この原作は素晴らしく、心を揺さぶられる。非常に特異な設定で、それをどう思うか、乗れるかにもかかっているが、今までのところイシグロの最高傑作だろうと思う。

 名前の通り元々は日本人だが、4歳で離日している以上、小説体験は英語で始まったと思う。芥川賞作家の楊逸、あるいはコンラッド、ナボコフなどのような「亡命作家」の系譜ではなく、親の移住で幼児期に居を外国に移しそこで表現活動を始めた「移民作家」である。小説家としての母語は英語(イングランド語)だろう。だけどアイデンティティ不明の設定、状況は彼の小説にはよく登場してきて、それはやはりイシグロの実体験を反映しているものだと思う。(カズオ・イシグロは2017年のノーベル文学賞を受けた。この記事を書いた後、2015年に「忘れられた巨人」を発表しているが、未読。)
コメント (1)
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