ケニアの女性環境運動家でノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさん死去。71歳。日本でも「もったいない」運動で知られていた。関係の深かった毎日新聞から引用。
「ノーベル平和賞受賞者で、毎日新聞とともにMOTTAINAI(もったいない)キャンペーンを推進してきたケニアの元副環境相、ワンガリ・マータイさんが25日深夜(日本時間26日未明)、ケニア・ナイロビのナイロビ病院で卵巣がんのため死去した。71歳。マータイさんは昨年、卵巣にがんが見つかり、昨年8月にニューヨークで手術したが、今月になって再発した。
1940年生まれ。ケニア中部ニエリ周辺の農村で生まれ育ち、生物学者を志した。渡米しカンザス州の大学で学士号、ピッツバーグ大で修士号(生物学)を取得。71年にはナイロビ大(ケニア)で東アフリカの女性として初の博士号(獣医学)を得た。
「開発」の名のもとの環境破壊と開発の恩恵から阻害される市民の姿を目の当たりにしたことをきっかけに、環境保護活動に踏み出し、77年に農村地帯の女性に植樹を通じて社会参加を呼び掛ける「グリーンベルト運動」を創設。8万人以上が参加し4000万本以上を植える活動に発展し、アフリカ各国にも拡大した。運動は、環境保護活動と女性の地位向上、貧困撲滅、民主化促進などを結びつけて展開するものであるため、強権的なモイ前政権の弾圧対象となり、発電所建設を巡る森林伐採反対運動で逮捕・投獄された経験もある。
モイ政権後の02年の選挙で国会議員に当選し、その後、副環境相に就任。環境保護と民主化への取り組みの功績が評価を受け、04年に環境分野で初で、アフリカ人女性としても初のノーベル平和賞受賞者となった。受賞翌年の05年に毎日新聞の招きで来日し、編集局長との対談で、「もったいない」という日本語に出会い、共感。「資源を有効利用する『もったいない』を世界に広めたい」と、毎日新聞などとMOTTAINAIキャンペーンを展開した。09年には国連平和大使に就任、旭日大綬章を受章した。」
さすがに詳しいです。(朝日や読売のサイトと比べれば一目瞭然。)付け加えることがない。
ケニアは独立後、ケニヤッタ、モイの長期政権が続き、91年から複数政党制が導入されたものの民族紛争と政争が続き、政治の世界でのマータイさんは必ずしも活躍できなかったと思います。
ノーベル平和賞は有名政治家や国際機関に与えられてしまう年が多いけど、時に市民運動家、人権運動家に与えられる年があります。マータイさんは環境運動家として初、アフリカ女性として初の受賞で新しい歴史を作りました。前年の2003年受賞者であるイランの女性人権弁護士シーリーン・エバディ、1997年のアメリカの地雷反対運動家ジョディ・ウィリアムズ、1992年のグアテマラの先住民人権運動家リゴベルタ・メンチュウ、1991年のアウン・サン・スーチー、1979年のマザー・テレサなどが、女性の平和賞受賞者として思い浮かびます。もうすぐノーベル賞の発表の季節ですが、日本人は医学・生理学賞、物理学賞、文学賞などはあるかもしれないけど、平和賞だけは絶対ないですね。昨年の劉暁波氏のように(中国は反対してるけど)、政治家や国際機関ではなく、実際に平和と人権のために危険を顧みず活動している人に与えられるのがノーベル平和賞の役割ではないかと思います。ワンガリ・マータイの記憶のために書きました。
「ノーベル平和賞受賞者で、毎日新聞とともにMOTTAINAI(もったいない)キャンペーンを推進してきたケニアの元副環境相、ワンガリ・マータイさんが25日深夜(日本時間26日未明)、ケニア・ナイロビのナイロビ病院で卵巣がんのため死去した。71歳。マータイさんは昨年、卵巣にがんが見つかり、昨年8月にニューヨークで手術したが、今月になって再発した。
1940年生まれ。ケニア中部ニエリ周辺の農村で生まれ育ち、生物学者を志した。渡米しカンザス州の大学で学士号、ピッツバーグ大で修士号(生物学)を取得。71年にはナイロビ大(ケニア)で東アフリカの女性として初の博士号(獣医学)を得た。
「開発」の名のもとの環境破壊と開発の恩恵から阻害される市民の姿を目の当たりにしたことをきっかけに、環境保護活動に踏み出し、77年に農村地帯の女性に植樹を通じて社会参加を呼び掛ける「グリーンベルト運動」を創設。8万人以上が参加し4000万本以上を植える活動に発展し、アフリカ各国にも拡大した。運動は、環境保護活動と女性の地位向上、貧困撲滅、民主化促進などを結びつけて展開するものであるため、強権的なモイ前政権の弾圧対象となり、発電所建設を巡る森林伐採反対運動で逮捕・投獄された経験もある。
モイ政権後の02年の選挙で国会議員に当選し、その後、副環境相に就任。環境保護と民主化への取り組みの功績が評価を受け、04年に環境分野で初で、アフリカ人女性としても初のノーベル平和賞受賞者となった。受賞翌年の05年に毎日新聞の招きで来日し、編集局長との対談で、「もったいない」という日本語に出会い、共感。「資源を有効利用する『もったいない』を世界に広めたい」と、毎日新聞などとMOTTAINAIキャンペーンを展開した。09年には国連平和大使に就任、旭日大綬章を受章した。」
さすがに詳しいです。(朝日や読売のサイトと比べれば一目瞭然。)付け加えることがない。
ケニアは独立後、ケニヤッタ、モイの長期政権が続き、91年から複数政党制が導入されたものの民族紛争と政争が続き、政治の世界でのマータイさんは必ずしも活躍できなかったと思います。
ノーベル平和賞は有名政治家や国際機関に与えられてしまう年が多いけど、時に市民運動家、人権運動家に与えられる年があります。マータイさんは環境運動家として初、アフリカ女性として初の受賞で新しい歴史を作りました。前年の2003年受賞者であるイランの女性人権弁護士シーリーン・エバディ、1997年のアメリカの地雷反対運動家ジョディ・ウィリアムズ、1992年のグアテマラの先住民人権運動家リゴベルタ・メンチュウ、1991年のアウン・サン・スーチー、1979年のマザー・テレサなどが、女性の平和賞受賞者として思い浮かびます。もうすぐノーベル賞の発表の季節ですが、日本人は医学・生理学賞、物理学賞、文学賞などはあるかもしれないけど、平和賞だけは絶対ないですね。昨年の劉暁波氏のように(中国は反対してるけど)、政治家や国際機関ではなく、実際に平和と人権のために危険を顧みず活動している人に与えられるのがノーベル平和賞の役割ではないかと思います。ワンガリ・マータイの記憶のために書きました。