熊本は観光で行ったわけではないのですが、まあ、観光というか史跡や温泉も回ったので、そのまとめ。昔南九州を車で回った時に、人吉、阿蘇、黒川温泉に泊まったことがあるけど、市内は夏で暑くてあきらめたままになっていた。
1日目。空港について市内に出るともう2時頃なので、まあお城かなと。熊本城天守閣は1960年に再建された。多くの城は維新直後に壊されたか、空襲で焼けたわけだが、ここは1877年の西南戦争で焼けたのである。もともとは加藤清正が1600年頃に天守閣を築いたもので、近江の石積み職人集団である穴太(あのう)衆を呼び寄せて壮大な石垣を築いた。日本3名城とも言われるらしいが、まあ現存でないのが残念だけど素晴らしい城。加藤清正をどう考えるかは難しいけれど、2代で滅ぼされ細川家が続くことになる。



2日目。
車を借りて、その加藤清正の墓所である本妙寺へまず。本妙寺はハンセン病の歴史に出てくるところで、加藤清正がハンセン病だったという伝説もあり、本妙寺前には多くの患者たちがいたという。これを明治時代にイギリス人伝道師ハンナ・リデルが見てショックを受けて病院を開くことになる。そのハンセン病者たちは1940年に国家権力による強制収容を受けた。「本妙寺事件」として名高い。そこから山道を飛ばして、霊巌洞(れいがんどう)へ。ここは晩年になって細川家につとめた宮本武蔵がこもって「五輪書」を書いたという洞窟である。

そこから少し行くと、漱石が「草枕」の舞台である小天(おあま)温泉。そこには「草枕交流館」、漱石が滞在した前田家などがある。小高い丘の上に草枕温泉「てんすい」もある。お湯がたっぷり出ている大風呂に加え、雲仙を見晴らせる露天風呂、「草枕」風呂(前田家の風呂の再現)などがあり、お湯も素晴らしいし、素晴らしい温泉。立ち寄り湯ベストテンに入るのではないか。宿泊も可能。一方、小天温泉の一軒宿が「那古井館」。ここも素晴らしい湯で、一度泊まってみたい旅館。ところで「てんすい」で知ったのだが、ここは笠智衆の生誕地で名誉町民だったという。また、交流館ではピアニストのグレン・グールドが「草枕」の影響を受けていて、そこから「草枕」を読む人が多いのだと聞いた。グレン・グールドは僕も大好き。


(左は今は使えない前田家の風呂。中は那古井館の風呂)
「草枕」に出てくる女性那美のモデルは、前田槌(つち)という女性だということだが、実際のツチは宮崎滔天(とうてん)の妻だった。ということで、今度は少し足を延ばし、荒尾市の宮崎兄弟資料館へ。宮崎滔天は孫文の支援者で、素晴らしく面白い「三十三年之夢」という回想録がある。今年は辛亥革命100周年。中国人の若い館員もいて説明を受ける。滔天は兄弟も興味深いし、子供の龍介も語りたいがやめておく。滔天は一時浪曲師桃中軒雲右衛門に弟子入りして牛右衛門を名乗った。1976年に文学座が上演した宮本研の「夢・桃中軒牛右衛門の」を見て感激したものだ。これは僕が見た劇のベスト5に入る。宮崎兄弟のことは、「革命」というテーマが僕らの社会から消えてしまい忘れられている感じがする。しかし、社会改革と国際連帯の可能性を考えるとき、今でも血の出るような生々しいドラマを展開したのが宮崎滔天と言う存在だと思う。

(中国語の案内と孫文との面会の再現)
さて、田原坂(たばるざか=西南戦争の激戦地)を見て、熊本へ戻り、急いで「リデル・ライト資料館」へ。先に書いた本妙寺で衝撃を受けたハンナ・リデルとその姪エッダ・ライトは、キリスト教に基づくハンセン病専門病院「回春病院」を開いた。日本のハンセン病史の中に大きく出てくるところ。現在は「リデルライト記念老人ホーム」となっており、リデル女史の心は受け継がれている。素晴らしくきれいな洋館の記念館が老人ホームの裏に立っている。


3日目。2日目は車であちこち回ったが、3日目は市電で。市電のある町なのだ。この市電が宣伝の絵が描いてあったりして面白いのだが、うまく写真が取れなかった。漱石の家もあるけどザット見ただけ。水前寺公園が有名だから行ってみた。暑かったけど。近くに文学館もあり、徳永直とか中村汀女が熊本生まれだった。漱石は熊本に4年いて結婚もしているが、1年しかいなかった松山の方が「坊ちゃん」で知られてしまった。そこから市電と熊本電鉄を乗り継いでハンセン病療養所菊池恵楓園へ。その話は別に。しかし、上熊本駅から北熊本駅までの短期間を走る熊本電鉄の支線は、いまどき冷房もない、扇風機の電車でびっくりした。今は鉄道にそれほど関心はないのだが、これは有名なんでしょうか。

1日目。空港について市内に出るともう2時頃なので、まあお城かなと。熊本城天守閣は1960年に再建された。多くの城は維新直後に壊されたか、空襲で焼けたわけだが、ここは1877年の西南戦争で焼けたのである。もともとは加藤清正が1600年頃に天守閣を築いたもので、近江の石積み職人集団である穴太(あのう)衆を呼び寄せて壮大な石垣を築いた。日本3名城とも言われるらしいが、まあ現存でないのが残念だけど素晴らしい城。加藤清正をどう考えるかは難しいけれど、2代で滅ぼされ細川家が続くことになる。



2日目。
車を借りて、その加藤清正の墓所である本妙寺へまず。本妙寺はハンセン病の歴史に出てくるところで、加藤清正がハンセン病だったという伝説もあり、本妙寺前には多くの患者たちがいたという。これを明治時代にイギリス人伝道師ハンナ・リデルが見てショックを受けて病院を開くことになる。そのハンセン病者たちは1940年に国家権力による強制収容を受けた。「本妙寺事件」として名高い。そこから山道を飛ばして、霊巌洞(れいがんどう)へ。ここは晩年になって細川家につとめた宮本武蔵がこもって「五輪書」を書いたという洞窟である。

そこから少し行くと、漱石が「草枕」の舞台である小天(おあま)温泉。そこには「草枕交流館」、漱石が滞在した前田家などがある。小高い丘の上に草枕温泉「てんすい」もある。お湯がたっぷり出ている大風呂に加え、雲仙を見晴らせる露天風呂、「草枕」風呂(前田家の風呂の再現)などがあり、お湯も素晴らしいし、素晴らしい温泉。立ち寄り湯ベストテンに入るのではないか。宿泊も可能。一方、小天温泉の一軒宿が「那古井館」。ここも素晴らしい湯で、一度泊まってみたい旅館。ところで「てんすい」で知ったのだが、ここは笠智衆の生誕地で名誉町民だったという。また、交流館ではピアニストのグレン・グールドが「草枕」の影響を受けていて、そこから「草枕」を読む人が多いのだと聞いた。グレン・グールドは僕も大好き。



「草枕」に出てくる女性那美のモデルは、前田槌(つち)という女性だということだが、実際のツチは宮崎滔天(とうてん)の妻だった。ということで、今度は少し足を延ばし、荒尾市の宮崎兄弟資料館へ。宮崎滔天は孫文の支援者で、素晴らしく面白い「三十三年之夢」という回想録がある。今年は辛亥革命100周年。中国人の若い館員もいて説明を受ける。滔天は兄弟も興味深いし、子供の龍介も語りたいがやめておく。滔天は一時浪曲師桃中軒雲右衛門に弟子入りして牛右衛門を名乗った。1976年に文学座が上演した宮本研の「夢・桃中軒牛右衛門の」を見て感激したものだ。これは僕が見た劇のベスト5に入る。宮崎兄弟のことは、「革命」というテーマが僕らの社会から消えてしまい忘れられている感じがする。しかし、社会改革と国際連帯の可能性を考えるとき、今でも血の出るような生々しいドラマを展開したのが宮崎滔天と言う存在だと思う。


さて、田原坂(たばるざか=西南戦争の激戦地)を見て、熊本へ戻り、急いで「リデル・ライト資料館」へ。先に書いた本妙寺で衝撃を受けたハンナ・リデルとその姪エッダ・ライトは、キリスト教に基づくハンセン病専門病院「回春病院」を開いた。日本のハンセン病史の中に大きく出てくるところ。現在は「リデルライト記念老人ホーム」となっており、リデル女史の心は受け継がれている。素晴らしくきれいな洋館の記念館が老人ホームの裏に立っている。


3日目。2日目は車であちこち回ったが、3日目は市電で。市電のある町なのだ。この市電が宣伝の絵が描いてあったりして面白いのだが、うまく写真が取れなかった。漱石の家もあるけどザット見ただけ。水前寺公園が有名だから行ってみた。暑かったけど。近くに文学館もあり、徳永直とか中村汀女が熊本生まれだった。漱石は熊本に4年いて結婚もしているが、1年しかいなかった松山の方が「坊ちゃん」で知られてしまった。そこから市電と熊本電鉄を乗り継いでハンセン病療養所菊池恵楓園へ。その話は別に。しかし、上熊本駅から北熊本駅までの短期間を走る熊本電鉄の支線は、いまどき冷房もない、扇風機の電車でびっくりした。今は鉄道にそれほど関心はないのだが、これは有名なんでしょうか。

