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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

鄭義信の映画「焼肉ドラゴン」

2018年07月07日 23時53分33秒 | 映画 (新作日本映画)
 鄭義信(チョン・ウィジン)の初監督映画「焼肉ドラゴン」。1970年の大阪万博前後、「在日朝鮮人」の焼肉屋一家の物語を通して家族や歴史を描く。2008年に新国立劇場で上演されて大評判になった戯曲「焼肉ドラゴン」の作家本人による映画化である。僕はこの劇を見ていない。当時は夜の時間帯の勤務だから、見逃している劇が多い。評判を聞いてチケットを取ろうと思ったけど、土日は一杯だった。その後再演、再再演があったが、そんなにすぐは売り切れないだろうと油断していたら、あっという間に売り切れていた。だから今回初めて話を知ったのである。

 大阪空港近くの騒音がうるさい国有地に、在日朝鮮人の集落がああった。金龍吉は焼肉屋をやっていて、主人の名から「焼肉ドラゴン」と呼ばれていた。妻の高英順とともに4人の子どもを育てている。上の二人は父と前妻の間の子、3人目の娘は妻の連れ子、一番下の男の子、時生は二人の間の子だが、日本の私立学校でいじめられて不登校がちだ。金龍吉は戦争で片腕を失い、戦後は故郷の済州島に帰るつもりが「4・3事件」で帰れなくなった。同じく事件から逃げてきた妻と知り合い焼肉屋として働いてきたが、市からは国有地の立ち退きを求められていた。

 三人の娘といじめられる時生の人生が物語の中心。長女・静花は真木よう子、次女・梨花は井上真央、三女・美花は桜庭ななみとさすがに映画版になると豪華キャストである。劇はもともと日韓の協力で企画されていて、両親は韓国人俳優がキャスティングされていた。映画でも父はキム・サンホ、母はイ・ジョンウンという韓国の俳優が演じている。日本の映画で「朝鮮人」が明示されて出てくる映画がいくつかあるが、高く評価された行定勲監督「GO」の両親役は山崎努大竹しのぶだった。これでは映画的記憶にジャマされて、名演していてもマイノリティに見えない。

 その点、「焼肉ドラゴン」の両親はやっぱりどうしてもトツトツとした大阪弁になるから、「一世らしさ」を感じさせる。全体的にはセットを使いながら演劇性の強い演出になっている。長女をめぐって、大泉洋ハン・ドンギュが返杯を繰り返すシーン、あるいは三女の結婚をめぐって父が戦争以来の一代記を語り「働いて、働いた」と繰り返すシーン。長いワンショットで撮影される忘れがたい場面だが、映像で見せるというよりセリフの力、シチュエーションの力で圧倒する。

 そういうタイプの物語で、エネルギッシュなマイノリティの民族誌とも言える。ヤン・ソギルの原作を崔洋一が映画化した「血と骨」を思い出すが、あの物語では父親が「モンスター」だった。映画ではビートたけしの圧倒的な印象が忘れがたい。「焼肉ドラゴン」では父親の金龍吉が済州島生まれの一世としては異例なほど暴力的ではない。でも、時生に対しては「いじめられても負けるな」と強さを求めて悲劇を呼ぶ。「パッチギ」のような「暴力」がなく、政治的な争いも描かれない。韓国との国交正常化から数年、60年代末にはもっと総連(北)と民団(南)の激しい対立があったと思うが、そういうことは描かないということなんだろう。

 当時はまだ「在日」という言葉もそれほど使われなかった。(本国では「在日僑胞(チェイルキョッポ)が多少下に見る感じで使われていたが。)日本では戦前来の「チョーセンジン」と呼ばれることが多かった。時生の机にもそう書かれていた。つまりまだ「在日朝鮮・韓国人」などと呼ばれて、日本で生きていくことが自明視されるようになる「三世以後」ではない。そんな時代に娘三人がそれぞれの場所に散ってゆく。「コリア民族のディアスポラ」の物語である。娘たちのその後に思いをはせると気にかかることが多い。しかし、一生を働いてきた父は家を明け渡しながら、こんな日は明日を信じられると言って終わる。まあ映画になって多くの人が接しやすくなったのは良いことだ。僕は今では鄭義信の劇はすぐにチケットを取るようにしていて、今年も「赤道の下のマクベス」を見た。
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ウディ・アレン「女と男の観覧車」

2018年07月07日 21時24分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 オウム真理教幹部の死刑執行があったからだろう、ちょっと前に書いた「ワールドカップ16強、死刑があるのは日本だけ!」が突然読まれていてビックリ。オウム真理教や死刑制度の問題はもっと書くべきことがあるんだけど、今あんまり考えたくない気がする。ワールドカップを書く気もなんだか減退してしまった。日常的に新作映画は見ているから、忘れないうちにまず映画の話を。

 僕の大好きなロマン・ポランスキー監督(1933~)が撮った「告白小説、その結末」。面白くはあるが、どうもポランスキーの全盛期から遠いなあと思う。「ガザの美容室」も興味深い。さすがにガザ地区では撮れず、ヨルダンで撮影したというが、外部の戦闘に閉じ込められた美容室の女性像を描き分ける。ジョージ・キューカーの戦前の喜劇「女たち」や石田民三監督の「花ちりぬ」のように女性しか出て来ない映画がある。これもそうかと思うと、ラスト近くに男性が出てきた。同じガザ地区の女性でも様々な考え方の違いがある。ガザ地区出身の兄弟監督の作品。

 僕が一番好きなのは、ウディ・アレンの新作「女と男の観覧車」(Wonder Wheel)。アレンは1935年生まれで、もう82歳になる。ちなみにポランスキーは1933年、クリント・イーストウッドやジャン=リュック・ゴダールは1930年、山田洋次は1931年の生まれで、皆さん達者なもんである。でも未だ現実を描きたがっている監督と違って、ウディ・アレンはノスタルジックな人間観照に徹している。でも甘さは全くなくて、そのビターな人間認識には驚く。いまさらアレン映画に新たな芸術的高みは求めないけど、単にロマンティックな夢物語にはなってない。

 そこは1950年代初めのコニ―アイランド。ニューヨークのブルックリン南部の観光地である。何でアイランドなのかと思って調べたら、ホントに昔は島だった。アメリカの大衆文化にはよく登場するが、この映画ほど出てくるのも珍しい。語り手でもあるミッキーは戦争から戻って、ニューヨーク大で演劇の勉強をしながら、夏は7番ビーチの監視員をしている。彼は年上のギニーとビーチで出会って、惹かれあう。ギニーは元女優だが、今は遊園地のウェートレスだ。火をつける悪い趣味を持つ子供を抱え、メリー・ゴーランドの管理人ハンプティと結婚している。

 昔の夢を忘れかねるギニーをケイト・ウィンスレットが絶妙に演じている。演劇の話などされると、ついクラクラとミッキーに溺れてしまう。そんなところにハンプティの娘、キャロライナが転がりこんでくる。彼女は20歳の時に父の反対を押し切ってイタリア人のギャングと結婚してしまった。その時は燃え上がっていたけれど、やっぱり横暴な夫とはうまく行かず、別れた後にFBIに聞かれて組織の内情を全部ばらしてしまったらしい。今じゃ、ギャング組織に命をねらわれ、縁を切ったはずの実父に助けを求めてくる。不仲だって知ってるから、ここならバレないということで。
 (キャロライナ)
 もうどうなるかは目に見えている。やっぱりミッキーはキャロライナと出会ってしまうし、そうなると年上のギニーより、ピチピチした若い子の方が好ましいような気もしてくる。ギャングに追われて逃げているのもロマンティックだし…。キャロライナは義母の不倫関係を知らないから、何でも相談してしまうし、ギニーのやるせなさは募るばかり。こうした展開はステロタイプ(類型)そのもので、もうそうなるだろう通りに展開する。画面の人物にはイマドキと思えないほど照明が当たっていて、キラキラと輝いている。それがいやが上にもノスタルジックなムードを高めている。舞台は全部コニ―アイランドというのも、懐かしい感じなんだと思う。新しいものはないけど、劇作のうまさには感心する。今でもウディ・アレンを見るたびに、また見ちゃったけどやっぱりいいなあと思う。
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