鄭義信(チョン・ウィジン)の初監督映画「焼肉ドラゴン」。1970年の大阪万博前後、「在日朝鮮人」の焼肉屋一家の物語を通して家族や歴史を描く。2008年に新国立劇場で上演されて大評判になった戯曲「焼肉ドラゴン」の作家本人による映画化である。僕はこの劇を見ていない。当時は夜の時間帯の勤務だから、見逃している劇が多い。評判を聞いてチケットを取ろうと思ったけど、土日は一杯だった。その後再演、再再演があったが、そんなにすぐは売り切れないだろうと油断していたら、あっという間に売り切れていた。だから今回初めて話を知ったのである。

大阪空港近くの騒音がうるさい国有地に、在日朝鮮人の集落がああった。金龍吉は焼肉屋をやっていて、主人の名から「焼肉ドラゴン」と呼ばれていた。妻の高英順とともに4人の子どもを育てている。上の二人は父と前妻の間の子、3人目の娘は妻の連れ子、一番下の男の子、時生は二人の間の子だが、日本の私立学校でいじめられて不登校がちだ。金龍吉は戦争で片腕を失い、戦後は故郷の済州島に帰るつもりが「4・3事件」で帰れなくなった。同じく事件から逃げてきた妻と知り合い焼肉屋として働いてきたが、市からは国有地の立ち退きを求められていた。

三人の娘といじめられる時生の人生が物語の中心。長女・静花は真木よう子、次女・梨花は井上真央、三女・美花は桜庭ななみとさすがに映画版になると豪華キャストである。劇はもともと日韓の協力で企画されていて、両親は韓国人俳優がキャスティングされていた。映画でも父はキム・サンホ、母はイ・ジョンウンという韓国の俳優が演じている。日本の映画で「朝鮮人」が明示されて出てくる映画がいくつかあるが、高く評価された行定勲監督「GO」の両親役は山崎努と大竹しのぶだった。これでは映画的記憶にジャマされて、名演していてもマイノリティに見えない。
その点、「焼肉ドラゴン」の両親はやっぱりどうしてもトツトツとした大阪弁になるから、「一世らしさ」を感じさせる。全体的にはセットを使いながら演劇性の強い演出になっている。長女をめぐって、大泉洋とハン・ドンギュが返杯を繰り返すシーン、あるいは三女の結婚をめぐって父が戦争以来の一代記を語り「働いて、働いた」と繰り返すシーン。長いワンショットで撮影される忘れがたい場面だが、映像で見せるというよりセリフの力、シチュエーションの力で圧倒する。
そういうタイプの物語で、エネルギッシュなマイノリティの民族誌とも言える。ヤン・ソギルの原作を崔洋一が映画化した「血と骨」を思い出すが、あの物語では父親が「モンスター」だった。映画ではビートたけしの圧倒的な印象が忘れがたい。「焼肉ドラゴン」では父親の金龍吉が済州島生まれの一世としては異例なほど暴力的ではない。でも、時生に対しては「いじめられても負けるな」と強さを求めて悲劇を呼ぶ。「パッチギ」のような「暴力」がなく、政治的な争いも描かれない。韓国との国交正常化から数年、60年代末にはもっと総連(北)と民団(南)の激しい対立があったと思うが、そういうことは描かないということなんだろう。
当時はまだ「在日」という言葉もそれほど使われなかった。(本国では「在日僑胞(チェイルキョッポ)が多少下に見る感じで使われていたが。)日本では戦前来の「チョーセンジン」と呼ばれることが多かった。時生の机にもそう書かれていた。つまりまだ「在日朝鮮・韓国人」などと呼ばれて、日本で生きていくことが自明視されるようになる「三世以後」ではない。そんな時代に娘三人がそれぞれの場所に散ってゆく。「コリア民族のディアスポラ」の物語である。娘たちのその後に思いをはせると気にかかることが多い。しかし、一生を働いてきた父は家を明け渡しながら、こんな日は明日を信じられると言って終わる。まあ映画になって多くの人が接しやすくなったのは良いことだ。僕は今では鄭義信の劇はすぐにチケットを取るようにしていて、今年も「赤道の下のマクベス」を見た。

大阪空港近くの騒音がうるさい国有地に、在日朝鮮人の集落がああった。金龍吉は焼肉屋をやっていて、主人の名から「焼肉ドラゴン」と呼ばれていた。妻の高英順とともに4人の子どもを育てている。上の二人は父と前妻の間の子、3人目の娘は妻の連れ子、一番下の男の子、時生は二人の間の子だが、日本の私立学校でいじめられて不登校がちだ。金龍吉は戦争で片腕を失い、戦後は故郷の済州島に帰るつもりが「4・3事件」で帰れなくなった。同じく事件から逃げてきた妻と知り合い焼肉屋として働いてきたが、市からは国有地の立ち退きを求められていた。

三人の娘といじめられる時生の人生が物語の中心。長女・静花は真木よう子、次女・梨花は井上真央、三女・美花は桜庭ななみとさすがに映画版になると豪華キャストである。劇はもともと日韓の協力で企画されていて、両親は韓国人俳優がキャスティングされていた。映画でも父はキム・サンホ、母はイ・ジョンウンという韓国の俳優が演じている。日本の映画で「朝鮮人」が明示されて出てくる映画がいくつかあるが、高く評価された行定勲監督「GO」の両親役は山崎努と大竹しのぶだった。これでは映画的記憶にジャマされて、名演していてもマイノリティに見えない。
その点、「焼肉ドラゴン」の両親はやっぱりどうしてもトツトツとした大阪弁になるから、「一世らしさ」を感じさせる。全体的にはセットを使いながら演劇性の強い演出になっている。長女をめぐって、大泉洋とハン・ドンギュが返杯を繰り返すシーン、あるいは三女の結婚をめぐって父が戦争以来の一代記を語り「働いて、働いた」と繰り返すシーン。長いワンショットで撮影される忘れがたい場面だが、映像で見せるというよりセリフの力、シチュエーションの力で圧倒する。
そういうタイプの物語で、エネルギッシュなマイノリティの民族誌とも言える。ヤン・ソギルの原作を崔洋一が映画化した「血と骨」を思い出すが、あの物語では父親が「モンスター」だった。映画ではビートたけしの圧倒的な印象が忘れがたい。「焼肉ドラゴン」では父親の金龍吉が済州島生まれの一世としては異例なほど暴力的ではない。でも、時生に対しては「いじめられても負けるな」と強さを求めて悲劇を呼ぶ。「パッチギ」のような「暴力」がなく、政治的な争いも描かれない。韓国との国交正常化から数年、60年代末にはもっと総連(北)と民団(南)の激しい対立があったと思うが、そういうことは描かないということなんだろう。
当時はまだ「在日」という言葉もそれほど使われなかった。(本国では「在日僑胞(チェイルキョッポ)が多少下に見る感じで使われていたが。)日本では戦前来の「チョーセンジン」と呼ばれることが多かった。時生の机にもそう書かれていた。つまりまだ「在日朝鮮・韓国人」などと呼ばれて、日本で生きていくことが自明視されるようになる「三世以後」ではない。そんな時代に娘三人がそれぞれの場所に散ってゆく。「コリア民族のディアスポラ」の物語である。娘たちのその後に思いをはせると気にかかることが多い。しかし、一生を働いてきた父は家を明け渡しながら、こんな日は明日を信じられると言って終わる。まあ映画になって多くの人が接しやすくなったのは良いことだ。僕は今では鄭義信の劇はすぐにチケットを取るようにしていて、今年も「赤道の下のマクベス」を見た。