オウム真理教事件では13人の死刑が確定していた。そのうち教祖の麻原彰晃(松本智津夫)など7人の死刑が6日に執行された。残る6人はどうなるかと思っていたら、26日にすべて執行されてしまった。これは僕には信じられなかった。「共犯者は同時に執行するのが通例」という人もいる。「残されて執行に怯える日々は残酷」という人もいる。しかし、1年ではなく、1月の間に13人の死刑を執行するとは、現在の「先進国」の例としては考えられないと思っていた。

「現場」にかける負担が大きすぎるんじゃないかと思っていたのである。命令する法相の方も普通なら大変だ。大体の内閣で、通常国会終了後の夏から秋に内閣改造がある。今の第4次安倍内閣は、2017年10月の総選挙後の11月1日に成立した。今年は9月に自民党総裁選があるから、常識的にはその後の新総裁(恐らく安倍総裁)が決まるまでは今のままだろう。7人を執行したことで、上川陽子法相の役目はおしまい。次の執行は次の法相かと思っていた。
執行場所を見てみると、6日の執行では東京=3人(松本、土谷、遠藤)、大阪=2人(井上、新実)、福岡=1人(早川)、広島=1人(中川)だった。26日の執行では、東京=3人(端本、豊田、広瀬)、名古屋=2人(岡崎、横山)、仙台=1人(林)である。大阪と名古屋は、両日に分かれているが、ともに同じ日に二人が執行されている。これは恐らく移送の時点で死刑執行の順番が決められていたということだろう。(なお「懲役」囚は「刑務所」で服役するが、死刑囚の場合は執行されるのが「刑」なので、刑の確定後も拘置所で拘置されている。)
以上で見たように、東京拘置所では3週間の間に6人の執行があった。刑務官は命令が下れば従わざるを得ない立場だが、いくらなんでもこれでは精神的負担が大きすぎるのではないだろうか。どんなに重い罪を犯した重罪犯と言っても、今では長い間拘束されていた弱い人間にすぎない。死刑は執行する側の負担も重い。何でも特別手当が出るらしいが、お金の問題じゃない。ホンネを言うなら、誰かの答弁じゃないけど「それはいくら何でも、いくら何でもご容赦ください」と言いたいんじゃなかろうか。しかし、森友・加計問題を見るまでもなく、「現場」に苦労を押し付けてなんとも思わない安倍内閣である。一月の間にまた大量執行があることも予想しておくべきだった。
今回執行された死刑囚は、オウム真理教事件では「B級戦犯」的な存在である。ドイツおよび日本に対する戦争犯罪裁判では、A級が「平和に対する罪」、つまり戦争そのものを起こした戦争責任が問われた。一方、B級は「通常の戦争犯罪」である。それをオウム事件に当てはめれば、事件全体の首謀者、立案者的立場だった教祖、幹部クラスがA級、命令されて従っただけの兵士レベルがB級と言ってもいいだろう。もちろん「命令されて従っただけ」でも刑事責任はある。それは当然だけど、しかし自ずから刑罰には軽重がある。今回執行されたメンバーの中には、恩赦で罪一等を減じてもいい死刑囚もいたように思う。
オウム真理教事件そのものは別に書きたいと思いつつ、なかなか気持ちがまとまらない。「これでオウム真理教事件の法手続きはすべて終了した」などとマスコミは報じている。何を勘違いしてるんだろうか。無期懲役囚が懲役刑を務めている間は、「法手続き」が続いているじゃないか。無期懲役は終身刑じゃないけど、現在は事実上果てしなく終身刑化が進行している。それはともかく、オウム事件の懲役囚がいる間は事件が続いている。
「自首」が認められて無期懲役になった林郁夫の場合、地下鉄サリン事件で二人の死者と多くの重傷者を出している。一方「自首」しても軽減されなかった岡崎一明、地下鉄サリン事件で死者が出なかった横山真人、坂本弁護士、松本サリンで裁判所も「従属的立場」と認めた端本悟の場合などを考える合わせると、重大犯罪に関わったと言っても刑罰の軽重を人間が決定できるのかと思う。
今回のような大量の死刑執行を見ると、安倍内閣は「外からの批判に聞く耳を持たない」ということがよく判る。アメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、皆同じだ。あるいはトルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、カンボジアのフン・セン首相…。そう言えば同じようなタイプの指導者が増えている。安倍首相の「お友達」が多い。後のアメリカ大統領、テキサス州知事のジョージ・ブッシュは大量の死刑を執行したことで知られる。(その中には国際人権規約で禁じられた犯行時未成年の死刑囚も含まれる。)ブッシュがイラク戦争を始めることを思えば、やはり死刑制度と戦争は深い関係があると思う。

「現場」にかける負担が大きすぎるんじゃないかと思っていたのである。命令する法相の方も普通なら大変だ。大体の内閣で、通常国会終了後の夏から秋に内閣改造がある。今の第4次安倍内閣は、2017年10月の総選挙後の11月1日に成立した。今年は9月に自民党総裁選があるから、常識的にはその後の新総裁(恐らく安倍総裁)が決まるまでは今のままだろう。7人を執行したことで、上川陽子法相の役目はおしまい。次の執行は次の法相かと思っていた。
執行場所を見てみると、6日の執行では東京=3人(松本、土谷、遠藤)、大阪=2人(井上、新実)、福岡=1人(早川)、広島=1人(中川)だった。26日の執行では、東京=3人(端本、豊田、広瀬)、名古屋=2人(岡崎、横山)、仙台=1人(林)である。大阪と名古屋は、両日に分かれているが、ともに同じ日に二人が執行されている。これは恐らく移送の時点で死刑執行の順番が決められていたということだろう。(なお「懲役」囚は「刑務所」で服役するが、死刑囚の場合は執行されるのが「刑」なので、刑の確定後も拘置所で拘置されている。)
以上で見たように、東京拘置所では3週間の間に6人の執行があった。刑務官は命令が下れば従わざるを得ない立場だが、いくらなんでもこれでは精神的負担が大きすぎるのではないだろうか。どんなに重い罪を犯した重罪犯と言っても、今では長い間拘束されていた弱い人間にすぎない。死刑は執行する側の負担も重い。何でも特別手当が出るらしいが、お金の問題じゃない。ホンネを言うなら、誰かの答弁じゃないけど「それはいくら何でも、いくら何でもご容赦ください」と言いたいんじゃなかろうか。しかし、森友・加計問題を見るまでもなく、「現場」に苦労を押し付けてなんとも思わない安倍内閣である。一月の間にまた大量執行があることも予想しておくべきだった。
今回執行された死刑囚は、オウム真理教事件では「B級戦犯」的な存在である。ドイツおよび日本に対する戦争犯罪裁判では、A級が「平和に対する罪」、つまり戦争そのものを起こした戦争責任が問われた。一方、B級は「通常の戦争犯罪」である。それをオウム事件に当てはめれば、事件全体の首謀者、立案者的立場だった教祖、幹部クラスがA級、命令されて従っただけの兵士レベルがB級と言ってもいいだろう。もちろん「命令されて従っただけ」でも刑事責任はある。それは当然だけど、しかし自ずから刑罰には軽重がある。今回執行されたメンバーの中には、恩赦で罪一等を減じてもいい死刑囚もいたように思う。
オウム真理教事件そのものは別に書きたいと思いつつ、なかなか気持ちがまとまらない。「これでオウム真理教事件の法手続きはすべて終了した」などとマスコミは報じている。何を勘違いしてるんだろうか。無期懲役囚が懲役刑を務めている間は、「法手続き」が続いているじゃないか。無期懲役は終身刑じゃないけど、現在は事実上果てしなく終身刑化が進行している。それはともかく、オウム事件の懲役囚がいる間は事件が続いている。
「自首」が認められて無期懲役になった林郁夫の場合、地下鉄サリン事件で二人の死者と多くの重傷者を出している。一方「自首」しても軽減されなかった岡崎一明、地下鉄サリン事件で死者が出なかった横山真人、坂本弁護士、松本サリンで裁判所も「従属的立場」と認めた端本悟の場合などを考える合わせると、重大犯罪に関わったと言っても刑罰の軽重を人間が決定できるのかと思う。
今回のような大量の死刑執行を見ると、安倍内閣は「外からの批判に聞く耳を持たない」ということがよく判る。アメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、皆同じだ。あるいはトルコのエルドアン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領、カンボジアのフン・セン首相…。そう言えば同じようなタイプの指導者が増えている。安倍首相の「お友達」が多い。後のアメリカ大統領、テキサス州知事のジョージ・ブッシュは大量の死刑を執行したことで知られる。(その中には国際人権規約で禁じられた犯行時未成年の死刑囚も含まれる。)ブッシュがイラク戦争を始めることを思えば、やはり死刑制度と戦争は深い関係があると思う。