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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「グッバイ・ゴダール!」を見る

2018年07月25日 22時38分21秒 |  〃  (新作外国映画)
 ミシェル・アザナヴィシウス監督の「グッバイ・ゴダール!」という映画が公開されている。Michel Hazanavicius というのは、長くて覚えにくい名前だけど、映画ファンなら「アーティスト」を作った人と言えば判るだろう。イマドキ無声映画を作ってアカデミー作品賞を取っちゃった人だ。その後「あの日の声を探して」というチェチェンを舞台に子どもの悲劇を描いた。今回は1968年のジャン=リュック・ゴダールを描く映画で、ゴダールの妻だったアンヌ・ヴィアゼムスキーの小説が原作。

 ゴダールは「勝手にしゃがれ」でデビューして「ヌーヴェルヴァーグの旗手」と呼ばれた。その後、60年代を通じて「女と男のいる舗道」「軽蔑」「気狂いピエロ」など評価の高い映画を作っていた。初期には妻のアンナ・カリーナの主演映画が多いが、65年に破局した後にゴダールは政治化していった。67年にはフランスのマオイスト(毛沢東主義者)を描く「中国女」を作る。その映画の主演に抜てきしたのが19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキー。16歳の時にロベール・ブレッソンの「バルタザールどこへいく」に主演していたが、実質的には政治を学ぶ大学生だった。ノーベル賞作家フランソワ・モーリヤックの孫にあたる。その後二人は親しくなって結婚した。
 (五月革命時の街頭)
 そんな前置きは映画を見るときに必要ないはずだが、この映画に関してはゴダールを見てないと面白くないだろう。ゴダールをカリカチュアする映画を、いかにもゴダール的なパロディ映画として撮っている。そこが映画ファン的には面白い。「中国女」は中国に受けるかと思ったら、中国大使館に拒絶される。観客の反応もかんばしくない。そりゃあ当然だろうという映画だった。しかし、「革命の映画」から「映画の革命」へとゴダールはとことん過激化していった。

 その過程を若き妻として伴走していたのがアンヌだったけど…。でも、これじゃ耐えられないだろうな。マジメ過ぎて浮きまくるゴダール。68年5月には「五月革命」が起こり、パリは突然デモ隊でいっぱいになる。ゴダールもカメラを持って出ていくが。「反復」が喜劇の作劇法だが、デモのたびに転倒しては眼鏡を割ってしまうゴダール。あまりに繰り返されるので、最後には笑えない。学生集会に参加しては、受けない演説をしてしまう。不器用な天才を愛してしまった若き妻は?

 68年のカンヌ映画祭は中止に追い込まれた。ゴダールもだが、トリュフォーやルイ・マルが強硬な反対派だった。5月革命だけでなく、ドゴール政権の文化政策、特にシネマテークのアンリ・ラングロワ館長解任事件が大きかった。(映画には出て来ないが。)ゴダールは行きたくないけど、アンヌは行ってみたい。カンヌに出品予定の友人監督と一緒に出掛けるが、宿泊先は保守系新聞の社長別荘。ごねるゴダールも結局は行くことになる。そこは「気狂いピエロ」のラストを思わせる別荘である。帰りのガソリンがゼネストで入手できなくてパリに帰れないのもイライラさせる。ゼネストを支持していたのは誰?とからかわれる。やっと帰れると車の中で大激論。

 そんなこんなの日々を描いていくが、やがて夫婦の間には隙間風が。夫は政治化する一方で、ほったらかしの妻の浮気を疑う。イタリアのマルコ・フェレ―リから出演のオファーが来るが、全裸は困る。そこで監督はアンヌだけは服を着せるけど、相手役は裸だから心配。撮影現場まで出かけて二人で食べるシーンは、うまく行かない二人のいたたまれない食事シーンが悲しい。ゴダール役はルイ・ガレル。映画監督フィリップ・ガレルの息子で、父の映画の他「サンローラン」などに出ている。アンヌはステイシー・マーティン。「二ンフォマニアック」でシャルロット・ゲンズブールの若いころをやった。アンヌはともかく、ゴダールは外見的にはすごく似ていると思った。
  (ホンモノのゴダールとアンヌ)
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