尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「予告された殺人」、オウム真理教事件の死刑執行

2018年07月06日 23時11分06秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 朝9時前後にスマホでニュースを見たら、「オウム真理教、松本智津夫死刑囚を死刑執行」とトップに出ていた。いや、今か。通常国会が長く延長されたので、ついワールドカップと天気(関東は猛暑、西日本は台風と集中豪雨)に気が取られていた。去年は7月13日だったが、3年前の上川陽子法相前任時の執行は6月25日だった。国会でも死刑に関心がある議員がどんどん引退、落選したので、会期内でも気にしないのだろう。法相は3日前に署名したと語っている。7月3日だったら、ワールドカップで日本が敗退したことで、諸外国の動向を気にしなくてよくなったのか。

 この問題に関しては先に「オウム死刑囚、執行してはならない4つの理由①」(5.28)、「オウム死刑囚、執行してはならない4つの理由②」(5.29)を書いた。近年6月に死刑執行がある年もあるので、5月中に書いておかなくてはと思ったのである。もちろんそれで何か現実的な影響を与えられると考えたわけではない。これは国家的な「予告された殺人」なのだから。(ガブリエル・ガルシア=マルケスの傑作「予告された殺人の記録」をどうしても思い出すので、言葉を借りた。)

 今回は麻原彰晃(松本智津夫)の他、幹部クラスの6人を一斉に執行した。7人同時というのは、現代の世界でちょっと考えられない大量の執行である。しかも今回執行された中には、再審請求を続けていた人がかなりいる。再審にあたる事由があるのかは僕が判断する材料がない。今回のような死刑執行を見ると、やはり「死刑制度を政治的に利用している」気がする。「平成の事件は平成のうちに」などと検察幹部も語っているという。天皇の交代や東京五輪のある年には執行できないということらしいけど、僕には全く理解できない。

 今回の執行に関しては、先に書いたことと重なるけれど、一番大事なことが判らない。「麻原彰晃は心神喪失なんじゃないか」という疑問である。僕は心神喪失だとは言わない。判るわけがない。でも、常識的に考えて「心神喪失の疑い」があるのは間違いない。その疑いを法務省が国民に向かって晴らしているとは思えない。法務省が執行するんだから、刑事訴訟法に違反することをするはずがないということなんだろう。お上が判断することに従えばいいんだということだろう。

 しかし死刑執行は国民の税金で行われる。国家の名のもとに「合法的な殺人」を認めるものだ。しかもオウム真理教のテロ事件は、世界各国に衝撃を与えた事件である。各死刑囚の具体的な心身の状態、執行時のようす、再審請求中の死刑囚を執行していいのかなどを国民に説明する必要がある。上川法相の記者会見は事実を報告するだけで、肝心の問題に答えていない。さらに、今までの死刑執行時と比べて、ことさら早い時間帯に麻原の執行だけが報道された。どういう経過か、そこも疑問である。死刑制度全体の議論も大切だけど、オウム事件個別の事情に沿って、まず多くの疑問を解明していかないといけない。

 「もっと真相を話して欲しかった」という人もいるが、そういうことをしたくない、されても困るということで死刑制度があり、死刑執行が行われる。「教祖の死刑で神格化が進む」「関連教団の反発や復讐テロが心配」なんて今さら言う人もいる。それが「死刑制度を持つ国のリスク」なのであって、そんなことをいうなら死刑制度を廃止すればいいのだ。僕の理解では、選挙敗北を機に「陰謀史観」に囚われ、「秘密の大量破壊兵器」を持った時に「軍事組織化」が進行した。

 そのようなテロ事件が社会全体を「陰謀史観化」したと思う。日本やアメリカの現政権のあり方は、「オウム」や「9・11」が生み出したものではないだろうか。ニーチェのいうところの「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」という言葉を思い出す。(なお、「オーム事件」なんて書いている人があまりにも多いのでビックリした。)
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