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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ヤン ヨンヒ「朝鮮大学校物語」

2018年07月24日 23時17分15秒 | 本 (日本文学)
 映画「かぞくのくに」を作った映画監督、ヤン ヨンヒ(梁英姫、1964~)の「朝鮮大学校物語」(角川書店)を読んだ。1983年に東京の朝鮮大学校に入学した大阪出身の「パク・ミヨン」の物語である。著者本人なのかなと思って読んでいくと、もちろん本人の経験もあると思うけど、ちょっと違うなという描写も多い。そもそも著者は兄3人が「帰国者」(帰国運動で朝鮮民主主義人民共和国に帰った人)だが、作中のミヨンは姉が「帰国」している。だんだんラストに近づくとはっきりするが、ミヨンは著者が「こういう生き方ができたらよかった」という姿なんだと思う。

 短いプロローグ、エピローグの間に、1年生から4年生までの4年間が描かれている。ミヨンは入学当初から、自由を求めていて学校の厳しい規則になじまない。もともと大阪の朝鮮学校時代も演劇や映画に夢中で、演劇雑誌「テアトロ」を購読して部屋に持ち込んでいる。東京でも「大劇場のミュージカルからアングラ劇団のテント芝居まで、観まくる生活を送ればいい」と思ってやってきた。そんな人が朝鮮大学校にいたのかと思うが、親が総連幹部で朝鮮学校へ行ったが内心ではもう演劇少女だったということだろう。

 先輩に連れられて、俳優座劇場で上演されたウェスカーの「料理人」を見に行く。主演が在日朝鮮人で本名で出ていると言われて驚く。多摩地区の小平にある朝鮮大学校から、俳優座劇場のある六本木まで、ずいぶん遠い。全寮制で門限が8時だから、日曜の昼間の公演を見たら、すぐ帰らないと遅れる。でもどうしても公演後の飲み会に付き合ってしまう。そして案の定遅れるが、食べてないから男子朝大生しか行かないというラーメン屋に入る。そこで武蔵野美術大の学生、黒木裕とふとしたことから知り合う。(ムサビは朝大の隣にある。)

 この小説にはいろんな読み方がある。「朝鮮大学校」という「秘境」に紛れ込んだレポート。80年代初期、朝鮮人女性が日本人の男子大学生と知り合って、対等の恋愛関係は成立するか。そんな環境で、当時の東京のようすも描かれる。ミヨンと黒木裕はある日曜日に、長いこと見たかったフランス映画「天井桟敷の人々」を池袋の文芸坐に見に行く。そういう描写も非常に興味深かった。しかし、この小説の最大の読みどころは、3年時の卒業旅行だろう。

 もちろん「祖国訪問」に行くのである。ピョンヤンには10年前に別れた姉がいる。姉は音楽家で、同じ仕事の夫との間に娘も生まれた。大阪の母のもとには聞きたいというクラシック曲のリクエストが来る。(クラシックは最近許可になったとか。)CDはないというから、まずCDラジカセから買っていくが、入国時に係官をもめることになる。しかし、そんな姉はピョンヤンにいないと告げられる。中朝国境の新義州に転居したという。なんで? 何があったの? その事情は次第に判ってくるが、一体ミヨンは姉と会えるのか。ここで見聞きする「祖国」の真の姿、恐るべき階級社会、秘密社会の様子が一番心に響くところだ。

 そして4年生、卒業してどうする? 著者履歴を見れば、実際の著者は卒業後に大坂朝鮮高級学校の国語教員となっている。(国語とはもちろん朝鮮語である。)その後に退職し、演劇や映画に関わり、ニューヨークに留学する。つまり、小説中のミヨンとは違う。本人ができなかったことをミヨンがやっているんだろう。ヘイトスピーチに見られる日本社会の差別、朝鮮人社会に根強い男性中心的な世界観など、いろんな問題が詰まってる。だけど、何より読んで元気になる本だと思う。著者の兄は一人が亡くなったが、まだ二人が「北」にいる。こんな本を書いて大丈夫かというと、もう批判する映画を作っているわけで、「有名過ぎて家族に手を付けられない存在」になるしかないと言っている。だからみんなできるだけ買って、読んでみましょう。
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