尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小沢昭一七回忌追善ー「日本の翻弄芸」を見る

2018年12月07日 22時43分00秒 | 落語(講談・浪曲)
 2018年12月6日。浅草・木馬亭で「小沢昭一七回忌追善」と銘打った「日本の翻弄芸」を見に行った。「爆笑三人組」と名乗るは、上方落語の桂吉坊、浪曲の玉川奈々福、スタンダップコメディの松本ヒロの三人。それに芸能評論家の矢野誠一が加わったトークと盛りだくさんの2時間半。

 2012年12月10日、今思えば第二次安倍政権が誕生する直前だった。16日が衆議院選挙である。そんな日に小沢昭一の訃報が伝えられた。その時に「追悼・小沢昭一」を書いた。僕は映画や舞台で見る小沢昭一が好きだったけれど、それ以上にこの世代の人々から受け取ったきたものが多い。その後、池袋の新文芸座で追悼上映があり、多くの人が詰めかけたので追加の企画も行われた。その時も感想を書いたはず。ゲストもいっぱい語っていたが、永六輔加藤武が「これからも小沢昭一を語り継いでいこう」と意気投合していた。今ではその二人ももういない。

 そんなときに、もっと若手の三人が中心になって「日本の翻弄芸」なる追善公演を企画した。場所は浅草木馬亭で、小さい会場だから満員御礼。混雑が判っていたので、事前には書かなかった。僕がなんで知っていたかというと、奈々福・吉坊で続いている「みちゆき」という上方落語と浪曲の会に行ったからである。浪曲師の玉川奈々福さんは去年の今頃まで名前も知らなかった。あちこちで紹介され妻が見に行って、良かったいうことで、以後一緒に何回か聴いてる。

 今回の三人は以下のチラシ裏側のある写真の縁。小沢昭一の葬儀に際し、なんとか手伝いをしたいと思いながら、何も役がなかった松本ヒロ。見かねた奈々福さんが受付の役を代わったけれど、それが芸能人向けの受付。松本ヒロは全然芸能人を知らず、「役に立たなかった」(奈々福談)。そこに吉坊も加わり、葬儀後に写真を撮ったという三人組である。この写真を松本ヒロが「週刊金曜日」に載せたところ、マネージャーから「こころからの笑顔」と表現されたという。でも、それで小沢昭一も喜んでいるだろうとうことだったけど。

 桂吉坊は上方落語の「天王寺詣り」。これは「日本の放浪芸」に四天王寺のアホダラ経がある縁。犬の供養をめぐる笑話だけど、「俗名クロ」が昔飼ってた「クル」に似てるから思い出す。玉川奈々福は浪曲「浪花節更紗」で、これは小沢昭一や桂米朝の師である正岡容作という縁。明治期の浪曲界をめぐる情話を力強く語る。しかし、そこまでなら「みちゆき」と同じ。今回は何と言っても松本ヒロさんのトーク。何度も聴いてるけど、実は集会以外では初めて。政権批判のモノマネや「憲法くん」の話などで、「テレビに呼ばれない」芸人の本領発揮。

 小沢昭一の講演を聞いて感動して、自分も紀伊国屋ホールでやりたいと思った話。「花咲き花散る 宵も 銀座の 柳の下で」と「東京ラプソディ」を歌いだすと、そこは戦前の東京になった。「ハーモニカが欲しかったんだよ」と歌う時、そこに焼け跡の東京が見えた、と松本ヒロは語る。これは本当によく判った。ホントにそうだったよなあ。「論」ではなく、「本当に二度と戦争はしてはいけないんだ」という「庶民の非戦」を伝えていた。そういう人たちがどんどんいなくなると、戦時下で軍人と軍に追随する人たちがどれほど非道なことをしていたかを知らない人が出てくる。そんなことも感じながら、大いに笑った一日だった。小沢昭一コレクションにあった乃木将軍の映画が発掘され、12月15日に早稲田大学の演劇博物館で上映の催しがあるという。(僕は行けないけど。)
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