尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「チィファの手紙」、岩井俊二監督の中国映画

2020年09月24日 22時52分26秒 |  〃  (新作外国映画)
 「チィファの手紙」という映画が公開された。これは何と岩井俊二監督が撮った中国映画である。(合作じゃなくて完全な中国映画なので、是枝裕和監督「真実」のように外国映画扱いになる。)しかも今年日本で公開された「ラストレター」と全く同じストーリーである。中国でも人気の高い岩井監督だが、アニメ以外の日本映画はなかなか公開されないということで、自分で中国映画を作ってしまった。リメイクというより、中国版の方が公開が早い。「ラストレター」だけ見ればいいかもしれないが、日中の「比較映画」的な社会研究の意味で注目である。

 「ラストレター」を見た時、「男はつらいよ お帰り寅さん」と物語の構造がそっくりだと思ってその事をブログに書いた。「売れない小説家」が「昔の彼女」をいつまでも思い続けることで物語が起動する。しかし、「ラストレター」では「昔の彼女」は実は亡くなっていて、同窓会に姉の死を伝えに来た妹が言い出せずに勘違いされるという話だ。小説家は妹を姉と思い込んで(?)、何とかメールアドレスを聞き出して「ずっと好きでした」みたいなメールを送る。夫が誤解してスマホを壊してしまうので、その後は手紙のやり取りが続く。

 「手紙」が重要なアイテムになっていることで、岩井俊二の長編デビュー作「Love Letter」と同じだ。しかし、90年代とは違い、今は皆がスマホを持っている。21世紀に「手紙」で物語を作るならと考えて、この仕掛けを考えついたということだ。岩井監督の「Love Letter」はアジア各国で大ヒットして、舞台になった北海道(小樽)ブームを巻き起こした。ロマンティックな「誤解」の面白さは、どう見ても「Love Letter」の方がうまく出来ていたと思う。

 それともう一つ、「ラストレター」のキャストが日本版では豪華だったので、日本では「俳優の映画」として見てしまう。小説家が福山雅治、妹が松たか子で、中学生時代の姉妹(そして現在の松たか子と姉の子ども)が広瀬すず森七菜、転校生(小説家の若い頃)は神木隆之介なんだから、ほとんどアイドル映画だ。それが「チィファの手紙」だとジョウ・シュン(周迅)で、中国4大女優だと言うから中国なら有名だろうけど僕は覚えてなかった。(調べると、過去に見ている映画もあるけど。)小説家役はチン・ハオ(秦昊)でこっちも知らない。
(中学時代の二人)
 当然ながら「ラストレター」と「チィファの手紙」は少し違っている。日本版と同じ設定だと、中国では不自然になる点が変えられているわけである。監督はそれを「ローカライズ」と呼んでいる。今まで「七人の侍」と「荒野の七人」とか、韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」が日本やベトナムで映画化されたといったケースはあるが、同じ監督が同じ話を違う国で作ったことはあまり記憶にない。ロケで何気なく風景を見ていると、日本の郵便ポストは赤いが中国の郵便ポストは緑色だった。中国に行ったことがないから、そんなことも初めて知ったのである。

 物語の内容に関することでは、まずは季節が変わった。日本版は「夏休み映画」になっていたが、中国版は冬になっている。松たか子の娘(森七菜)が葬儀が終わっても、姉の娘(広瀬すず)を一人にしないためにと言って従姉妹の家に残ることになる。それは「夏休み中だから」ということで、日本で見れば違和感がない。中国では「春節」前に設定する方が自然だったということらしい。また日本版では姉妹と小説家の出会いは高校時代になっているが、中国版は中学時代になっている。時代設定とキャストの問題かもしれない。

 日本版では松たか子に女の子と男の子がいる。「チィファ」に二人子どもがいるのは、2015年まで「一人っ子政策」が行われていたから不自然である。そこで姉の「チィナン」に男児がいることに変更された。いろいろと問題を抱えた姉だったから、当局に逆らって二人目の男児を産んだということなのだろうか。それを言えば「チィファ」と「チィナン」も姉妹である。チィファの同窓会は中学卒業30周年だったから、生まれたのは40数年程前になる。そうすると1970年代初期になり、一人っ子政策は1979年からとされるからそれ以前で問題はないのだろう。

 細かく見ていくと、二つの映画でセリフなどの違いがもっと見つかるんだろう。その違いも面白いけれど、逆に似ていることも多い。アメリカ映画「ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー」という面白い映画があるが、それを見る限り日本の高校生とはいろんなことが大きく違う。一方、アジア映画に出てくる学校は、制服、秩序、学力志向などが共通していて、その窮屈さの中で共通の思いを抱き合った共感が懐かしさの核になることが多い。生徒会長の(日本で言えば)答辞が物語の中心にあるが、背景には共通の学校文化があるのだろう。

 中国で作ったからこそ、岩井俊二の繊細な演出力が際立ったような気もした。日本なら30年前にもあったこと(ピアノが普通の家にあるなど)が、中国では不自然だと指摘されたという。過去という設定のシーンに、日本人である僕も懐かしさを覚えたが、それは1960年代を思い出させたからだろう。アメリカで作った岩井監督の「ヴァンパイア」よりは成功したと思う。
コメント
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