手塚治虫没後30年記念作品として手塚眞監督が父原作の「ばるぼら」を日独英合作で映画化した。日本でもようやく公開されたが、稲垣吾郎、二階堂ふみのダブル主演で、その意味では見応えがあった。でも今ひとつ判らないところがあって、原作も読んでみた。原作は角川文庫に入っている。文庫で漫画を読むのは目に悪いんだけど、やはり原作はもっと複雑な構成になっていた。また時代(原作が連載された1973年~74年)を反映した設定が多かったように思う。
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漫画でも映画でも、冒頭に「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し…たれ流した排泄物のような女、それがバルボラ」と語られる。そのばるぼら(二階堂ふみ)は新宿駅の⽚隅でホームレスのように酔払っている。そこに⼈気⼩説家美倉洋介(稲垣吾郎)が通りかかり、つい家に連れて帰る。⼤酒飲みでだらしないばるぼらだが、美倉はなぜか奇妙な魅⼒を感じて追い出すことができなかった。この「新宿」「アル中」という設定が70年代的な感じである。
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彼女がいると美倉はどんどん傑作が書けた。「ばるぼら」とは誰なのか。英語表記では「BARBARA」で「バーバラ」だ。文庫解説では「バルボラ」はチェコ語ともいうが、要するにヨーロッパの名前。手塚治虫はギリシャ神話かなんかの名前と思っていたらしいが、勘違いらしい。「ミューズ」(詩神)のように描かれている。醜悪、低俗なものの中に「真実」が宿るわけだ。一方、「美倉洋介」は耽美派の作家でボクシングや剣道などをやって鍛えているが、実は「異常性愛者」である。これはイニシャルが同じだから「三島由紀夫」なんだろうと思う。
(手塚監督と主演2名)
人気作家の美倉には出版社や政治家が接近する。出版社の加奈子(石橋静河)や与党有力政治家の娘志賀子(美波)は美倉を愛している。しかし、美倉の現実感覚は次第に壊れていき、ついにばるぼらとの結婚を決意する。それまでに示されているが、「ばるぼら」にはオカルト的な能力があり、実は「魔女」一族なんだろうか。結婚式は異様な儀式として行われるが、そのさなかに志賀子の逆恨みによる警察の手入れが入って美倉は薬物使用で逮捕される。数年後、忘れられた美倉は姿を消したばるぼらを見つけようと奔走し、ついに破滅に陥っていく。
(原作「ばるぼら」)
ばるぼらの母は「ムネーモシュネー」と言い、映画では渡辺えりが演じている。この名前はギリシャ神話の「記憶の神」で、ゼウスとの間に9人のミューズを産んだという。なんで突然「魔術」とか「ギリシャ神話」が出てくるのか。それは73年当時の日本で「オカルトブーム」や「破滅論」が流行していたからだ。五島勉の「ノストラダムスの大予言」や小松左京「日本沈没」がベストセラーになった年に書かれていたのである。そしてオカルト的な設定が入り込んでいった。
そのためストーリーが判りにくくなってしまったと思う。「芸術家の成功と破滅」、それをもたらした「運命の女」が「フーテン」だった。(原作ではそう表現される。当時は「フーテンの寅さん」のようによく使われた言葉だった。外国でヒッピーと呼ばれたような人も日本では「フーテン(瘋癲)」だった。)そこで終わっていれば、ずっと理解しやすく興味深かったと思う。二階堂ふみはやっぱり素晴らしく、「エール」じゃなくて「私の男」や「蜜のあわれ」を思わせる熱演。
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以前「凪待ち」と「半世界」を一緒に書いたことがある。今回も元SMAPつながりで、草彅剛がトランスジェンダーを演じてロングランになっている内田英治監督・脚本の「ミッドナイトスワン」も触れておきたい。僕はこの映画をセクシャルマイノリティがテーマだと思って見た。その通りなんだけど、それ以上に「バレエ映画」だった。東京で会社を辞めて、新宿のニューハーフショーをやっている「凪沙」(草彅剛)。そこに広島から母親がネグレクト気味の姪・一果がやってくる。凪沙は親にカミングアウトしていなかったので一果は驚く。
(服部樹咲)
一果にバレエの才能があることを知って、凪沙は自分を犠牲にしてバレエ教室に通わせるのだったが…。凪沙の運命は悲しすぎて、どうもトランスジェンダーの人生は苦しいというイメージが強すぎて、僕はどうかなと思ってしまった。しかし、それ以上に一果を演じた新人、服部樹咲(はっとり・みさき、2006~)があまりにも素晴らしいので、映画をさらった感じがする。もちろんバレエ経験者で小学生時代から活躍していた。かつて「花とアリス」(岩井俊二監督)で蒼井優がバレエを踊り出した瞬間を思い出した。今後、バレエで行くのか、俳優で行くのか、判らないけれど、僕は是非俳優もやって欲しいと思う。
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漫画でも映画でも、冒頭に「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し…たれ流した排泄物のような女、それがバルボラ」と語られる。そのばるぼら(二階堂ふみ)は新宿駅の⽚隅でホームレスのように酔払っている。そこに⼈気⼩説家美倉洋介(稲垣吾郎)が通りかかり、つい家に連れて帰る。⼤酒飲みでだらしないばるぼらだが、美倉はなぜか奇妙な魅⼒を感じて追い出すことができなかった。この「新宿」「アル中」という設定が70年代的な感じである。
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彼女がいると美倉はどんどん傑作が書けた。「ばるぼら」とは誰なのか。英語表記では「BARBARA」で「バーバラ」だ。文庫解説では「バルボラ」はチェコ語ともいうが、要するにヨーロッパの名前。手塚治虫はギリシャ神話かなんかの名前と思っていたらしいが、勘違いらしい。「ミューズ」(詩神)のように描かれている。醜悪、低俗なものの中に「真実」が宿るわけだ。一方、「美倉洋介」は耽美派の作家でボクシングや剣道などをやって鍛えているが、実は「異常性愛者」である。これはイニシャルが同じだから「三島由紀夫」なんだろうと思う。
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人気作家の美倉には出版社や政治家が接近する。出版社の加奈子(石橋静河)や与党有力政治家の娘志賀子(美波)は美倉を愛している。しかし、美倉の現実感覚は次第に壊れていき、ついにばるぼらとの結婚を決意する。それまでに示されているが、「ばるぼら」にはオカルト的な能力があり、実は「魔女」一族なんだろうか。結婚式は異様な儀式として行われるが、そのさなかに志賀子の逆恨みによる警察の手入れが入って美倉は薬物使用で逮捕される。数年後、忘れられた美倉は姿を消したばるぼらを見つけようと奔走し、ついに破滅に陥っていく。
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ばるぼらの母は「ムネーモシュネー」と言い、映画では渡辺えりが演じている。この名前はギリシャ神話の「記憶の神」で、ゼウスとの間に9人のミューズを産んだという。なんで突然「魔術」とか「ギリシャ神話」が出てくるのか。それは73年当時の日本で「オカルトブーム」や「破滅論」が流行していたからだ。五島勉の「ノストラダムスの大予言」や小松左京「日本沈没」がベストセラーになった年に書かれていたのである。そしてオカルト的な設定が入り込んでいった。
そのためストーリーが判りにくくなってしまったと思う。「芸術家の成功と破滅」、それをもたらした「運命の女」が「フーテン」だった。(原作ではそう表現される。当時は「フーテンの寅さん」のようによく使われた言葉だった。外国でヒッピーと呼ばれたような人も日本では「フーテン(瘋癲)」だった。)そこで終わっていれば、ずっと理解しやすく興味深かったと思う。二階堂ふみはやっぱり素晴らしく、「エール」じゃなくて「私の男」や「蜜のあわれ」を思わせる熱演。
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以前「凪待ち」と「半世界」を一緒に書いたことがある。今回も元SMAPつながりで、草彅剛がトランスジェンダーを演じてロングランになっている内田英治監督・脚本の「ミッドナイトスワン」も触れておきたい。僕はこの映画をセクシャルマイノリティがテーマだと思って見た。その通りなんだけど、それ以上に「バレエ映画」だった。東京で会社を辞めて、新宿のニューハーフショーをやっている「凪沙」(草彅剛)。そこに広島から母親がネグレクト気味の姪・一果がやってくる。凪沙は親にカミングアウトしていなかったので一果は驚く。
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一果にバレエの才能があることを知って、凪沙は自分を犠牲にしてバレエ教室に通わせるのだったが…。凪沙の運命は悲しすぎて、どうもトランスジェンダーの人生は苦しいというイメージが強すぎて、僕はどうかなと思ってしまった。しかし、それ以上に一果を演じた新人、服部樹咲(はっとり・みさき、2006~)があまりにも素晴らしいので、映画をさらった感じがする。もちろんバレエ経験者で小学生時代から活躍していた。かつて「花とアリス」(岩井俊二監督)で蒼井優がバレエを踊り出した瞬間を思い出した。今後、バレエで行くのか、俳優で行くのか、判らないけれど、僕は是非俳優もやって欲しいと思う。