尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「セヴンティーン」2部作、テロリストの誕生ー大江健三郎を読む⑧

2021年08月23日 22時05分01秒 | 本 (日本文学)
 2018年7月に「大江健三郎全小説」の刊行が始まった時、第1回配本は3巻と7巻だった。7巻は「万延元年のフットボール」と「洪水はわが魂に及び」だから最初に出るのも理解出来る。一方、3巻は「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が、1961年の雑誌発表以来初めて単行本に収録されたのである。その作品は1960年10月に起きた日本社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件を起こした右翼少年、山口二矢(おとや)をモデルにしたとされ、右翼の非難を浴びた。掲載誌の「文學界」は次号に謝罪文を掲載し、作者も事実上作品を封印してきた。その作品が57年ぶりに日本で刊行された。是非読みたいと買って置いたので、今こそ読んでみよう。
(「大江健三郎全小説」第3巻)
 「セヴンティーン」は新潮文庫の「性的人間」に入っているから、僕はずいぶん若い頃(中学か高校)に読んだ。今回読み直したら、覚えている箇所が幾つもあった。そのぐらい鮮烈な印象を受けた作品だった。「政治少年死す」は誰かが勝手に印刷したものが一時期ウニタ書舗(左翼系書店)等に置いてあったけど、作家本人が認めてないんだから買う気にならなかった。当然ながら今回初めて読んだわけである。2段組の「全作品」で、「セヴンティーン」は35ページ、「政治少年死す」は48ページである。

 「政治少年死す」は、自身を思わせる若手作家が出て来たり、様々な文章がコラージュされたり、なかなか複雑な構成になっている。60年安保闘争で終わった「セヴンティーン」を受けて、小説は夏の広島から始まる。8月6日の広島で活動する「右翼」を描いたことで左翼からの批判もあったという。僕はこの小説を読んで、右翼少年をことさらに貶めるものとは感じなかった。なんで非難されたのかは、当時の特殊な状況があったと思う。その時「中央公論」の1960年12月号(発売は11月10日)に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」が問題化していた。夢の中で「左欲」が皇居に侵入する話だが、皇室に「不敬」な描写があると非難された。

 そして、1961年2月1日には、右翼の少年が中央公論社の嶋中社長宅を襲撃してお手伝いさんを殺害する事件を起こしたのである。その事件の少年は浅沼事件の犯人、山口二矢と同じく「大日本愛国党」に所属した経験があり、年齢も同じ17歳だった。ちょうどその小説が問題になっている最中の、1961年12月に「セヴンティーン」が発表され、1月に「政治少年死す」が発表された。そして、「文學界」3月号に会社による「謝罪文」が載ったわけである。この事件に関しては、「懐かしい年への手紙」で自身が触れている。また新興宗教の問題とされているが「スパルタ教育」(63年2月)に、電話に怯える若い夫婦が出て来る。大江は1960年2月に結婚したばかりで、年若い夫婦にはこの電話攻撃がこたえたと思われる。

 ところが今回解説を読んで驚いたのだが、山口二矢は「セヴンティーン」のモデルではなかったのである。どういう事かと言えば、浅沼稲次郎暗殺事件が起きたのは、1960年10月12日のことである。「セヴンティーン」の発表は1961年1月号だが、雑誌は前月上旬に発行されるのが通常である。「文學界」新年号の発売は12月上旬だったから、締め切りは11月半ば頃だったはずである。浅沼事件発生後に取材を開始して執筆に取り掛かったのでは間に合わないのである。「セヴンティーン」は非常に力のこもった作品で、その意味でも現実の事件に触発されたのではなく、それ以前から「孤独な少年が右翼になる」物語を構想していたのである。作家の想像力が現実に先んじて事件を予知してしまったのである。
(浅沼稲次郎暗殺の瞬間を写した写真)
 そのことは今回の解説で教えられたもう一つの注目すべき事実とも関連がある。それは三島由紀夫憂国」が発表されたのも、1961年1月の「小説中央公論」冬季号だったことである。「セヴンティーン」と「憂国」は同時期に発表されていたのである。「憂国」は二・二六事件に参加できなかった青年将校が妻とともに自決する話である。それは単なる政治的物語ではなく、むしろ「大義」への献身のエロティシズムとでも言うべきものだ。それは「セヴンティーン」の主人公「」が右翼結社「皇道派」(「政治少年死す」では何故か「皇道会」となっている)に参加して、「忠とは私心があってはならない」と目覚めてゆく時の興奮にも通じていると思う。

 「政治少年死す」は明らかに山口二矢が起こした現実の事件モデルになっているが、取材をしたノンフィクションではない。戦後最大の社会運動だった「60年安保」の半年後、「右翼」と「政治的テロ」は、気鋭の作家にとって魅惑的なテーマだったのだと思う。現実の山口二矢は1960年11月2日に(小説と同じく)東京少年鑑別所で自殺した。小説である「政治少年死す」もそれ以外の結末を作ることは出来ないだろう。山口に関しては、沢木耕太郎テロルの決算」(1979,大宅賞受賞作)があり、僕も当時読んだが細部は忘れた。ウィキペディアを見ると、山口は私立の玉川学園在学だが、「俺」は明らかに都立高校である。父親は私立高校の教頭とされているが、山口の父親は自衛官だった。(小説では姉が自衛隊の病院の看護婦になっている。)
(山口二矢)
 解説で知ったことだが、実は「政治少年死す」は日本に先駆けてドイツとフランスで翻訳が刊行されていた。ドイツでは「55年後の大発見」、「アンファン・テリブルからノーベル賞作家へ」と評価されたという。「アンファン・テリブル」はフランス語で「恐るべき子ども」のこと。大江作品の翻訳は「個人的な体験」以後が多かったが、それ以前の時期の重要性の発見ということだろう。特にヨーロッパで高く評価されたのは、2010年代にヨーロッパでイスラム系の無差別テロが横行したことがあるだろう。それらの事件の多くは、「それまで特に宗教的な関心を示さなかった」などと報道されることが多い。

 「セヴンティーン」の「」も進学校の中で孤立し、自意識と性欲にさいなまれている。特に政治的な関心もなく、むしろ当時の若者に多かったように「少し左翼的」である。自衛隊病院に勤める姉に「税金泥棒」と言って衝突するぐらいだ。家族の中で彼の17歳の誕生日を覚えていたのは姉だけだったというのに。学校では「新東宝」というあだ名のクラスメイトから右翼の演説会の「サクラ」に誘われる。「新東宝」という映画チェーンは、当時ほぼポルノ映画専門になっていた。それを場末まで追っかけているからあだ名が付いたのである。しかし、新東宝はそれだけでなく「明治天皇と日露大戦争」(1957)を大ヒットさせた会社でもある。

 この小説では「いけてない少年」が「いかにしてテロリストになったか」の内面的秘密が余すところなく描かれている。「天皇制」は日本独自のものだなどという思い込みで読んではいけないのだ。どの社会にもある、「伝統的価値」に寄り添うことで初めて「居場所」を見つけられ、「性的充足感」をも覚えるという心理的な秘密が恐るべき細密さで再現されている。アメリカのコロンバイン高校銃撃事件の少年(マイケル・ムーア監督「ボウリング・フォー・コロンバイン」)やノルウェイのウトヤ島テロ事件の犯人にも通じる部分がある。21世紀になって、1960年に起こった日本の右翼テロ事件が注目されるというのは悲劇だが、ともかく「セヴンティーン」2部作は今も生きているのである。
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