ウクライナの作家アンドレイ・クルコフの『侵略日記』(福間恵訳、発光ホーム社、発売集英社、2700円)を読んだ。2023年10月30日付で刊行されたが、ウクライナ戦争2年目を迎えるまでに読みたかった。あまり評判になってない感じだけど、やはりウクライナ戦争に関する基礎文献の一つになるだろう。この本は2021年12月29日に始まり、2022年7月11日までほぼ半年間の日記を収めている。毎日書いているわけではなく、数日分をまとめて書いている日が多い。3月が多いのは当然だろう。侵攻は2月24日に始まったが、3月1日までは自分たち家族の避難が優先なので、その間の日記はないのである。
クルコフは民族的にはロシア人で、母語はロシア語である。幼い頃にキーウに移住し、ウクライナに帰属感を持っているが、ロシア語で創作する作家として成功した。日本でも2つの小説が翻訳されていて、『「ペンギンの憂鬱」、独立ウクライナの苦しみークルコフを読む②』『「大統領の最後の恋」ークルコフを読む③』で紹介した。また2014年のいわゆる「マイダン革命」の日々を、マイダン(キーウ中心部の独立広場)近くに住む作家として広場を訪れながら記録した。それは『ウクライナ日記』として出版され、日本でも翻訳されている。それを読んだ感想は『クルコフ「ウクライナ日記」を読むー2014年「マイダン革命」の日々』にまとめた。その本はウクライナの政情に詳しくないと判りにくい部分があった。
日記というものは、もともとそんなものだろう。自分では判りきっていること、家族関係とか自国の政治事情なんかは説明抜きに書くわけだ。しかし、今回の『侵略日記』はかなり説明的文章が多く、注無しでも十分理解出来る。それも当然、これはもともと英語で書かれた日記なのである。外国での出版を最初から前提としているのである。クルコフは妻がイギリス人なので、英語は不自由なく使える。ウクライナの出版社、印刷所はロシアの攻撃を受けて新刊書を出版することが不可能になった。ウクライナ・ペンの会長として対外的発言を求められる立場にあったクルコフは、再びこの困難な時期を書き留めて世界に発信したいと思ったのだろう。
(クルコフ)
この本を読むと、2年前の緊迫したウクライナ情勢を思い出して心が苦しくなる。2021年12月から書かれているわけだが、その頃はゼレンスキー大統領もクリスマス休暇を取っていて、出来るだけ通常通りに事態を見ようと思っていただろう。相変わらずウクライナは政争が激しく、ゼレンスキー大統領の与党は前大統領ポロシェンコの野党に支持率で逆転されつつあった。マイダン革命後に選出されたポロシェンコはもともと反ロシア姿勢がはっきりしていて、プーチン大統領は妥協の姿勢を見せなかった。ドンバス戦争が解決しないことで国民の批判が高まり、ロシア語話者のゼレンスキーが自分なら解決出来ると主張して大統領に当選した。
クルコフはロシアやウクライナのほとんどの人と同様に、都市の自宅と別に近郊農村部に別荘(ダーチャ)を持っている。そちらで暮らすことも多かったので、今回も当初は別荘に籠城することを考えていた。しかし、いろいろな人の意見を聞き、ウクライナ西部に避難することになった。渋滞を繰り返しつつ、西部の代表的都市リヴィウに落ち着く。この半年間の日記ではキーウに戻らず、結局西部に留まっている。外国に出やすいこともあるだろう。クルコフは何度か近隣ヨーロッパ諸国に出掛けている。ウクライナ文化人を代表する形で、国民の抵抗を伝える役割を果たしていた。
その後、ウクライナ最西部のザカルパッチャ州に移っている。この州はロシアのミサイル攻撃を一度も受けていない州だと書かれている。そこはハンガリーやスロヴァキアに隣接する州で、少数民族のハンガリー人が多い。それがミサイル攻撃がない理由だろうとクルコフは推測している。EUではハンガリーのオルバン首相が唯一ウクライナ支援に難色を示すことが多い。ハンガリー世論がロシア憎悪に向かわないように、プーチン政権は政治的にそこにはミサイルを向けないのだという分析である。クルコフは戦時にあっても冷静でリアルな状況分析が可能な人であることを示している。
(ザカルパッチャ州ー赤い部分)
開戦直後とあって、クルコフもロシア語作家として責任を感じている。今後はロシア語での創作はしないらしい。ロシアへ行くこともなく、ロシア文化への関心も失ったという。ロシアへの反感はウクライナに完全に根づいてしまい、ウクライナの民族的アイデンティティは高揚した。クルコフはスターリン時代の国家悪を直視出来ないロシアに対して、常にその当時の苦難を語り継ぐウクライナとの違いを強調している。これはかつての「大日本帝国」時代を直視出来ない日本人を思う時、他人事とは思えない。
ただ開戦当初はウクライナの防衛が予想以上に成功したこともあり、いずれ勝利するという予測が見られる。僕はこれは「21世紀の30年戦争」になる可能性があると開戦直後に書いた。日本でもいろんな事が言う人がいるが、そう簡単に解決出来るとは思っていない。外国からの武力支援ないでは防衛が不可能なウクライナとして、クルコフも米英の素早い軍事援助には感謝する一方、なかなか武器援助に踏み切らないドイツを散々批判している。どうしても戦争を通して「軍事国家化」が進んでしまうことが多いが、様々な意味で今後の苦難が予想される。この本の時期は、ウクライナ国民と欧米を中心とする諸外国の市民の連帯感が強まった「ハネムーン期」である。今読むと、その後も続く先行きの見えない苦難に言葉が出ない。
クルコフは民族的にはロシア人で、母語はロシア語である。幼い頃にキーウに移住し、ウクライナに帰属感を持っているが、ロシア語で創作する作家として成功した。日本でも2つの小説が翻訳されていて、『「ペンギンの憂鬱」、独立ウクライナの苦しみークルコフを読む②』『「大統領の最後の恋」ークルコフを読む③』で紹介した。また2014年のいわゆる「マイダン革命」の日々を、マイダン(キーウ中心部の独立広場)近くに住む作家として広場を訪れながら記録した。それは『ウクライナ日記』として出版され、日本でも翻訳されている。それを読んだ感想は『クルコフ「ウクライナ日記」を読むー2014年「マイダン革命」の日々』にまとめた。その本はウクライナの政情に詳しくないと判りにくい部分があった。
日記というものは、もともとそんなものだろう。自分では判りきっていること、家族関係とか自国の政治事情なんかは説明抜きに書くわけだ。しかし、今回の『侵略日記』はかなり説明的文章が多く、注無しでも十分理解出来る。それも当然、これはもともと英語で書かれた日記なのである。外国での出版を最初から前提としているのである。クルコフは妻がイギリス人なので、英語は不自由なく使える。ウクライナの出版社、印刷所はロシアの攻撃を受けて新刊書を出版することが不可能になった。ウクライナ・ペンの会長として対外的発言を求められる立場にあったクルコフは、再びこの困難な時期を書き留めて世界に発信したいと思ったのだろう。
(クルコフ)
この本を読むと、2年前の緊迫したウクライナ情勢を思い出して心が苦しくなる。2021年12月から書かれているわけだが、その頃はゼレンスキー大統領もクリスマス休暇を取っていて、出来るだけ通常通りに事態を見ようと思っていただろう。相変わらずウクライナは政争が激しく、ゼレンスキー大統領の与党は前大統領ポロシェンコの野党に支持率で逆転されつつあった。マイダン革命後に選出されたポロシェンコはもともと反ロシア姿勢がはっきりしていて、プーチン大統領は妥協の姿勢を見せなかった。ドンバス戦争が解決しないことで国民の批判が高まり、ロシア語話者のゼレンスキーが自分なら解決出来ると主張して大統領に当選した。
クルコフはロシアやウクライナのほとんどの人と同様に、都市の自宅と別に近郊農村部に別荘(ダーチャ)を持っている。そちらで暮らすことも多かったので、今回も当初は別荘に籠城することを考えていた。しかし、いろいろな人の意見を聞き、ウクライナ西部に避難することになった。渋滞を繰り返しつつ、西部の代表的都市リヴィウに落ち着く。この半年間の日記ではキーウに戻らず、結局西部に留まっている。外国に出やすいこともあるだろう。クルコフは何度か近隣ヨーロッパ諸国に出掛けている。ウクライナ文化人を代表する形で、国民の抵抗を伝える役割を果たしていた。
その後、ウクライナ最西部のザカルパッチャ州に移っている。この州はロシアのミサイル攻撃を一度も受けていない州だと書かれている。そこはハンガリーやスロヴァキアに隣接する州で、少数民族のハンガリー人が多い。それがミサイル攻撃がない理由だろうとクルコフは推測している。EUではハンガリーのオルバン首相が唯一ウクライナ支援に難色を示すことが多い。ハンガリー世論がロシア憎悪に向かわないように、プーチン政権は政治的にそこにはミサイルを向けないのだという分析である。クルコフは戦時にあっても冷静でリアルな状況分析が可能な人であることを示している。
(ザカルパッチャ州ー赤い部分)
開戦直後とあって、クルコフもロシア語作家として責任を感じている。今後はロシア語での創作はしないらしい。ロシアへ行くこともなく、ロシア文化への関心も失ったという。ロシアへの反感はウクライナに完全に根づいてしまい、ウクライナの民族的アイデンティティは高揚した。クルコフはスターリン時代の国家悪を直視出来ないロシアに対して、常にその当時の苦難を語り継ぐウクライナとの違いを強調している。これはかつての「大日本帝国」時代を直視出来ない日本人を思う時、他人事とは思えない。
ただ開戦当初はウクライナの防衛が予想以上に成功したこともあり、いずれ勝利するという予測が見られる。僕はこれは「21世紀の30年戦争」になる可能性があると開戦直後に書いた。日本でもいろんな事が言う人がいるが、そう簡単に解決出来るとは思っていない。外国からの武力支援ないでは防衛が不可能なウクライナとして、クルコフも米英の素早い軍事援助には感謝する一方、なかなか武器援助に踏み切らないドイツを散々批判している。どうしても戦争を通して「軍事国家化」が進んでしまうことが多いが、様々な意味で今後の苦難が予想される。この本の時期は、ウクライナ国民と欧米を中心とする諸外国の市民の連帯感が強まった「ハネムーン期」である。今読むと、その後も続く先行きの見えない苦難に言葉が出ない。