瀬尾まいこ原作、三宅唱監督の『夜明けのすべて』はちょっと予想を裏切る映画だった。松村北斗×上白石萌音主演と宣伝しているけど、恋愛的要素が最後までゼロなのである。三宅唱監督がベストワンを獲得した『ケイコ 目を澄ませて』(2022)の次回作で、人気俳優を迎えて拡大公開されたが2週目、3週目とどんどん上映が減っている。だから「失敗作」や「作家性の高い映画」かなと思うと全然違うのである。確かに前作の岸井ゆきのほどの凄まじいエネルギーは今回の映画にはない。しかし、居場所を求める人々を温かく描く「小さな宝物映画」、かつ「病友映画」になっている。
瀬尾まいこの小説はある時期までよく読んでいた。映画『幸福な食卓』(2007)を他の映画を見るついでに併映作品として見て(二本立て名画座だった)、なかなか良いじゃないかと思って原作も読んでみた。2005年に吉川英治文学賞新人賞を得た作品だが、僕はまだ作者の名を知らなかった。その時点で京都の中学校教員だったこともあって、応援するつもりで読み続けたのである。その後、作家専業になり『そして、バトンを渡された』(2018)で本屋大賞を受賞。すっかり人気作家になって、僕も少し飽きてきた感じもあって近年は読んでない。だから今度の映画も原作は読まずに見たのである。
(山添の髪を切る藤沢さん)
画像のように若い女性が若い男性の髪を切るスチル写真を見ると、多分この二人は恋愛関係にあるか、少なくとも片思いなのかと想像すると思う。だけど、それが違うのである。藤沢美紗(上白石萌音)は高校生の頃から、時々非常にイライラし体調不良になることがあった。それが「PMS」(月経前症候群)という病気で、その後大会社に就職したが適応できずにすぐに退社してしまった。その後栗田科学という小会社で働いている。そこに山添孝俊(松村北斗)という青年が入社してくる。ある時彼が会社で異常な感じになって早退する。藤沢は追って行き「もしかしてパニック障害?」と聞く。
そこから二人は時に助け合う「病友」になっていく。「病友」という言葉は一発で変換出来なかったけど、ハンセン病ではよく聞く言葉だ。その場合は同じ療養所に「隔離」されて、ともに人生を過ごすわけだから「病友」にならざるを得ない。今度の場合はお互いに職場で大変な思いをした過去がある。「生きづらさ」をともに抱えて、恋愛に至る状況にないんだと思う。藤沢はPMSを告げて「一緒に頑張ろう」と言うが、山添は二人の病気には違いが大きいと言う。藤沢は「病気にもランクがあるんだ」と思わず言う。この言葉はとても心に突き刺さる。病気を抱えた者同士が「しんどさ比べ」に陥っている。
(藤沢と山添)
山添には「彼女」もいたが、電車も乗れなくなってしまった彼とは付き合っていくのが大変である。彼からすれば、日常生活への支障が大きいパニック障害に対し、月に一回であるPMSは大変さが違うと思ってしまうのだ。僕はパニック障害の生徒は知っているが、PMSは病名も知らなかった。映画は二人の病態を丁寧に描き、観客も大変さを理解していく。そして、もう一つ大切なのは彼らを受け入れている「栗田科学」という会社である。その社長(光石研)にも悲しい過去があったと判っていき、辛さを支え合う会社になったんだと判る。そういう場所の存在は、観客にとっても宝物を見つけた気持ちになる。
Wikipediaを見ると、原作では会社名は「栗田金属」というらしい。それが映画では「栗田科学」に変更され、子ども向けの科学用品(顕微鏡や天体望遠鏡)などを作っていることになっている。そして年に一度、地域貢献活動として小学校の体育館を借りて移動プラネタリウムを実施する。山添と藤沢はその担当になって、解説原稿を一緒に作ることになった。かつてない「天体映画」でもあり、自分の子ども時代にも天体望遠鏡を見たなあと久しぶりに思い出した。この終わりの方の展開はとても心に沁みる。
(ベルリン映画祭の三宅監督)
藤沢は父がいないらしく、母も病気らしい。彼女は医者にピルを使いたいと言うが、母親に血栓の既往歴があるからダメと言われるシーンがある。そのことと関係があるのかどうか、最後の方では入院している。二人は会社でいつも隣同士なんだから、「普通」なら「好きになっちゃう」もんじゃないか。しかし、この映画では最後まで「友人」で終わり、少しは恋愛要素が出て来るかなと思う(期待する?)観客の予想は裏切られる。そこで自分の「普通」感覚も問われる気がするのである。
僕はこの映画は何だか良いものを見つけた気がして、宝物みたいな映画だなと思った。しかし、病気を自分事として感じられないと、届かない映画じゃないかとも思う。多分主演俳優を見に行った若者にはちょっと遠かったのかもしれない。三宅監督の演出は的確で、主演の二人の病気を違和感なく伝える。同時にいつも感心する月永雄太の撮影が素晴らしい。前作も担当して東京下町の女性ボクサーをドラマティックに映したが、今回の柔らかい映像も見事だ。こういう映画もあるんだなというか、こういう「男女の友情」やこういう会社も良いなと思ったりする「ほっこり映画」である。
瀬尾まいこの小説はある時期までよく読んでいた。映画『幸福な食卓』(2007)を他の映画を見るついでに併映作品として見て(二本立て名画座だった)、なかなか良いじゃないかと思って原作も読んでみた。2005年に吉川英治文学賞新人賞を得た作品だが、僕はまだ作者の名を知らなかった。その時点で京都の中学校教員だったこともあって、応援するつもりで読み続けたのである。その後、作家専業になり『そして、バトンを渡された』(2018)で本屋大賞を受賞。すっかり人気作家になって、僕も少し飽きてきた感じもあって近年は読んでない。だから今度の映画も原作は読まずに見たのである。
(山添の髪を切る藤沢さん)
画像のように若い女性が若い男性の髪を切るスチル写真を見ると、多分この二人は恋愛関係にあるか、少なくとも片思いなのかと想像すると思う。だけど、それが違うのである。藤沢美紗(上白石萌音)は高校生の頃から、時々非常にイライラし体調不良になることがあった。それが「PMS」(月経前症候群)という病気で、その後大会社に就職したが適応できずにすぐに退社してしまった。その後栗田科学という小会社で働いている。そこに山添孝俊(松村北斗)という青年が入社してくる。ある時彼が会社で異常な感じになって早退する。藤沢は追って行き「もしかしてパニック障害?」と聞く。
そこから二人は時に助け合う「病友」になっていく。「病友」という言葉は一発で変換出来なかったけど、ハンセン病ではよく聞く言葉だ。その場合は同じ療養所に「隔離」されて、ともに人生を過ごすわけだから「病友」にならざるを得ない。今度の場合はお互いに職場で大変な思いをした過去がある。「生きづらさ」をともに抱えて、恋愛に至る状況にないんだと思う。藤沢はPMSを告げて「一緒に頑張ろう」と言うが、山添は二人の病気には違いが大きいと言う。藤沢は「病気にもランクがあるんだ」と思わず言う。この言葉はとても心に突き刺さる。病気を抱えた者同士が「しんどさ比べ」に陥っている。
(藤沢と山添)
山添には「彼女」もいたが、電車も乗れなくなってしまった彼とは付き合っていくのが大変である。彼からすれば、日常生活への支障が大きいパニック障害に対し、月に一回であるPMSは大変さが違うと思ってしまうのだ。僕はパニック障害の生徒は知っているが、PMSは病名も知らなかった。映画は二人の病態を丁寧に描き、観客も大変さを理解していく。そして、もう一つ大切なのは彼らを受け入れている「栗田科学」という会社である。その社長(光石研)にも悲しい過去があったと判っていき、辛さを支え合う会社になったんだと判る。そういう場所の存在は、観客にとっても宝物を見つけた気持ちになる。
Wikipediaを見ると、原作では会社名は「栗田金属」というらしい。それが映画では「栗田科学」に変更され、子ども向けの科学用品(顕微鏡や天体望遠鏡)などを作っていることになっている。そして年に一度、地域貢献活動として小学校の体育館を借りて移動プラネタリウムを実施する。山添と藤沢はその担当になって、解説原稿を一緒に作ることになった。かつてない「天体映画」でもあり、自分の子ども時代にも天体望遠鏡を見たなあと久しぶりに思い出した。この終わりの方の展開はとても心に沁みる。
(ベルリン映画祭の三宅監督)
藤沢は父がいないらしく、母も病気らしい。彼女は医者にピルを使いたいと言うが、母親に血栓の既往歴があるからダメと言われるシーンがある。そのことと関係があるのかどうか、最後の方では入院している。二人は会社でいつも隣同士なんだから、「普通」なら「好きになっちゃう」もんじゃないか。しかし、この映画では最後まで「友人」で終わり、少しは恋愛要素が出て来るかなと思う(期待する?)観客の予想は裏切られる。そこで自分の「普通」感覚も問われる気がするのである。
僕はこの映画は何だか良いものを見つけた気がして、宝物みたいな映画だなと思った。しかし、病気を自分事として感じられないと、届かない映画じゃないかとも思う。多分主演俳優を見に行った若者にはちょっと遠かったのかもしれない。三宅監督の演出は的確で、主演の二人の病気を違和感なく伝える。同時にいつも感心する月永雄太の撮影が素晴らしい。前作も担当して東京下町の女性ボクサーをドラマティックに映したが、今回の柔らかい映像も見事だ。こういう映画もあるんだなというか、こういう「男女の友情」やこういう会社も良いなと思ったりする「ほっこり映画」である。