「包丁一本 さらしに巻いて」と始まる歌がある。「月の法善寺横町」である。歌い出しは知っているけど、誰が歌ったのかは、もう僕の世代では知らない人がほとんどだろう。大阪の「法善寺横丁」には昔行ったことがあって、名物夫婦善哉を食べようと思ったら満員だったので、レトルトを買って帰った記憶がある。でも歌の方は「横町」と書くと今回知った。歌ったのは藤島恒夫(ふじしま・たけお)で、1960年の大ヒット曲。同年の紅白歌合戦でも歌った。
歌は「旅へ出るのも 板場の修行」と続く。若い二人が愛し合うが、男は修行に出なければならない。「腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか」。日本ではドイツの石工のような遍歴職人はあまり知られていない。でも「職人」の世界には「腕一本」でどこでも生きていけるという気風があった。実際に料理を学んでから、全国各地で修行した話はよく聞く。
料理人の世界の話を書きたいわけではなく、メインは教育の話である。朝日歌壇(1.22)に次のような短歌が掲載されていた。「板書よりパワポ画面を望まれて令和の授業は十人十色」(ふじみ野市、片野里名子)というのである。何で「月の法善寺横町」を思い出したのかと言えば、僕の時代だと教師は「チョーク一本」で授業が出来なければと教えられたからである。もっとも本当に「チョーク一本」で教室に行くことはない。出席簿と教科書は最低限持たないといけない。
(「プロの板書」という本)
黒板にチョークで字などを書くことを「板書」(ばんしょ)と呼ぶ。これは業界用語だろう。最初に聞いたときは判らなかった。まあ何となく聞いているうちに、「黒板に書くこと」なんだなと推測したのである。そして授業は板書が基本で、板書の書き方や工夫を求められた。研究授業で他の教師の板書を見ると、勉強になることも多いけど、あれ書き順が違うぞという時もある。字の上手下手もあるが、下手でもいいから丁寧に読みやすい字を書くことが優先する。だから最初は「板書計画」をノートに書いて準備することが多かった。それは確かに後でも役立つものだったと思う。
1980年代の終わり頃から、ワープロ(文書処理機)が登場して自分も使うようになった。特に試験問題は基本的にワープロで作成するようになった。今までの設問を残しておけるメリットが大きかったのと、生徒にも字が読みやすいという点も大きい。高齢の教員は長く手書きだったので、試験問題が達筆すぎて読めないという苦情を受けたときは困った。21世紀になるとパソコンが普及して、やがて全教員にパソコンが配布されるようになった。それ以前は各教員が私物のワープロ、パソコンを学校に持ち込んで教材作りに利用していたのである。今なら問題視されるのかもしれない。
その頃から「電子黒板」とか「電子教科書」という話題は出ていたが、現実には使いにくい。数が少ないから、何も自分が使わなくてもと思うわけだ。パワーポイントで授業をするなんて考えられなかった。自分では「地図」だけは「電子黒板」を使用してみたかった。掛地図では後ろの生徒が見にくい。それに掛地図は結構値段が高く(大きいものでは5万円ぐらいして、それを各大陸分そろえる必要がある)、学校予算上なかなか更新してくれない。21世紀になっても、ソ連が出てる地図を使ってる学校が結構あった。
(パワーポイントで黒板風に)
それがコロナ禍で、生徒にも全員タブレット端末を配布し、授業もオンラインで行うといった時期があったのだろう。そういうのに慣れてしまうと、生徒からすると一斉授業に戻った後で「板書をノートに取る」ということが苦労に感じられるのだろうか。もう自分にはよく判らない問題なのだが、どんどん世界は変わりつつあるなあと思う。だけど、それで良いのかとも思う。「自分の鉛筆でノートをまとめる」というテクニックも、人間には必須な能力のような気もするのである。
上位1割ぐらいの生徒は、要するにどっちでも対応出来るんだろうと思う。問題は平均付近から平均以下の生徒である。ノートを取るというのは、教師の話を聞き、板書を理解してきちんと字を書くという作業である。当たり前のようで、これはなかなか大変である。世の中で生きていく時には、パソコンやスマホよりも役立つ能力ではないか。例えば「織田信長」を読めても、ちゃんと書けない生徒がいる。アクティブ・ラーニング以前に、ちゃんと基礎用語を書ける力が要る。
「小田和正」でも「尾田栄一郎」でもなく、「織田信成」の「オダ」。そんなことは常識だろうと思うかもしれないが、中には「小田信長」とか「識田信長」なんて書く生徒がいるのである。やっぱり「板書をノートする」というのも大事な気がする…。
歌は「旅へ出るのも 板場の修行」と続く。若い二人が愛し合うが、男は修行に出なければならない。「腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか」。日本ではドイツの石工のような遍歴職人はあまり知られていない。でも「職人」の世界には「腕一本」でどこでも生きていけるという気風があった。実際に料理を学んでから、全国各地で修行した話はよく聞く。
料理人の世界の話を書きたいわけではなく、メインは教育の話である。朝日歌壇(1.22)に次のような短歌が掲載されていた。「板書よりパワポ画面を望まれて令和の授業は十人十色」(ふじみ野市、片野里名子)というのである。何で「月の法善寺横町」を思い出したのかと言えば、僕の時代だと教師は「チョーク一本」で授業が出来なければと教えられたからである。もっとも本当に「チョーク一本」で教室に行くことはない。出席簿と教科書は最低限持たないといけない。
(「プロの板書」という本)
黒板にチョークで字などを書くことを「板書」(ばんしょ)と呼ぶ。これは業界用語だろう。最初に聞いたときは判らなかった。まあ何となく聞いているうちに、「黒板に書くこと」なんだなと推測したのである。そして授業は板書が基本で、板書の書き方や工夫を求められた。研究授業で他の教師の板書を見ると、勉強になることも多いけど、あれ書き順が違うぞという時もある。字の上手下手もあるが、下手でもいいから丁寧に読みやすい字を書くことが優先する。だから最初は「板書計画」をノートに書いて準備することが多かった。それは確かに後でも役立つものだったと思う。
1980年代の終わり頃から、ワープロ(文書処理機)が登場して自分も使うようになった。特に試験問題は基本的にワープロで作成するようになった。今までの設問を残しておけるメリットが大きかったのと、生徒にも字が読みやすいという点も大きい。高齢の教員は長く手書きだったので、試験問題が達筆すぎて読めないという苦情を受けたときは困った。21世紀になるとパソコンが普及して、やがて全教員にパソコンが配布されるようになった。それ以前は各教員が私物のワープロ、パソコンを学校に持ち込んで教材作りに利用していたのである。今なら問題視されるのかもしれない。
その頃から「電子黒板」とか「電子教科書」という話題は出ていたが、現実には使いにくい。数が少ないから、何も自分が使わなくてもと思うわけだ。パワーポイントで授業をするなんて考えられなかった。自分では「地図」だけは「電子黒板」を使用してみたかった。掛地図では後ろの生徒が見にくい。それに掛地図は結構値段が高く(大きいものでは5万円ぐらいして、それを各大陸分そろえる必要がある)、学校予算上なかなか更新してくれない。21世紀になっても、ソ連が出てる地図を使ってる学校が結構あった。
(パワーポイントで黒板風に)
それがコロナ禍で、生徒にも全員タブレット端末を配布し、授業もオンラインで行うといった時期があったのだろう。そういうのに慣れてしまうと、生徒からすると一斉授業に戻った後で「板書をノートに取る」ということが苦労に感じられるのだろうか。もう自分にはよく判らない問題なのだが、どんどん世界は変わりつつあるなあと思う。だけど、それで良いのかとも思う。「自分の鉛筆でノートをまとめる」というテクニックも、人間には必須な能力のような気もするのである。
上位1割ぐらいの生徒は、要するにどっちでも対応出来るんだろうと思う。問題は平均付近から平均以下の生徒である。ノートを取るというのは、教師の話を聞き、板書を理解してきちんと字を書くという作業である。当たり前のようで、これはなかなか大変である。世の中で生きていく時には、パソコンやスマホよりも役立つ能力ではないか。例えば「織田信長」を読めても、ちゃんと書けない生徒がいる。アクティブ・ラーニング以前に、ちゃんと基礎用語を書ける力が要る。
「小田和正」でも「尾田栄一郎」でもなく、「織田信成」の「オダ」。そんなことは常識だろうと思うかもしれないが、中には「小田信長」とか「識田信長」なんて書く生徒がいるのである。やっぱり「板書をノートする」というのも大事な気がする…。
やっぱり尾形先生凄いです。読んでいて読んでみたくなる位に話し方?紹介の仕方がうま過ぎです!辻村さんは、映画が公開されていたので行きました♪
恩田陸さんの本を半端ないと言われたら1番に読むしかないですね。
昨日、先生のブログで、ラーゲリより愛を込めて…を紹介されていて、行こうか迷っていたので、先生に背中を推して貰えて良かったです。号泣でした。
文を書いていても、上手く書けない自分にがっかりしてしまうけど、本当に助かってます。世界が広がるみたいな?あっでも引きこもりとかでは、ないですよ(*^o^*)
Facebookは気にしないで下さい。使っても使わなくてもいいです。だけど、ブログのコメントだと、全員に公開なので。別に誰かに読まれて困ることは書かないけれど、Facebookなどでは「お友達限定」に出来るからといった程度です。
ところで、「おすすめ本」というリクエスト。どうしようかと思ったんですが、「最近の面白小説」に絞ることにしました。小説以外の本でもいいけど、テーマに関心がないと読む気になれないでしょう。
本屋や図書館にはいっぱい本がある。自分の「こだわりテーマ」(犬、花、カレー、子育て、病気などなど)があれば、探しやすいけど、それでも小説を読む楽しみは別にあると思います。
選ぶ基準のために「賞」があります。直木賞とか本屋大賞の本は、エンタメ系面白本が多いので、一応の基準になるでしょう。(でも好き嫌いはあります。)
直木賞を取った辻村深月「鍵のない夢を見る」(文春文庫)、荻原浩「海の見える理髪店」(集英社文庫)なんかは、短編集だから読みやすいでしょう。
次に宮部みゆきさんの本すべて。ミステリーや時代小説などですが、どれも当たり外れなく面白いです、深川4中、墨田川高校卒なので、東京の東の方が出て来る小説も多く、なんか身近なかんじがします。特に杉村シリーズというのが好きで、「名もなき毒」に感心しました。5冊あって、書かれた順番に読む方がいいけど、どこから読んでもいいと思います。
もうちょっと、チャレンジするなら、西加奈子「サラバ!」や恩田陸「蜜蜂と遠雷」。とにかく長いけど、半端なく面白い。難しいことはありません。長いから大変だけど、長いだけの意味があります。
ま、こんなのを思い出してみました。知っているのありましたか? まあ読書はあまり考え込まず、「現実逃避」でもいいと思って気楽に読む方がいいと思います。昔の本はやっぱりちょっと古い。21世紀に書かれたものの方がいいと思う。
あ、芥川賞から一つ。芥川賞というのは、エンタメ系の直木賞と違って、「純文学」の新人に与えられます。どっちも文春が出している賞ですね。村田沙耶香「コンビニ人間」はすぐ読めて面白いと思うけど、なんかあ然として考えてしまう本ですね。それでは。
携帯を使いこなせてないので、登録に時間がかかりそうですが。
尾形先生にお願いです!
本を紹介されてますが、おすすめの本を教えて下さい。先生がバシッと言ってくれたらきっと読めると思うんです。ハードル低めでお願いします。
遅れましたが、菅(すが)(旧姓 浅井)理絵と申します。
僕がわざわざ「尾形修一の」なんてブログに付けてるのは、こうして見つけてくれる人もいるかと思ったからです。ほとんどの人には無意味なんだと思うけど。
早期退職しちゃったので、その後も状況を知らせたいということもあるけど、やはり書くのが苦にならない、好きだから10年続いてます。
別に全部読む必要もなし、いや毎回熟読してもらってももちろんいいけど、コメントも含めて、それはご自由にお願いします。
僕もあれこれ好きに書きたいので、中には趣味や意見の違いもあるでしょう。いちいち議論するのも面倒なんだけど、あえてコメント欄を自由にしています。だから、こうやって見つけて貰えるわけです。
なお、SNSではFacebookのみやってます。そっちで見つけてくれた人もいます。一応情報まで。
母が入院している時に実家の押し入れを整理した時に中学時代の成績表が出て来て、通信欄の尾形先生のコメントが他の先生と違ってました。学生の時は、全然気にならなかったのに、大人になって見返してみるとなんだか嬉しくなってしまいました。思わず名前を入れて検索してしまいました。私は、勉強しないまま大人になってしまった事に後悔しているので、ブログを通して少しでも学べたらと思っています。
確かに、母が確定申告の時に医療の項目を記入して下さいと言われて書くのが大変だと言っました。
娘達の、ノートを見返してみると字が綺麗なんです。やはり、ノート提出も、黒板の文字をノートに書き写すのも大事な事だと思っています。
コメントの返信ありがとうございました。
先生がブログをやっていて良かったです。
楽しみにしてます。
勉強不足で読みにくい文章だと思いますがまた、コメント書いてしまうと思いますがよろしくお願いします。
パスタソース、西葛西のOKと言うスーパーで見つけました。買ってみました。食べるのが楽しみです。
「失礼」なコメントとは、「内容が失礼」だったり、または第三者を批判したり、あるいはコメント自体が支離滅裂な者だと思います。時々意味不明のコメントもあって、それは困ります。
ただの感想だと、あえて返信しないこともありますが、こちらも「コメントありがとう」程度の返信が面倒な時ですね。
ところで、今回の内容に関してですが、例えばワクチンの「問診票」とか、自動車免許の学科試験とか、結構面倒。きちんと「ノート」を取って復習するトレーニングって、実社会で生きてくるんじゃないでしょうか。
特に面倒なのが、年金関係の書類。年齢が高くなるほど何事も面倒に感じるもので、やっぱり自分の字できちんとノートを取る授業も必要だと思います。
最近いろいろ読んで頂いているようで、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
確かに、黒板に書かれた文字をノートに書き写し、先生が話す事を書き大切な所に子供達は、印をつけたりしてました。ノート提出もありました。塾に行っている子がほとんどだけど先生は、しっかり授業を受ける子に内申くれてました。やはり、ノートを書き写すことは、大切ですね。
なぜ?私は、中学生時代に勉強に前向きでなかったのかが悔やまれます。
引き続き私が、読める所を読み学びたいと思います。