尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『あのこと』、「中絶」をめぐる壮絶な傑作

2023年01月24日 22時45分56秒 |  〃  (新作外国映画)
 2021年ヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞の映画『あのこと』を見た。当初のロードショー公開はいつの間にか終わっていたが、千葉県柏市のキネマ旬報シアターでやってたので見ることが出来た。2022年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの原作を映画化したもので、「人工妊娠中絶」が禁止されていた60年代のフランスを舞台にしている。どうしても「テーマ性」が先に立ってくる映画だが、完成度はずば抜けている。壮絶な傑作であり、多くの人に深刻な問いを投げかける映画だ。

 監督は女性のオードレイ・ディヴァン(1980~)で、2作目の監督作品。主演のアンヌはアナマリア・ヴァルトロメイ(1999~)というルーマニア、フランスの二重国籍の女優。11歳の時に『ヴィオレッタ』という映画に出て知られたというが見てない。どちらも知名度的にはゼロに近い。でも驚くべき演出力で、これは原作の持つ衝撃力に全力で立ち向かった迫力だろう。アナマリア・ヴァルトロメイはなかなか覚えられない名前だが、一度見れば目の鋭さ、「世界」に一人立ち向かう勇気と孤独に心をつかまれてしまう。驚くべき演技力で、忘れられない痛みを全身で表現している。
(大学の授業)
 アニー・エルノーに関しては、『アニー・エルノーを読んでみた』を書いたが、極力感情を切り詰めた文章が印象的だった。文教都市として知られる北部のルーアン大学で学んで、その時期のことを描いている。映画では特に言及されないが、やはりルーアン大学の話なんだと思う。小さな飲食店の両親のもとに生まれ、頑張って一族で初めて大学に進んだ。同時代の日本を考えてみても、女性が大学まで進学するのは大変だっただろう。母親をサンドリーヌ・ボネールがやっているが、本気で娘を引っぱたくシーンが印象的だった。知的、階層的な分断が親子の間に生まれつつある。
(フランス映画祭に出席した監督と主演女優)
 都市で「自由」を与えられた学生たちは夜遊びもすれば、時には性関係を持ったりもする。60年代初期で、まだまだ道徳的に厳しい時代だったが、誰かを好きになったり性的な好奇心を持つことは止められない。そしてアンヌは気付いたときには妊娠していた。当初は信じられず、頑張ってきたキャリアを捨てて母親になることは考えられない。しかし、相談した医者たちは「刑務所に行くのは困る」と相手にしてくれない。生理が来る薬だと言われて処方された薬は、後で判るけど流産を防ぐ薬だった。いろんな人に聞きまわり、自分で「流産」を起こそうとするも未遂に終わる。
(大学の友人たちと)
 原作では抽象的な存在という感じだった、大学の友人たちや(妊娠したときの)相手の男も、映画では実体を持った役者が演じるから現実感がある。男は頼りにならず、結局友人たちも頼れない。「違法」である「中絶手術」を行ってくれる医師など、普通の学生が知るはずもないし、関わりたくもない。アンヌは結局世界に一人で立ち向かうしかない。映画はずっとアンヌに寄り添い、カメラは頻繁に動き回るが、全く気にならない。むしろ一緒になって一喜一憂することになる。監督はアンヌを「自由を勝ち取るために闘う戦士」として撮ったと語っている。

 映画ならではの女子学生寮の様子、男友だちと行く海水浴、日々の夜遊びと言い寄る男たち(消防士)、大学での一斉授業など、こういうものだったのかと驚いた。寮ではシャワーを交代で浴びるしかなく、その後はタオルを巻いたまま部屋まで帰る。日本だと「風呂」がないことはあり得ないが、フランスでは共同シャワーしかなかったのである。

 「妊娠中絶」はアメリカで大きな政治問題になっている。望む妊娠も、望まざる妊娠も、あるいは望んでも得られない妊娠も、人生の一大事である。安易に語れるテーマではないが、この映画は原作を完璧に映像化していると思う。つまり、「自由」のない社会への告発なのだが、ある立場の人から見れば「安易にセックスした本人が悪い」としか考えない人もあるだろう。それにあまりにも壮絶な痛み(身体的、精神的)が描かれ続け、見たくない人もあると思う。でもこの映画が傑作であるという事実は変わらない。
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