吉田大八監督が筒井康隆の原作を映画化した『敵』。東京国際映画祭で東京グランプリ、最優秀男優賞(長塚京三)、最優秀監督賞の3冠に輝いた作品である。事情があって見るのがちょっと遅れたが、この映画はものすごい傑作である。今どき珍しい白黒映画だが、演出、演技、撮影などの完成度が高く、緊迫した画面に目が離せない。しかし、この映画があまり好きじゃないという人もいると思う。それは原作者筒井康隆の「悪意」あるブラック・ユーモアが合わない人もいるはずだから。だけど、これはかつてなく完成度の高い「知識人映画」で、高齢者にとっては思わず笑ってしまう「悪意」に満ちている。
主人公は元フランス文学の大学教授、渡辺儀助(長塚京三)、77歳。妻はもう20年近い前に亡くなり、都内の古い家で一人暮らしをしている。もちろん大学は退職しているが、今も昔の教え子が雑誌連載を少し依頼してくれる。だから毎日少しずつパソコンでエッセイを書いている。専門はラシーヌとかモリエールとかの何百年も前のフランス演劇。一人暮らしでも生活レベルは落とせず、自分で材料を買い込んで自炊している。やがて年金と資産を食い潰す時が来るだろうが、その時が寿命の終わりと考え、特に健診にも行かない。そして、彼の内的世界には未だ女性が住み続けている。
その一人が教え子の鷹司靖子(瀧内公美)で、今も時々自宅でディナーを振る舞っている。大学時代は彼女を観劇に誘って食事を奢っていたらしい。性的関係はなかったものの、実は惹かれてきたのか? 今の基準なら問題になりかねない付き合いだったらしい。卒業後は出版社に就職し、昔は時々雑誌に劇評を書かせてくれたが、今はもうそんな雑誌も無くなった。儀助の夢の世界には靖子の面影がひんぱんに現れ危ない会話を楽しむが、自分でも夢と理解しているらしい。
また家の片付けなどに来てくれる男の教え子もいる。雑誌に原稿を依頼してくれる教え子とは、時々バーに飲みに行ったりする。それは「夜間飛行」というサン=テグジュペリにちなんだバーで、最近はオーナーの姪(河合優美)が時々手伝いに来るようになった。彼女は立教大仏文3年で、『赤と黒』も『異邦人』も途中で挫折したというのに、何故か仏文を選んだ。儀助とのフランス文学の会話を楽しんで、今度フランス文学に出て来る料理を作ると約束する。しかし、彼女は学費も滞納していて何か悩みもありそうだ…。と「今を時めく」河合優美とフランス文学を語りあい、つい同情してしまうのだが…。
しかし、もちろん彼の人生で一番重要な女性は亡妻(黒沢あすか)である。古い家には時々亡妻が現れるようになり、一緒にパリに連れて行ってくれなかったと責める。時には一緒にお風呂にも入るし、ディナーにも同席する。しかし、儀助は亡妻がいるのは不自然だからこれは夢の世界だと認識したりする。そんな彼の世界に「敵」が出現する。初めはパソコンに届くスパムメールとして。「敵」が現れたという。「北」から攻めて来ていると言う。マスコミは全く報じないが、どんどん近づいていると言う。何度も何度も「敵」に関するメールが届くので、ある日クリックしてしまうとパソコンは異常になってしまう。
儀助先生の日々の暮らしを細密に描くリアリズム映画に始まり、やがて彼の夢の世界が画面に出現し、ついには「敵」の襲撃(?)という事態に陥る。日本には知識人を描く映画が少ないが、これは非常に珍しい成功作だと思う。ちょっと前に『春画先生』があったが、あれは素材的にもコメディだった。一方、『敵』は日本では成功例が少ない「ブラックユーモア」の傑作。市川崑『黒い十人の女』や森田芳光『家族ゲーム』などに匹敵する傑作だと思う。
吉田大八監督(1963~)は『桐島、部活やめるってよ』(2012)と『紙の月』(2014)という傑作があるが、演出だけ見れば2作を越える傑作ではないか。主演の長塚京三(1945~)は実年齢では79歳で、儀助より少し年長だった。パリに留学していた経験があり、まさにはまり役。去年見直した左幸子監督『遠い一本の道』(1977)に「新人」としてクレジットされていたが、当然若々しくて驚いた。『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』を見たばかりだが、あれは女性2人による「死をめぐる対話」だった。この『敵』は一人暮らし男性老人の妄想的な死との戯れである。どっちも高齢者映画の傑作だが、若い人もぜひ見て欲しい。
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