2024年9月の訃報特集。3回になる予定。まず政治関係を除く、外国の文化、スポーツ関係から。イギリスの俳優マギー・スミスが9月27日死去、89歳。マスコミでは晩年の『ハリー・ポッター』シリーズや『ダウントン・アビー』が大きく扱われていた。もちろんその通りだけど、元々はイギリスの舞台俳優で50年代から近年までシェークスピアなど数多く演じてきた。映画も早くから出ていたが、『オセロ』(1965)で米アカデミー賞助演女優賞にノミネートされて注目された。その後、数多くの映画に出演し、『ミス・ブロディの青春』(1969)でアカデミー賞主演女優賞、『カリフォルニア・スイート』(1978)で助演女優賞。『天使にラブソングを』(1992)が世界的にヒットしたが、僕の一番の思い出は『眺めのいい部屋』(1986)。
(マギー・スミス)
アメリカのシンガーソングライター、俳優のクリス・クリストファーソンが9月28日死去、88歳。オックスフォード留学、陸軍士官学校の経歴を捨てて、カントリー歌手になる夢に賭けてナッシュヴィルに向い、コロンビア・レコードの清掃夫をしながら歌手をめざした。ジャニス・ジョプリンが歌って全米1位となった「ミー・アンド・ボビー・マギー」を作った人である。60年代末から俳優としても活躍し、特にサム・ペキンパー監督の『ビリー・ザ・キッドの生涯』『ガルシアの首』『コンボイ』で活躍した。バーブラ・ストライサンドと共演した『スター誕生』でゴールデングローブ賞を受賞。『アリスの恋』『午後の曳航』(三島由紀夫原作をアメリカで映画化)などでも重要な役を演じた。21世紀にも出演しているが、やはり70年代の印象が圧倒的。生涯で3回結婚し、2回目(73~80)の相手は歌手のリタ・クーリッジだった。
(クリス・クリストファーソン)
ブラジルの音楽家で、ボサノバ『マシュ・ケ・ナダ』が世界的にヒットしたセルジオ・メンデスが9月5日死去、83歳。もともとクラシックを学んだが、やがて当時人気だったボサノバに移行した。1965年からはアメリカで活動し、1966年に「セルジオ・メンデス&ブラジル'66」のファーストアルバムを発表。その中の『マシュ・ケ・ナダ』がシングルカットされ大ヒットした。確かにこれは若い頃にラジオでよく掛かっていた。何となく知ってる人が多いだろう。ちなみに「マシュ・ケ・ナダ」とは当時のサンパウロのすラングで「まさか」「なんてこった」というような意味だという。70年の大阪万博公園他、数多くの来日公演がある。
(セルジオ・メンデス)(「マシュ・ケ・ナダ」)
「ジャクソン5」のメンバーで、次兄にあたるティト・ジャクソンが15日死去、70歳。つまり、マイケル・ジャクソンの兄になる。グループではギタリストとコーラスを担当した。アメリカの俳優ジェームズ・アール・ジョーンズが9日死去、93歳。『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーや『ライオン・キング』のムファサの声優をやった人である。しかし、本当は舞台やテレビで活躍し、トニー賞3回、エミー賞2回の受賞歴がある俳優だった。映画では『ボクサー』(1970)で、黒人初のヘビー級チャンピオンになりながら白人女性と恋愛して排斥されるボクサーを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
(ティト・ジャクソン)(ジェームズ・アール・ジョーンズ)
アメリカのミステリー作家、ネルソン・デミルが17日死去、81歳。日本では報道されなかったが、かつてずいぶん翻訳されて読まれていた。長い作品が多く、文庫本だと2冊になることが多かった。『誓約』『チャーム・スクール』『将軍の娘』『ゴールド・コースト』『王者のゲーム』など、全部上下本。最初の3冊は「このミス」入選作で、僕も読んだはずだけど全然覚えてない。
(ネルソン・デミル)
スポーツではアメリカの元プロ野球選手、監督のピート・ローズが30日死去、83歳。この人は良くも悪くも「伝説の人」だった。MLB最多安打(4256本)、最多出場試合(3562試合)、年間200本安打10回などの最高記録を持ち、大リーグ史上最高の選手と目された。しかし、引退後に監督をしていた1989年に野球賭博への関与が発覚し、球界を永久追放になった。完全にギャンブル依存で毎晩のように賭けていたというが、自チーム勝利に賭けていたという。90年には脱税で服役したこともある。記録の偉大さから何度も復権の動きがあったが、結局認められなかった。サッカー元イタリア代表サルバトーレ・スキラッチが18日死去、59歳。90年ワールドカップ・イタリア大会で得点王、最優秀選手に輝いた。94~97年には磐田でプレーした。
(ピート・ローズ)(スキラッチ)
・ドイツの現代美術家レベッカ・ホルンが6日死去、80歳。羽や角などで身体を拡張したパフォーマンスで知られた。2010年に世界文化賞。
・フランスの映画撮影監督のピエール=ウィリアム・グレンが24日死去、80歳。トリュフォー監督の『アメリカの夜』『トリュフォーの思春期』などを撮影した。ジョージ・ロイ・ヒル監督の『リトル・ロマンス』などアメリカ映画でも活躍した。
(マギー・スミス)
アメリカのシンガーソングライター、俳優のクリス・クリストファーソンが9月28日死去、88歳。オックスフォード留学、陸軍士官学校の経歴を捨てて、カントリー歌手になる夢に賭けてナッシュヴィルに向い、コロンビア・レコードの清掃夫をしながら歌手をめざした。ジャニス・ジョプリンが歌って全米1位となった「ミー・アンド・ボビー・マギー」を作った人である。60年代末から俳優としても活躍し、特にサム・ペキンパー監督の『ビリー・ザ・キッドの生涯』『ガルシアの首』『コンボイ』で活躍した。バーブラ・ストライサンドと共演した『スター誕生』でゴールデングローブ賞を受賞。『アリスの恋』『午後の曳航』(三島由紀夫原作をアメリカで映画化)などでも重要な役を演じた。21世紀にも出演しているが、やはり70年代の印象が圧倒的。生涯で3回結婚し、2回目(73~80)の相手は歌手のリタ・クーリッジだった。
(クリス・クリストファーソン)
ブラジルの音楽家で、ボサノバ『マシュ・ケ・ナダ』が世界的にヒットしたセルジオ・メンデスが9月5日死去、83歳。もともとクラシックを学んだが、やがて当時人気だったボサノバに移行した。1965年からはアメリカで活動し、1966年に「セルジオ・メンデス&ブラジル'66」のファーストアルバムを発表。その中の『マシュ・ケ・ナダ』がシングルカットされ大ヒットした。確かにこれは若い頃にラジオでよく掛かっていた。何となく知ってる人が多いだろう。ちなみに「マシュ・ケ・ナダ」とは当時のサンパウロのすラングで「まさか」「なんてこった」というような意味だという。70年の大阪万博公園他、数多くの来日公演がある。
(セルジオ・メンデス)(「マシュ・ケ・ナダ」)
「ジャクソン5」のメンバーで、次兄にあたるティト・ジャクソンが15日死去、70歳。つまり、マイケル・ジャクソンの兄になる。グループではギタリストとコーラスを担当した。アメリカの俳優ジェームズ・アール・ジョーンズが9日死去、93歳。『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダーや『ライオン・キング』のムファサの声優をやった人である。しかし、本当は舞台やテレビで活躍し、トニー賞3回、エミー賞2回の受賞歴がある俳優だった。映画では『ボクサー』(1970)で、黒人初のヘビー級チャンピオンになりながら白人女性と恋愛して排斥されるボクサーを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
(ティト・ジャクソン)(ジェームズ・アール・ジョーンズ)
アメリカのミステリー作家、ネルソン・デミルが17日死去、81歳。日本では報道されなかったが、かつてずいぶん翻訳されて読まれていた。長い作品が多く、文庫本だと2冊になることが多かった。『誓約』『チャーム・スクール』『将軍の娘』『ゴールド・コースト』『王者のゲーム』など、全部上下本。最初の3冊は「このミス」入選作で、僕も読んだはずだけど全然覚えてない。
(ネルソン・デミル)
スポーツではアメリカの元プロ野球選手、監督のピート・ローズが30日死去、83歳。この人は良くも悪くも「伝説の人」だった。MLB最多安打(4256本)、最多出場試合(3562試合)、年間200本安打10回などの最高記録を持ち、大リーグ史上最高の選手と目された。しかし、引退後に監督をしていた1989年に野球賭博への関与が発覚し、球界を永久追放になった。完全にギャンブル依存で毎晩のように賭けていたというが、自チーム勝利に賭けていたという。90年には脱税で服役したこともある。記録の偉大さから何度も復権の動きがあったが、結局認められなかった。サッカー元イタリア代表サルバトーレ・スキラッチが18日死去、59歳。90年ワールドカップ・イタリア大会で得点王、最優秀選手に輝いた。94~97年には磐田でプレーした。
(ピート・ローズ)(スキラッチ)
・ドイツの現代美術家レベッカ・ホルンが6日死去、80歳。羽や角などで身体を拡張したパフォーマンスで知られた。2010年に世界文化賞。
・フランスの映画撮影監督のピエール=ウィリアム・グレンが24日死去、80歳。トリュフォー監督の『アメリカの夜』『トリュフォーの思春期』などを撮影した。ジョージ・ロイ・ヒル監督の『リトル・ロマンス』などアメリカ映画でも活躍した。
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