「維新」を考えるシリーズが途中になっているが、その前に「れいわ新選組」について書いておきたい。基本的にはすべての党に指摘したいことがあるのだが、全部書いてる(時間的)余裕がない。特に「野党の選挙協力はなぜ出来ないのか」は重大な問題だが、その中で「れいわ新選組」は最近際だって「独自路線」を強調している。もちろん独自政党なんだから、どこに候補を立てようが自由である。それにしても…と思うことが多いので、ちょっと指摘しておきたいのである。
「れいわ新選組」に関しては、 まずそのネーミングが理解出来ない。そのことは前にも書いているので、今回は一番最後に回したい。候補者擁立や公約以前に、どうも不可解に思ったのは9月30日の石破総裁発言に対する山本太郎代表の「コメント」だった。臨時国会は10月1日に召集予定だったので、石破氏は翌日に総理大臣に指名されることが確実だったものの、まだ岸田内閣は総辞職していなかった。その時点で石破氏は「10月9日に衆議院を解散し、27日に投開票を行う」と表明した。憲法7条による解散は憲法上認められるかという問題もあるが、それを認めるとしてもまだ内閣総理大臣ではない石破氏に「衆議院解散権」はなかった。そこで「憲法違反発言」だとする指摘もあるわけだが、いま問題にしたいのはそのことではない。
山本代表のコメントは「自民党とは詐欺師であり統一教会であり裏金泥棒でありサタンだ」というものだった。およそ公党の代表者が発する言葉とは思えない。自民党が「詐欺師」であり「裏金泥棒」だというのは、(ちょっと品位には欠けるが)反対党による論評の範囲だとみなせる。「統一協会」だというのは理解出来ないが、「統一協会問題を直視していない」という意味に解することは可能。しかし、「サタン」だというのは理解不能だ。「サタン」(悪魔)はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教義に関わる用語であり、日本では一般的な批評用語(あるいは罵倒語)ではない。一神教を信仰していない人には意味がない。このような言葉遣いは、「れいわ新選組」が独自の世界観を持つ組織だということを意味するのかもしれない。
もう一つ、最近の注目すべき出来事として「沖縄1区の擁立問題」がある。れいわ新選組は10月8日に沖縄1区に久保田みどりを擁立すると発表したが、3日後の11日に「沖縄1区について」という声明を発表して、久保田の立候補を取り下げた。沖縄県では2014年総選挙から続けて3回、野党に加えて翁長、玉城知事を支持する一部保守勢力が共闘する「オール沖縄」体制が続いてきた。2014年は4小選挙区で全勝したが、17年は沖縄4区、21年は沖縄3区、4区で自民党に敗北した。その中で1区では共産党の赤嶺政賢が3回連続して当選してきた。これは全国で唯一、共産党が小選挙区で獲得した議席である。
(沖縄1区に関する声明)
声明によれば、れいわ新選組は沖縄4区の候補選出をめぐって「オール沖縄」への批判を強めていた。1区=共産、2区=社民、3区=立民(比例当選)は、現職がいるためその議員が継続するが、4区の場合はどうするか。結局前回敗れた立憲民主党金城徹の立候補が決定した。金城は71歳と高齢なので、若手や女性を擁立すべきだとの批判も強く、れいわ新選組は50歳の山川仁の立候補を決めた。僕も「オール沖縄」候補者が高齢男性ばかりだという批判はもっともだと思う。野党支持者が「オール沖縄」を神聖不可侵と考えるのもおかしい。だが、突然の1区擁立が共産党への打撃になるのも明らかで、疑問や反発が出て来るのも予想出来る。
そういうことをすべて予想したうえでの立候補かと思ったら、3日後には早くも取り下げ。このブレはどうしたものなんだろう。その前日にれいわ新選組は衆院選の立候補者を発表した。比例東京ブロック単独で伊勢崎賢治など注目すべき候補もいる。その中で、埼玉5区で辻村ちひろ(男性)、千葉14区にミサオ・レッドウルフ(女性)の擁立が含まれていて注目された。前者は枝野幸男、後者は野田佳彦の選挙区である。どこに立てるも自由とは言いつつ、これでは「主敵は立憲民主党」と宣言しているようなものだ。自民党「裏金」議員の選挙区にも、有力対立候補がいない選挙区は存在する。自民党有力者にぶつけるのではなく、野党有力者に対抗馬を立てるのは「結果的に自民党を利するもの」だろう。そういう理解で良いのか、きちんと説明すべきだと思う。
(公約)
公約については僕も共感する部分もあるが、全体的に「おいしすぎる」感が否めない。「消費税廃止」「季節ごとのインフレ給付金」「社会保険料減免」「子ども手当一律3万円」などなど。消費税を廃止した上で、こんなに給付出来るんだろうか。そんな心配(期待)をするまでもなく、れいわ新選組が全員当選しても過半数には遠く及ばず、投票しても給付金など貰えない。いろいろ自公政権の施策を見直して、廃止すべきものを廃止すればお金は出て来るというのかもしれない。だけど、そんなことは夢物語だろう。いつか勢力を増やして政権を獲得したとしても、その時は強大な反対党を意識せざるを得ないのだから。
ともあれ、そんな遠い将来の夢を見るのはやめて、当面の衆院選をどうするか。いま自民党に批判が集まっているときに、少数勢力はどうするべきか。共産党のような歴史と思想性がある政党はともかく、「れいわ新選組」のような歴史が浅く地方議員も少ない党が、与党に対してではなく他野党に向かってケンカを売っていて良いのだろうか。もちろん立憲民主党側にも問題があるにしても。公約を見れば、明らかに「ポピュリズム政党」と呼ぶしかないと思う。それはもともと「党名」に「れいわ新選組」と名付けた段階で予想出来たことである。「れいわ」にも「新選組」にも、歴史的センスがあれば違和感を覚えると思う。
「元号」には政治的、イデオロギー的背景があるし、さらに一党が独占して使用すべきものではない。ホームページを見ると「れいわと一緒に」日本を変えようと呼びかけている。これは「元号の政治的利用」だろう。「新選組」も歴史的にどう評価するか明らかにするべきだ。「維新」を主導した薩長勢力と対決したのが「新選組」だから、「維新」と「新選組」が21世紀に再び対決するのも当然か。それにしても歴史が逆行しているようなネーミングに驚いてしまう。
「れいわ新選組」に関しては、 まずそのネーミングが理解出来ない。そのことは前にも書いているので、今回は一番最後に回したい。候補者擁立や公約以前に、どうも不可解に思ったのは9月30日の石破総裁発言に対する山本太郎代表の「コメント」だった。臨時国会は10月1日に召集予定だったので、石破氏は翌日に総理大臣に指名されることが確実だったものの、まだ岸田内閣は総辞職していなかった。その時点で石破氏は「10月9日に衆議院を解散し、27日に投開票を行う」と表明した。憲法7条による解散は憲法上認められるかという問題もあるが、それを認めるとしてもまだ内閣総理大臣ではない石破氏に「衆議院解散権」はなかった。そこで「憲法違反発言」だとする指摘もあるわけだが、いま問題にしたいのはそのことではない。
山本代表のコメントは「自民党とは詐欺師であり統一教会であり裏金泥棒でありサタンだ」というものだった。およそ公党の代表者が発する言葉とは思えない。自民党が「詐欺師」であり「裏金泥棒」だというのは、(ちょっと品位には欠けるが)反対党による論評の範囲だとみなせる。「統一協会」だというのは理解出来ないが、「統一協会問題を直視していない」という意味に解することは可能。しかし、「サタン」だというのは理解不能だ。「サタン」(悪魔)はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教義に関わる用語であり、日本では一般的な批評用語(あるいは罵倒語)ではない。一神教を信仰していない人には意味がない。このような言葉遣いは、「れいわ新選組」が独自の世界観を持つ組織だということを意味するのかもしれない。
もう一つ、最近の注目すべき出来事として「沖縄1区の擁立問題」がある。れいわ新選組は10月8日に沖縄1区に久保田みどりを擁立すると発表したが、3日後の11日に「沖縄1区について」という声明を発表して、久保田の立候補を取り下げた。沖縄県では2014年総選挙から続けて3回、野党に加えて翁長、玉城知事を支持する一部保守勢力が共闘する「オール沖縄」体制が続いてきた。2014年は4小選挙区で全勝したが、17年は沖縄4区、21年は沖縄3区、4区で自民党に敗北した。その中で1区では共産党の赤嶺政賢が3回連続して当選してきた。これは全国で唯一、共産党が小選挙区で獲得した議席である。
(沖縄1区に関する声明)
声明によれば、れいわ新選組は沖縄4区の候補選出をめぐって「オール沖縄」への批判を強めていた。1区=共産、2区=社民、3区=立民(比例当選)は、現職がいるためその議員が継続するが、4区の場合はどうするか。結局前回敗れた立憲民主党金城徹の立候補が決定した。金城は71歳と高齢なので、若手や女性を擁立すべきだとの批判も強く、れいわ新選組は50歳の山川仁の立候補を決めた。僕も「オール沖縄」候補者が高齢男性ばかりだという批判はもっともだと思う。野党支持者が「オール沖縄」を神聖不可侵と考えるのもおかしい。だが、突然の1区擁立が共産党への打撃になるのも明らかで、疑問や反発が出て来るのも予想出来る。
そういうことをすべて予想したうえでの立候補かと思ったら、3日後には早くも取り下げ。このブレはどうしたものなんだろう。その前日にれいわ新選組は衆院選の立候補者を発表した。比例東京ブロック単独で伊勢崎賢治など注目すべき候補もいる。その中で、埼玉5区で辻村ちひろ(男性)、千葉14区にミサオ・レッドウルフ(女性)の擁立が含まれていて注目された。前者は枝野幸男、後者は野田佳彦の選挙区である。どこに立てるも自由とは言いつつ、これでは「主敵は立憲民主党」と宣言しているようなものだ。自民党「裏金」議員の選挙区にも、有力対立候補がいない選挙区は存在する。自民党有力者にぶつけるのではなく、野党有力者に対抗馬を立てるのは「結果的に自民党を利するもの」だろう。そういう理解で良いのか、きちんと説明すべきだと思う。
(公約)
公約については僕も共感する部分もあるが、全体的に「おいしすぎる」感が否めない。「消費税廃止」「季節ごとのインフレ給付金」「社会保険料減免」「子ども手当一律3万円」などなど。消費税を廃止した上で、こんなに給付出来るんだろうか。そんな心配(期待)をするまでもなく、れいわ新選組が全員当選しても過半数には遠く及ばず、投票しても給付金など貰えない。いろいろ自公政権の施策を見直して、廃止すべきものを廃止すればお金は出て来るというのかもしれない。だけど、そんなことは夢物語だろう。いつか勢力を増やして政権を獲得したとしても、その時は強大な反対党を意識せざるを得ないのだから。
ともあれ、そんな遠い将来の夢を見るのはやめて、当面の衆院選をどうするか。いま自民党に批判が集まっているときに、少数勢力はどうするべきか。共産党のような歴史と思想性がある政党はともかく、「れいわ新選組」のような歴史が浅く地方議員も少ない党が、与党に対してではなく他野党に向かってケンカを売っていて良いのだろうか。もちろん立憲民主党側にも問題があるにしても。公約を見れば、明らかに「ポピュリズム政党」と呼ぶしかないと思う。それはもともと「党名」に「れいわ新選組」と名付けた段階で予想出来たことである。「れいわ」にも「新選組」にも、歴史的センスがあれば違和感を覚えると思う。
「元号」には政治的、イデオロギー的背景があるし、さらに一党が独占して使用すべきものではない。ホームページを見ると「れいわと一緒に」日本を変えようと呼びかけている。これは「元号の政治的利用」だろう。「新選組」も歴史的にどう評価するか明らかにするべきだ。「維新」を主導した薩長勢力と対決したのが「新選組」だから、「維新」と「新選組」が21世紀に再び対決するのも当然か。それにしても歴史が逆行しているようなネーミングに驚いてしまう。
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