尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

山藤章二、細江英公、渡辺武信、赤澤史朗他ー2024年9月の訃報③

2024年10月08日 21時52分05秒 | 追悼
 2024年9月の訃報、日本の文化関係にしぼって。イラストレーターの山藤章二が9月30日死去、87歳。何と言っても「週刊朝日」に1976年から2021年まで2260回連載した「ブラック・アングル」である。風刺とブラックユーモアを利かしたイラストが評判となり、「週刊朝日を後ろから開かせる男」と呼ばれた。ホントに傑作が多く、僕も同時代に見て爆笑したものだ。83年に菊池寛賞。「週刊朝日」も2023年5月で終わってしまった。傑作の数々は検索すればいっぱい出て来るので、ここには載せない。
(山藤章二)
 写真家の細江英公が9月16日死去、91歳。1963年に三島由紀夫をモデルに使った『薔薇刑』を発表して注目された。70年には舞踏家土方巽を秋田の農村で撮影した『鎌鼬』(かまいたち)で芸術選奨文部大臣賞。リアリズム写真とは違う芸術表現としての写真を追求した。2010年に文化功労者。ちゃんと見たことはないが、特に三島の姿など一度見たら忘れがたい写真だ。
(細江英公)(『薔薇刑』)
 詩人、建築家、映画評論家の渡辺武信が8日死去、86歳。1964年に鈴木志郞康、天沢退二郎などと詩誌「凶区」を創刊して活躍した。僕にとってはキネマ旬報に延々と連載した『日活アクションの華麗な世界』(1980ー81)の著者として忘れられない。日活アクションとは、50年代末から60年代前半にかけ石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子らが出演して作られた娯楽映画群(プログラム・ピクチャー)である。それらの映画は、「自己の誇り」のためにアイデンティティを賭けて闘う映画だったと分析した。僕にとって非常に大きな影響を与えられた本である。
(渡辺武信)
 日本近現代史専攻の歴史学者、立命館大学名誉教授の赤澤史朗が9月20日死去、76歳。この訃報には驚いた。若い頃に赤澤氏らの思想史研究会に参加していた思い出があるからだ。早稲田大学大学院の博士課程で学び、1988年から立命館大学法学部助教授、教授となった。一般に知られた著作としては、『靖国神社 「殉国」と「平和」をめぐる戦後史』(岩波現代文庫)がある。他に『近代日本の思想動員と宗教統制』『戦没者合祀と靖国神社』など。
(赤澤史朗)
 考古学者、歴史民俗学博物館教授の松木武彦が9月21日死去、62歳。大学時代にアーチェリー部に所属していたことをきっかけに、古代の弓を研究した。そこから戦争と平和の考古学研究に領域を広げ、さらに過去の遺物を通して当時の人々の心に迫る「認知考古学」で知られた。『列島創世記 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』(2008)でサントリー学芸賞。『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』(2001)、『古墳とはなにか 認知考古学からみる古代』(2011)、『縄文とケルト 辺境の比較考古学』(2017)など一般向け著作も多かった。現職中の死去は残念すぎる。
(松木武彦)  
 作家の宇能鴻一郎が8月28日に死去、90歳。1962年に『鯨神』で芥川賞を受けたが、70年代に官能小説の第一人者となった。最近になって昔の異色小説が再評価されて、詳しくは『姫君を喰う話』(新潮文庫)を読んだときに書いたので参照。
(宇能鴻一郎)
 合唱指揮者の田中信昭が9月12日死去、96歳。東京混声合唱団の創設を主導し、多くの新作の初演して「独自の合唱文化を構築」したと出ている。全国のプロ、アマの合唱団の指導に積極的に取り組んだ。2016年に文化功労者。8月31日にも東混公演で指揮をしていたというが、僕はこの人の名前も知らなかった。
(田中信昭)
 歌謡グループ「敏いとうとハッピー&ブルー」のリーダー、敏いとうが9月10日死去、84歳。本名は伊藤敏。71年に結成し、「わたし祈ってます」が大ヒットした。「星降る街角」「よせばいいのに」などで「ムード歌謡の帝王」と呼ばれた。
 (敏いとう)
 文芸評論家、慶応大名誉教授の福田和也が9月20日死去、63歳。『日本の家郷』やエッセー『悪女の美食術』などが評価された。保守派の論客として知られ、『日本クーデター計画』などひんしゅくを買うような本をあえて出している。また『作家の値打ち』(2000)では100人の作家を点数で評価して話題となった。江藤淳の影響を受け、追悼・回想記『江藤淳という人』(2000)を書いた。ネット以前の「保守論壇誌」時代の文化人だったかも。
(福田和也)
 ノンフィクション作家の佐々淳子が9月1日死去、56歳。 災害現場や死をテーマにした作品で知られる。『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で2012年開高健ノンフィクション賞。また東日本大震災で被災した製紙工場を描く『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』、週末期がん患者を追った『エンド・オブ・ライフ』などの著書がある。2022年末に脳腫瘍が見つかり闘病していた。僕は全然知らなかった人。
(佐々淳子)
 映画スクリプターの白鳥あかねが14日死去、92歳。1955年から日活のスクリプター(記録)として多くの作品に関わった。後にシナリオも書くようになり、日活ロマンポルノなどを手掛けた。著書に『スクリプターはストリッパーではありません』がある。僕は何度かトークを聞いたことがある。作家、エッセイスト、ポプリ研究家の熊井明子が9月21日死去、84歳。『シェイクスピアの香り』などで山本安英賞。ポプリブームの立役者で、ポプリ、猫、シェークスピア関係の本の多数の著書がある。映画監督の故熊井啓氏の夫人。
(白鳥あかね)(熊井明子)
・元共同テレビ会長の岡田太郎が3日死去、94歳。フジテレビでドラマ製作に関わった。吉永小百合の夫。
・音楽プロデューサーの川添象郎(かわぞえ・しょうろう)が8日死去。「ヘアー」の日本公演やYMOの世界進出に尽力した。
・洋画家で芸術院会員の中山忠彦が24日死去、89歳。
・書評家の茶木則雄が死去、67歳。27日に公表されたが死亡日は未発表。ミステリー専門書店「ブックスサカイ深夜プラス1」の店長をつとめ、その後フリーライターとしてミステリーなどの書評で活躍した。

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