伊与原新を読むシリーズは一応3回で終わりたい。最後に『宙(そら)わたる教室』(文藝春秋、2023)を中心に、『ブルーネス』(2016、文春文庫)、『オオルリ流星群』(2022、角川文庫)にも少し触れたい。これらは長編小説で、短編集である『藍を継ぐ海』より感動的だと思う。(特に僕のイチ押しは『オオルリ流星群』。)それはともかく、これら3作には共通した感触がある。それは学界でうまく行ってない(非主流的な)研究者が在野(もしくは小さな研究組織)で大学をも凌駕する研究をめざすという構図である。それって何となくどこかで読んだような気が…? そう池井戸潤の『下町ロケット』じゃないか。
しかし、池井戸潤は宇宙工学の研究者ではない。(文系出身の元銀行員である。)従って『下町ロケット』の技術的な部分は取材して書いたんだろう。作家の仕事は読者に伝わる文章を書くことだから、それで良いのである。『下町ロケット』の技術的、工学的な叙述はとても判りやすかった(全部忘れてしまったけど)。一方、伊与原新はホントの学者出身だから、地球物理学的なテーマの科学的な信憑性は高いけれど、けっこう本格的に難しいときがある。そこが「文学」的にどうなのかと言われて来たようだ。そして、実際に『ブルーネス』や『宙わたる教室』の科学的な部分には僕には難しすぎる部分があるんだなあ。
『宙わたる教室』は東京の夜間定時制高校(架空の東新宿高校定時制)の生徒たちが、新任の理科教諭に指導されて「科学部」を作って本格的な研究にチャレンジする話である。実際に東京の夜間定時制に勤めた身としては結構ツッコミどころも多いけれど、感動的な物語なのは間違いない。だからこそNHKでドラマ化され、評判を呼んだわけである。そのチャレンジは「火星(の重力)を地球上で再現する」というもので、読んでるときは何となく納得してしまうけど、僕には説明不能。だけど、中で出てくるNASAの火星探査船オポチュニティの話は感動的だ。2004年に始まり、予定をはるかに越えて2018年まで活動した実話は心に沁みる。
少子化の時代に夜間定時制に集まる生徒には大体4つの類型がある。まずは今も一定数いる「ヤンチャ系」で、喫煙、ケンカなどで全日制を退学してしまったようなタイプである。次は「不登校系」で、病気やいじめ、発達障害などで中学に通えなくなって、全日制高校へ行けなくなったタイプ。3番目は「ニューカマー外国人」で、日本語力の問題で全日制は難しく(定員割れしている)夜間定時制に来る。外交官や大企業幹部の子どもならインターナショナル・スクールに行けるわけで、親が働きに来ている東南アジア各国の子どもが多い。最後が昔行けなかった高校に一度通いたいという「高年齢生徒」である。
「科学部」の4人はこの4類型が集まっていて、幾つもの衝突を繰り返しながら研究にチャレンジしていく。もちろんこんなにうまく行くかよという気はするが、これら生徒たちの悩みを知って欲しいという気はする。実際にこういう生徒たちと長い時間接してきて、あまり思い出したくないところもある。だけど、実際にこういう人たちが今の日本で学んでいるという現実は多くの人に知って欲しい。政治家やマスコミの人は大体「良い学校」を出ている場合が多いはず。存在すら気付かぬ「定時制高校」に目を向けて欲しい。これに訳あり全日制生徒も加えて、考えるところが大いにある小説になっている。
『オオルリ流星群』は神奈川県秦野市近郊(丹沢山系)に小さな天文台を作る話。かつて高校時代に3年なのに文化祭で燃えた。空き缶でオオルリを描くタペストリーを作ったのである。それから25年、一人は死に、一人は引きこもっている。そして一人は国立天文台の研究者の任期が延長されず、丹沢に一人で天文台を作ろうと思っている。もはや中年を迎えた3人はそれに協力しようと思ったが…。これも「先に死んだもの小説」で、心に響く展開が待っている。中年以上ならすごく感動的だと思う。
『ブルーネス』は東日本大震災で大きく揺れ傷ついた地震学者たちの物語。「原子力村」があるように「地震村」もあると書かれている。学界で「はぐれもの」になった人々がリアルタイムで津波を検知できるシステムを開発しようと奮闘する。それは実際に出来るのか、そして津波を防ぐのに有効なのか。この架空の物語の科学的正確性は判定できない。だけど「学界」は大変だなあと思う。どの分野でも似たようなもんだろう。学者の世界だから純粋な人ばかりということはもちろんあり得ない。
最後に先ほど書かなかった『宙わたる教室』のツッコミどころ。幾つもあるが、まず「東新宿高校」があるパラレルワールドには新宿山吹高校はないのだろうか。都教委は山手線内にあった普通科の夜間定時制課程は全部無くしてきた。(山手線内では専門高校の工芸高校だけ全定併置で残っている。)もう20年以上前からで、代わりに単位制高校をたくさん作ってきた。「東新宿」に全定併置校があること自体不自然。元は大阪の定時制高校の実話だというが、何故東京に移したのか疑問。少なくとも「統廃合」の対象校にもなってない普通科の全定併置校が東新宿にあるって、どうも不自然。これは「小さな問題」ではない。
次に主人公の藤竹先生の問題。各学年1クラス(単学級)の定時制に「地学基礎」があるのも不自然だが、教師が休職していて数学も教えているって無理だし。理科教師は一人なんだから、物理、化学、生物なども一人で教えなくちゃいけないはず。数学をやれる時間的余裕はないし、数学の講師なら見つけやすい。理科と数学と二つ免許を持ってる人はごく少数だと思うし、免許はどうなってるのか。しかも、この先生は今も午前に大学に行っていて、時々は午後も校長が「特別研修」として認めて研究しているという。まあ小説だから、東京にはない制度を利用している教師がいてもいいのかもしれないが。
というような問題もあるけど、一番不思議なのが「給食」が出て来ないところ。5時40分開始で、9時終了だと時間割的に不可能だ。給食は法的な裏付けがあるし、もちろん東京では各校で実施している。それだけ食べに来る生徒がいるというなら理解出来るけど、全く話題に出て来ないのはおかしい。職員会議を夜やってる話があるが、書かれてない大問題でも起こっているんだろうか。もちろん夜間定時制の定例会議は昼間の授業前に行うのである。そう言えば校長は出てくるが、定時制担当の副校長が出て来ないのも不自然というべきかもしれない。まあ、ほとんどの人にはどうでもよい問題だろうけど。
でも東京の夜間定時制で苦労した身としては、一応書いておきたいのである。僕は昔のことが思い出されて苦労が甦ってきた。全定生徒の対立、暴力的な生徒、リストカット…、大変過ぎるが、それは現実である。それでも何人かは自分がいなかったら高卒資格を取れずになった生徒もいたかもしれない。何年も引きこもっていて、ようやく初めて選挙に行きましたと告げた生徒もいる。そういうことを小さな矜持として、現実の教員としては日々を送ってきたわけである。
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