2002年の小泉訪朝により、「北朝鮮」が拉致事件を認めてから来年でもう10年。普天間返還問題と同じようにこの問題も先行きが見えないまま時間だけがたっていく。前から一度「拉致と原発」という題で書きたいと思ってきた。一つには、今年出た本の中でも極めつけに面白いと思う、蓮池透「私が愛した東京電力」(かもがわ出版、1500円)という本の存在がある。著者は、拉致被害者蓮池薫さんの実兄で、02年当時は「拉致被害者家族会事務局長」だったことは多くの人が記憶しているだろう。その後、家族会の中で意見の対立があり除名されるに至ったが、独自の立場で言論活動を続けている。
というようなことは知っていても、蓮池透さんが1977年から2009年まで東京電力社員であり、東京理科大卒業後、入社してすぐに福島第一原発に勤務していたというようなことは今回の事故が起こるまでは誰も無関心だっただろう。その後本店勤務、再び福島勤務を経て、核燃料リサイクルの仕事に携わった。吉田昌郎前福島第一原発所長と一緒に働いた経験もある。総被曝量が人体に影響があるとされる100ミリシーベルトに達している人である。今回の事故を受けていろいろな人が発言をしているが、東電内部で原発の技術者をしていた人が直接書いた本はこれだけである。多分しばらく今後も出ない。東電社内の様子など興味深い記述が多いが、出来れば直接読んでほしい。東電社員がどうしても規格はずれにならないような「優等生タイプ」の採用が多くなる一方で、「行っちゃった人」(つまり精神的に不安定な行動が見られる人)も少なからずいるという部分が納得できた。学校の世界と同じだなと思う。
さて、蓮池透さんの本のこともあるけれど、それ以前に僕はあることに気づいた。拉致事件にも様々な様相があるが、77年の宇出津(うしづ)事件(久米裕さん)と横田めぐみさん事件を先駆けとして、日本から直接アベックを拉致するという凶悪な事件は78年に集中している。つまり、地村保志さん・濱本富貴恵さん夫妻(福井県小浜)、蓮池薫さん・奥土祐木子さん夫妻(新潟県柏崎)、北側が死亡としている市川修一さん、増元るみ子さん(鹿児島県吹上浜)、曽我ひとみ・ミヨシさん親子(新潟県佐渡)である。「李恩恵」とされる田口八重子さんも78年だが、事情がよくわからない。つまり、この事件を見ていて気づくことは、工作員が拉致を実行した地点が原発設置場所の近くであることが多いという事実なのである。
蓮池夫妻の柏崎は、東電刈羽柏崎原発。地村夫妻の小浜は、直接的には原発はないものの日本一の原発集中地域である若狭湾沿岸のど真ん中にある。小浜以外の周辺市町には皆あるといってよい状態である。市川・増元さんの吹上浜を少し北上すると九州電力川内原発。石川県宇出津は能登半島の富山湾側だが、日本海側にある北陸電力志賀原発は遠くない。突発的に生じた可能性が高い新潟市内の横田めぐみさん事件、曽我さん親子の佐渡を除き、原発に近いところで拉致事件が起こっているではないか。(佐渡は朝鮮半島には近いが、島だから原発を作っても電力を持ってくることができない。)拉致事件当時は原発が稼働以前のところがほとんどである。だから、北工作員が原発を標的にしていたのではなどと言いたいわけではない。そういうことではなく、「原発立地の適地」は、同時に「日本人拉致の適地」でもあり、つまりは人口過疎のさびしき場所だったということなんだろうと思う。
戦後社会において、見捨てられてきたものの象徴が「原発」と「拉致」の中に見えてくる。もう一つ、そこに「普天間」を置く必要があるだろう。このトライアングルの中に、戦後日本の欺瞞とねじれが隠されている。
野田首相が宣言した「原発事故の収束」には批判が多い。何をもって収束とすべきは、僕にはよくわからない。冷温停止と言っても1号機なんか30度代で温度が低すぎる。燃料棒はメルトダウンして格納容器には全くないと思われるから、核燃料も何もない場所を測っているだけだという意見もある。いろいろなことがまだよく判っていない。本当に危険な事故が、多くの人の決死の努力でなんとかこれ以上の最悪の惨事にはならずに年を越せそうだということは言えそうだが。
原発事故のことは、6月の東電総会までにいろいろ考えたけれど、畑違いでわからないことが多い。僕の関心からすると、どうしても戦後社会史、戦後思想史の中で考えていくことになる。書き切れずに残っていることは多いが、とりあえず「拉致」「普天間」「原発」を総合的に見る、という視点を提出しておく。
というようなことは知っていても、蓮池透さんが1977年から2009年まで東京電力社員であり、東京理科大卒業後、入社してすぐに福島第一原発に勤務していたというようなことは今回の事故が起こるまでは誰も無関心だっただろう。その後本店勤務、再び福島勤務を経て、核燃料リサイクルの仕事に携わった。吉田昌郎前福島第一原発所長と一緒に働いた経験もある。総被曝量が人体に影響があるとされる100ミリシーベルトに達している人である。今回の事故を受けていろいろな人が発言をしているが、東電内部で原発の技術者をしていた人が直接書いた本はこれだけである。多分しばらく今後も出ない。東電社内の様子など興味深い記述が多いが、出来れば直接読んでほしい。東電社員がどうしても規格はずれにならないような「優等生タイプ」の採用が多くなる一方で、「行っちゃった人」(つまり精神的に不安定な行動が見られる人)も少なからずいるという部分が納得できた。学校の世界と同じだなと思う。
さて、蓮池透さんの本のこともあるけれど、それ以前に僕はあることに気づいた。拉致事件にも様々な様相があるが、77年の宇出津(うしづ)事件(久米裕さん)と横田めぐみさん事件を先駆けとして、日本から直接アベックを拉致するという凶悪な事件は78年に集中している。つまり、地村保志さん・濱本富貴恵さん夫妻(福井県小浜)、蓮池薫さん・奥土祐木子さん夫妻(新潟県柏崎)、北側が死亡としている市川修一さん、増元るみ子さん(鹿児島県吹上浜)、曽我ひとみ・ミヨシさん親子(新潟県佐渡)である。「李恩恵」とされる田口八重子さんも78年だが、事情がよくわからない。つまり、この事件を見ていて気づくことは、工作員が拉致を実行した地点が原発設置場所の近くであることが多いという事実なのである。
蓮池夫妻の柏崎は、東電刈羽柏崎原発。地村夫妻の小浜は、直接的には原発はないものの日本一の原発集中地域である若狭湾沿岸のど真ん中にある。小浜以外の周辺市町には皆あるといってよい状態である。市川・増元さんの吹上浜を少し北上すると九州電力川内原発。石川県宇出津は能登半島の富山湾側だが、日本海側にある北陸電力志賀原発は遠くない。突発的に生じた可能性が高い新潟市内の横田めぐみさん事件、曽我さん親子の佐渡を除き、原発に近いところで拉致事件が起こっているではないか。(佐渡は朝鮮半島には近いが、島だから原発を作っても電力を持ってくることができない。)拉致事件当時は原発が稼働以前のところがほとんどである。だから、北工作員が原発を標的にしていたのではなどと言いたいわけではない。そういうことではなく、「原発立地の適地」は、同時に「日本人拉致の適地」でもあり、つまりは人口過疎のさびしき場所だったということなんだろうと思う。
戦後社会において、見捨てられてきたものの象徴が「原発」と「拉致」の中に見えてくる。もう一つ、そこに「普天間」を置く必要があるだろう。このトライアングルの中に、戦後日本の欺瞞とねじれが隠されている。
野田首相が宣言した「原発事故の収束」には批判が多い。何をもって収束とすべきは、僕にはよくわからない。冷温停止と言っても1号機なんか30度代で温度が低すぎる。燃料棒はメルトダウンして格納容器には全くないと思われるから、核燃料も何もない場所を測っているだけだという意見もある。いろいろなことがまだよく判っていない。本当に危険な事故が、多くの人の決死の努力でなんとかこれ以上の最悪の惨事にはならずに年を越せそうだということは言えそうだが。
原発事故のことは、6月の東電総会までにいろいろ考えたけれど、畑違いでわからないことが多い。僕の関心からすると、どうしても戦後社会史、戦後思想史の中で考えていくことになる。書き切れずに残っていることは多いが、とりあえず「拉致」「普天間」「原発」を総合的に見る、という視点を提出しておく。
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