秋になると創元推理文庫からアンソニー・ホロヴィッツの新作が出るというのも、毎年の恒例である。猛暑が幾分和らぎ、夜が長く感じられてくると、またホロヴィッツが楽しめるというのは今では秋の風物詩と言えるかも。今年も出ました、今回もホーソーン・シリーズで、『死はすぐそばに』(Close to Death)が山田蘭訳で刊行された。これがまた傑作にして、ちょっと驚くしかない(ミステリーとしての)「問題作」になっていて、ミステリー・ファンには読み応えたっぷり。
ダニエル・ホーソーンとアンソニー・ホロヴィッツがコンビを組んで、事件解決を描くというシリーズももう5冊目。一応今までの作品を紹介しておくと、『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』『殺しへのライン』『ナイフをひねれば』と続いてきた。警察を訳あって辞めたダニエル・ホーソーンという秘密を抱えた男がいて、今も時々警察に頼まれて事件捜査に関わることがある。その捜査に作家のアンソニー・ホロヴィッツが同行し(または捜査情報を教えて貰い)、真相を探ってゆくというシリーズである。ホームズもののワトソンにあたる役をホロヴィッツが演じるわけだが、このホロヴィッツは作者自身と見て構わない。
児童向けミステリーで成功し、テレビ番組にも関わっているというのは本人と同じ。スピルバーグと会ったとか楽屋オチ的ネタも豊富で、今回は人気俳優ユアン・マクレガーが通ってるという歯医者が出て来る。まるでホーソーンという人物が実在し、彼の捜査を書いているノンフィクションみたいな体裁なのである。もちろん実際は完全なフィクションで、作中でホロヴィッツがミスを犯して難局に陥るというのが定番である。第3作ではチャネル諸島で開かれた文芸フェスで事件が起きる。第4作では自分の書いた戯曲が上演され、酷評した劇評家が殺されたためホロヴィッツ自身が容疑者となるという禁断の展開になる。
(著者と原書)
そういう「メタ・ミステリー」、つまり「ミステリーの中で、ミステリーについて考えるミステリー」という構造なので、次第に書くのが難しくなってくる。そうそうホーソーンが呼ばれる事件が起きるわけもなし、書くことがなくなってきた。だけどシリーズの評判は良いようで、エージェントからは早く次を書いてくれと言われる。じゃあ、自分が関わる前の事件なら書けるんじゃないかとホーソーンに打診する。まあ、ないわけじゃないが…ということで、5年前にロンドンのリッチモンド地区で起きた地区の資料が送られてくる。それが全部じゃなくて少しずつ送ってくるから、ホロヴィッツは全貌を知らないまま書き始めたのである。
ミステリーとしての特質から、内容を余り書けないのが残念だが、簡単に書くと「中途半端に終わってしまった事件」なのである。どういう事かというと、普通の古典的謎解きミステリーだと警察が解けない謎を名探偵が関係者一同を集めて解き明かす。すると警察も感嘆し、犯人自身も恐れ入ったり逃げ出したりして、犯人が判明して事件解決となる。ところが今回の事件では、ホーソーンが目星を付けつつある段階で「容疑者」(と思われる人物)が「自殺」(と思われる)死をとげて、警察はそれで一件落着とする。しかしホーソーンは納得出来ず独自捜査を続ける。という展開なのである。
(テムズ川に面したリッチモンド地区)
リッチモンド地区はロンドン西南部の高級住宅地だという。そこに「閉じられた集合住宅地」があって、何軒かが暮らしてきた。しかし、そこに近所迷惑な一家が越してきて、いさかいが頻発するようになる。そして、ついに殺人事件まで…、という設定である。5年前の事件の展開に納得出来ないホロヴィッツ(作中人物)は、独自に現地調査に行くと当時を知る人物に会える。また当時ホーソーンの助手をしていたダドリーという(ホーソーンと同じぐらい)謎めいた人物が出て来て、気になるホロヴィッツはホーソーンとダドリーを調べ始める。たった5年ぐらいだが、過去と現在を行き来しながら進行するのである。
ホーソーンは「自殺」は見せかけで実は殺人だと考えるが、そうなると「密室」ものになる。そこでホロヴィッツは作中で「密室ミステリー」談義をしている。「密室」ものでは「密室つくり」に不当なまでのエネルギーが費やされるという。それはまあその通りで、外国では銃が入手しやすい所が多いから、銃を一発お見舞いして「逃走」や「アリバイつくり」の方に頭を使った方がずっと楽である。なおホロヴィッツは本書の中で、「密室」ものは日本で発展したと述べ、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』と横溝正史『本陣殺人事件』の名を挙げている。日本のミステリーを読んでるんかい。
また古典的ミステリーだけを置いている小さな本屋を二人でやってる老女性が住人にいて、「アガサ・クリスティのあの小説」について言及する。その名前を書けないが、これを知らないとこの小説は面白みが無くなる。ということで、事件内容には触れてないが、近隣同士のイザコザが事件に発展して…という体裁で進行する。登場人物の謎が次第に深まっていき、ホーソーンの見立てがラストに炸裂するんだけど…。もっと書かないと何が「問題作」か理解出来ないと思うが、それを書くと本書の構造に触れざるを得なくなる。480ページほどと案外長いが、僕は第1作以来の傑作だと思う。ミステリー史に残る怪作としても魅力的。
ダニエル・ホーソーンとアンソニー・ホロヴィッツがコンビを組んで、事件解決を描くというシリーズももう5冊目。一応今までの作品を紹介しておくと、『メインテーマは殺人』、『その裁きは死』『殺しへのライン』『ナイフをひねれば』と続いてきた。警察を訳あって辞めたダニエル・ホーソーンという秘密を抱えた男がいて、今も時々警察に頼まれて事件捜査に関わることがある。その捜査に作家のアンソニー・ホロヴィッツが同行し(または捜査情報を教えて貰い)、真相を探ってゆくというシリーズである。ホームズもののワトソンにあたる役をホロヴィッツが演じるわけだが、このホロヴィッツは作者自身と見て構わない。
児童向けミステリーで成功し、テレビ番組にも関わっているというのは本人と同じ。スピルバーグと会ったとか楽屋オチ的ネタも豊富で、今回は人気俳優ユアン・マクレガーが通ってるという歯医者が出て来る。まるでホーソーンという人物が実在し、彼の捜査を書いているノンフィクションみたいな体裁なのである。もちろん実際は完全なフィクションで、作中でホロヴィッツがミスを犯して難局に陥るというのが定番である。第3作ではチャネル諸島で開かれた文芸フェスで事件が起きる。第4作では自分の書いた戯曲が上演され、酷評した劇評家が殺されたためホロヴィッツ自身が容疑者となるという禁断の展開になる。
(著者と原書)
そういう「メタ・ミステリー」、つまり「ミステリーの中で、ミステリーについて考えるミステリー」という構造なので、次第に書くのが難しくなってくる。そうそうホーソーンが呼ばれる事件が起きるわけもなし、書くことがなくなってきた。だけどシリーズの評判は良いようで、エージェントからは早く次を書いてくれと言われる。じゃあ、自分が関わる前の事件なら書けるんじゃないかとホーソーンに打診する。まあ、ないわけじゃないが…ということで、5年前にロンドンのリッチモンド地区で起きた地区の資料が送られてくる。それが全部じゃなくて少しずつ送ってくるから、ホロヴィッツは全貌を知らないまま書き始めたのである。
ミステリーとしての特質から、内容を余り書けないのが残念だが、簡単に書くと「中途半端に終わってしまった事件」なのである。どういう事かというと、普通の古典的謎解きミステリーだと警察が解けない謎を名探偵が関係者一同を集めて解き明かす。すると警察も感嘆し、犯人自身も恐れ入ったり逃げ出したりして、犯人が判明して事件解決となる。ところが今回の事件では、ホーソーンが目星を付けつつある段階で「容疑者」(と思われる人物)が「自殺」(と思われる)死をとげて、警察はそれで一件落着とする。しかしホーソーンは納得出来ず独自捜査を続ける。という展開なのである。
(テムズ川に面したリッチモンド地区)
リッチモンド地区はロンドン西南部の高級住宅地だという。そこに「閉じられた集合住宅地」があって、何軒かが暮らしてきた。しかし、そこに近所迷惑な一家が越してきて、いさかいが頻発するようになる。そして、ついに殺人事件まで…、という設定である。5年前の事件の展開に納得出来ないホロヴィッツ(作中人物)は、独自に現地調査に行くと当時を知る人物に会える。また当時ホーソーンの助手をしていたダドリーという(ホーソーンと同じぐらい)謎めいた人物が出て来て、気になるホロヴィッツはホーソーンとダドリーを調べ始める。たった5年ぐらいだが、過去と現在を行き来しながら進行するのである。
ホーソーンは「自殺」は見せかけで実は殺人だと考えるが、そうなると「密室」ものになる。そこでホロヴィッツは作中で「密室ミステリー」談義をしている。「密室」ものでは「密室つくり」に不当なまでのエネルギーが費やされるという。それはまあその通りで、外国では銃が入手しやすい所が多いから、銃を一発お見舞いして「逃走」や「アリバイつくり」の方に頭を使った方がずっと楽である。なおホロヴィッツは本書の中で、「密室」ものは日本で発展したと述べ、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』と横溝正史『本陣殺人事件』の名を挙げている。日本のミステリーを読んでるんかい。
また古典的ミステリーだけを置いている小さな本屋を二人でやってる老女性が住人にいて、「アガサ・クリスティのあの小説」について言及する。その名前を書けないが、これを知らないとこの小説は面白みが無くなる。ということで、事件内容には触れてないが、近隣同士のイザコザが事件に発展して…という体裁で進行する。登場人物の謎が次第に深まっていき、ホーソーンの見立てがラストに炸裂するんだけど…。もっと書かないと何が「問題作」か理解出来ないと思うが、それを書くと本書の構造に触れざるを得なくなる。480ページほどと案外長いが、僕は第1作以来の傑作だと思う。ミステリー史に残る怪作としても魅力的。
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