ホリー・ジャクソンのピップ・シリーズの3作目『卒業生には向かない真実』(服部京子訳、創元推理文庫)が刊行された。670ページもあるシリーズ最長の問題作で、完結編になるのだろう。正義感にあふれた女子高生ピップが活躍する溌剌たる青春ミステリーとして始まったシリーズも、次第に苦みが増していって、今回はほとんど「イヤミス」レベルじゃなかろうか。第1作『大収穫、「自由研究には向かない殺人」』、第2作『『優等生は探偵に向かない』、ピップ大いに悩むの巻』と内容的に連続していて、続けて読む必要がある。一話完結のシリーズではなく、ピップが登場する連作と言うべきだろう。
第1作を簡単に振り返っておくと、17歳の女子高生ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは学校の「自由研究」として、町の未解決事件に取り組んだ。5年前に高校生のアンディ・ベルが行方不明となり、付き合っていたサリル(サル)・シンの死体が発見された。警察はサルがアンディを殺害して自殺したとみなしたが、未だにアンディの死体は発見されていない。ピップにはもちろん強制捜査権がないから、公開されているSNSを探ったり、関係者に接触したりして真相を探っていく。この小説は英米に多い「スモールタウン・ミステリー」に、「学園ミステリー」、そして「デジタル捜査小説」の味わいを加えた傑作だった。
第1作は5年前の事件の真相を探る中で、町の暗部をあからさまにした。何人かの登場人物が逮捕、起訴されることになったが、小説内の現在では誰も死なない。それもあり、真相を探る主人公ピップのひらめきや人権感覚が印象的だった。ピップは小説内でも評価されて、ケンブリッジ大学への進学が決まっている。母親からは「探偵ごっこ」はもう止めて欲しいと強く言われたが、第2作では行方不明者の発見に協力を求められ、再び自主的な捜査を始めてしまう。警察は若者が数日どこかへ行っただけと相手にしてくれなかったからだ。その事件の真相は驚くべきもので、何が正しいのか、ピップも人間性の深淵におののく思いをする。
その事件は悲劇的な結末を迎え、ピップは第3作冒頭では「壊れて」しまっている。明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。そんなピップにはさらに憂慮すべきことがある。どうやら誰かに後を付けられたり、悪意を持たれているらしい。家の前に謎の記号が書かれていたり、鳩の死体が置かれたり。警察に相談しても、イタズラだろうと相手にされない。ネットで検索してみたところ、同じような前兆があったケースが見つかる。それは連続殺人事件で、「DTキラー」と呼ばれている。ただし、犯人はすでに逮捕されていて、有罪を認めて服役中。その後、事件は起きていない。事件は冤罪で真犯人は別にいるのか?
やがて真相が明らかになるが、ミステリー通ならばある程度予想通りだろう。だが、この小説の読みどころはそこではない。その「真相判明」は小説の前半にしか過ぎない。ピップの恐怖、そして驚くべき計画。こんな展開はあっても良いのか。これ以上詳細を書くわけにはいかないが、第1作から思えば遠くへ来たもんだ。高校を卒業して、まだ大学は始まってない。そんな18歳の少女は、すでに人生を見終わってしまったかの感がある。原題は“AS GOOD AS DEAD”で、これは調べてみると「死んだも同然」という意味らしい。それはピップの心理状態を指すだけではないだろう。
むしろ作者はイングランドの警察や司法制度を批判する意味合いで言っているのかもしれない。後書きには作者も警察に信用して貰えなかった経験があると書かれている。確かに第1作から、警察は「無能」である。それは作品成立の条件としてそうなっているのかと思っていた。(警察が有能で、何でも解決出来ていれば、素人探偵は不要である。)しかし、どうもそれだけでもないらしい。作中で出て来る冤罪主張者の供述は日本と非常に似ているではないか。この小説をどう評価するべきか、なかなか決めがたい。驚くべき問題作であると言うだけ。だが着地点を目指してドキドキしながら読むのは間違いない。
第1作を簡単に振り返っておくと、17歳の女子高生ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは学校の「自由研究」として、町の未解決事件に取り組んだ。5年前に高校生のアンディ・ベルが行方不明となり、付き合っていたサリル(サル)・シンの死体が発見された。警察はサルがアンディを殺害して自殺したとみなしたが、未だにアンディの死体は発見されていない。ピップにはもちろん強制捜査権がないから、公開されているSNSを探ったり、関係者に接触したりして真相を探っていく。この小説は英米に多い「スモールタウン・ミステリー」に、「学園ミステリー」、そして「デジタル捜査小説」の味わいを加えた傑作だった。
第1作は5年前の事件の真相を探る中で、町の暗部をあからさまにした。何人かの登場人物が逮捕、起訴されることになったが、小説内の現在では誰も死なない。それもあり、真相を探る主人公ピップのひらめきや人権感覚が印象的だった。ピップは小説内でも評価されて、ケンブリッジ大学への進学が決まっている。母親からは「探偵ごっこ」はもう止めて欲しいと強く言われたが、第2作では行方不明者の発見に協力を求められ、再び自主的な捜査を始めてしまう。警察は若者が数日どこかへ行っただけと相手にしてくれなかったからだ。その事件の真相は驚くべきもので、何が正しいのか、ピップも人間性の深淵におののく思いをする。
その事件は悲劇的な結末を迎え、ピップは第3作冒頭では「壊れて」しまっている。明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。そんなピップにはさらに憂慮すべきことがある。どうやら誰かに後を付けられたり、悪意を持たれているらしい。家の前に謎の記号が書かれていたり、鳩の死体が置かれたり。警察に相談しても、イタズラだろうと相手にされない。ネットで検索してみたところ、同じような前兆があったケースが見つかる。それは連続殺人事件で、「DTキラー」と呼ばれている。ただし、犯人はすでに逮捕されていて、有罪を認めて服役中。その後、事件は起きていない。事件は冤罪で真犯人は別にいるのか?
やがて真相が明らかになるが、ミステリー通ならばある程度予想通りだろう。だが、この小説の読みどころはそこではない。その「真相判明」は小説の前半にしか過ぎない。ピップの恐怖、そして驚くべき計画。こんな展開はあっても良いのか。これ以上詳細を書くわけにはいかないが、第1作から思えば遠くへ来たもんだ。高校を卒業して、まだ大学は始まってない。そんな18歳の少女は、すでに人生を見終わってしまったかの感がある。原題は“AS GOOD AS DEAD”で、これは調べてみると「死んだも同然」という意味らしい。それはピップの心理状態を指すだけではないだろう。
むしろ作者はイングランドの警察や司法制度を批判する意味合いで言っているのかもしれない。後書きには作者も警察に信用して貰えなかった経験があると書かれている。確かに第1作から、警察は「無能」である。それは作品成立の条件としてそうなっているのかと思っていた。(警察が有能で、何でも解決出来ていれば、素人探偵は不要である。)しかし、どうもそれだけでもないらしい。作中で出て来る冤罪主張者の供述は日本と非常に似ているではないか。この小説をどう評価するべきか、なかなか決めがたい。驚くべき問題作であると言うだけ。だが着地点を目指してドキドキしながら読むのは間違いない。
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