フランスの女優、アンナ・カリーナ(Anna Karina)が亡くなった。1940年9月22日~2019年12月14日、79歳。ほとんど60年代初期のゴダール映画のミューズとして記憶されていて、その後も女優をしていたけれども、あまり評判になった作品はなかった。最後までファッション界などでは注目されていたようだが、僕もゴダール映画との関わりでしか知らないし関心もないのが正直なところだ。
(小さな兵隊)
アンナ・カリーナと言うけど、実はデンマーク人である。本名は Hanne Karen Blarke Bayer で、若い頃は家庭的に恵まれず家出を繰り返していたという。14歳で出演した短編映画がカンヌ映画祭で受賞している。17歳でパリに出てきて、芸名はココ・シャネルが付けたという。1960年にジャン=リュック・ゴダール監督の「小さな兵隊」に出演して一気に注目された。その頃のキュートな魅力は抜きん出ていて、ゴダールも魅せられたんだろう、二人は1961年に結婚した。
(ゴダールとアンナ・カリーナ)
それ以来、初期ゴダール作品には連続して出演している。ちょっと挙げてみると、1961年「女は女である」(ベルリン映画祭女優賞)、1962年「女と男のいる舗道」、1964年「はなればなれに」、1965年「アルファヴィル」、「気狂いピエロ」、1966年「メイド・イン・USA」と続いた。ゴダールとは1965年に離婚したが、その後も出演しているのがうれしい。ゴダールのような男と暮らしていけないのは判る気がする。以後のゴダールは「政治の季節」に入る。
60年代後期に「ゴダール」がどれほど輝いた存在だったか。今となっては当時の雰囲気を知らない人には判らないだろう。もちろん僕も世代的にはずれているけれど、1970年にはゴダールを見始めていたから何となく判る。当時の雰囲気はフランス文学者海老坂武の回想録三部作の第2巻「かくも激しき希望の歳月1966ー1972」によく書かれている。単なる映画監督の一人ではなく、それどころか「文化」や「表現」のレベルでもなく、むしろ「革命」の象徴のようにゴダールの映画が見られていた。日本では「ゴダール全集」まで出ていた。今では過大評価に思えるけれど、それでも「気狂いピエロ」のスリリングな疾走感は忘れがたい。それらの映画を支えているのがアンナ・カリーナの魅力だった。
この間、ゴダールはアンナ・カリーナの出ない「軽蔑」(1963)や「男性・女性」(1966)なども撮っている。しかし、「女と男のいる舗道」や「はなればなれに」などアンナ・カリーナが出ている映画の魅力が抜けていると思う。「はなればなれに」は日本では長く未公開で、2001年にようやく公開された。もしこの映画が60年代に紹介されていたら、アンナ・カリーナが二人の男友だちとルーブル美術館を駆け抜ける素晴らしいシーンが大きな影響を与えていただろう。アンナ・カリーナの追悼なのに、ついゴダール映画を語ってしまっているが、それがアンナ・カリーナの悲劇だっただろう。
(映画「アンナ」)
最近テレビ映画として作られた「アンナ」が日本でリバイバル上映された。僕は上映が終わらないうちにと急いで見に行った。デンマークからやってきて、たまたま写真に撮られた女子社員。彼女に魅せられた宣伝会社の社長は、謎の女性を探して街を歩き回るが、実は自分の会社の社員だったのに…。そんなおとぎ話をアンナ・カリーナの魅力だけで撮ってゆく。まあ案外アンナ・カリーナが普通っぽい女の子だったと感じたが、ゴダールが掛けた魔法が解けるとそうなるのかもしれない。僕はやはりゴダール映画のミューズだったアンナ・カリーナが好きなんだと思った。
(2018年に来日したアンナ・カリーナ)
ヴィスコンティが監督したカミュ原作の「異邦人」にはアンナ・カリーナがマリー(ムルソーの女友だち)で出演していた。僕もその映画は見てるが、覚えていない。主人公ムルソーがマルチェロ・マストロヤンニだったことは覚えているけれど。その後も日本に紹介された映画にずいぶん出ているが、あまり大きな印象はない。私生活ではゴダール以後に4回の結婚歴がある。日本には何回か来ていて、1997年の夕張ファンタスティック映画祭で審査員を務めた。2018年にも来日している。1930年生まれのゴダールが今年新作が日本公開されたのに、アンナ・カリーナが先に亡くなるとは思いもしなかった。
(小さな兵隊)
アンナ・カリーナと言うけど、実はデンマーク人である。本名は Hanne Karen Blarke Bayer で、若い頃は家庭的に恵まれず家出を繰り返していたという。14歳で出演した短編映画がカンヌ映画祭で受賞している。17歳でパリに出てきて、芸名はココ・シャネルが付けたという。1960年にジャン=リュック・ゴダール監督の「小さな兵隊」に出演して一気に注目された。その頃のキュートな魅力は抜きん出ていて、ゴダールも魅せられたんだろう、二人は1961年に結婚した。
(ゴダールとアンナ・カリーナ)
それ以来、初期ゴダール作品には連続して出演している。ちょっと挙げてみると、1961年「女は女である」(ベルリン映画祭女優賞)、1962年「女と男のいる舗道」、1964年「はなればなれに」、1965年「アルファヴィル」、「気狂いピエロ」、1966年「メイド・イン・USA」と続いた。ゴダールとは1965年に離婚したが、その後も出演しているのがうれしい。ゴダールのような男と暮らしていけないのは判る気がする。以後のゴダールは「政治の季節」に入る。
60年代後期に「ゴダール」がどれほど輝いた存在だったか。今となっては当時の雰囲気を知らない人には判らないだろう。もちろん僕も世代的にはずれているけれど、1970年にはゴダールを見始めていたから何となく判る。当時の雰囲気はフランス文学者海老坂武の回想録三部作の第2巻「かくも激しき希望の歳月1966ー1972」によく書かれている。単なる映画監督の一人ではなく、それどころか「文化」や「表現」のレベルでもなく、むしろ「革命」の象徴のようにゴダールの映画が見られていた。日本では「ゴダール全集」まで出ていた。今では過大評価に思えるけれど、それでも「気狂いピエロ」のスリリングな疾走感は忘れがたい。それらの映画を支えているのがアンナ・カリーナの魅力だった。
この間、ゴダールはアンナ・カリーナの出ない「軽蔑」(1963)や「男性・女性」(1966)なども撮っている。しかし、「女と男のいる舗道」や「はなればなれに」などアンナ・カリーナが出ている映画の魅力が抜けていると思う。「はなればなれに」は日本では長く未公開で、2001年にようやく公開された。もしこの映画が60年代に紹介されていたら、アンナ・カリーナが二人の男友だちとルーブル美術館を駆け抜ける素晴らしいシーンが大きな影響を与えていただろう。アンナ・カリーナの追悼なのに、ついゴダール映画を語ってしまっているが、それがアンナ・カリーナの悲劇だっただろう。
(映画「アンナ」)
最近テレビ映画として作られた「アンナ」が日本でリバイバル上映された。僕は上映が終わらないうちにと急いで見に行った。デンマークからやってきて、たまたま写真に撮られた女子社員。彼女に魅せられた宣伝会社の社長は、謎の女性を探して街を歩き回るが、実は自分の会社の社員だったのに…。そんなおとぎ話をアンナ・カリーナの魅力だけで撮ってゆく。まあ案外アンナ・カリーナが普通っぽい女の子だったと感じたが、ゴダールが掛けた魔法が解けるとそうなるのかもしれない。僕はやはりゴダール映画のミューズだったアンナ・カリーナが好きなんだと思った。
(2018年に来日したアンナ・カリーナ)
ヴィスコンティが監督したカミュ原作の「異邦人」にはアンナ・カリーナがマリー(ムルソーの女友だち)で出演していた。僕もその映画は見てるが、覚えていない。主人公ムルソーがマルチェロ・マストロヤンニだったことは覚えているけれど。その後も日本に紹介された映画にずいぶん出ているが、あまり大きな印象はない。私生活ではゴダール以後に4回の結婚歴がある。日本には何回か来ていて、1997年の夕張ファンタスティック映画祭で審査員を務めた。2018年にも来日している。1930年生まれのゴダールが今年新作が日本公開されたのに、アンナ・カリーナが先に亡くなるとは思いもしなかった。
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